それは彼にとって
「やあねぇ、様なんて仰々しいもの、付けなくていいわよ。今日は私の為にギャラリーを開けてくれて感謝するわ」
「話は店主のメアリーから聞いています。お待ちしておりました。暑いので中へどうぞ」
「ありがとう」
「あの、あちらの方も」
二人で車を見る。中では通話中の運転手が、シートベルトを外しているところだった。
「ええ。仕事の話が終わったら荷物を下ろしてもらうわ」
「ではこちらへ」
入り口のドアを押さえて柊さんを中へ通す時、その身長の高さに驚いた。自分の背丈から目測するに、軽く一九〇センチはあるだろうか。体格も華奢な割にがっしりしているし、まるで海外の女優かスーパーモデルみたいだ。おまけに何と表現し難い甘い香りが鼻をかすめ、ヒールが出来る女性の音を響かせている。
こんなに気を使いそうな人を俺なんかに任せて大丈夫なのかと、呑気に外遊中のメアリーを少しだけ恨んだ。それと、奥に引っ込んでいるルカにも。
「きゃー!柊平くん!」
「シ、シュウヘイくん?」
ギャラリーに飾られている作品を見た途端に、柊さんが一直線に駆け出す。止まった先には『斜陽』があった。
「久しぶりね、柊平くん!こんな所に隠れてたなんて、私たち驚いたわよ。本当は三人で来たかったんだけど、真由が出産したてでね、心美もつきっきりだし、今回は私一人なの」
まるでシュウヘイさんがそこに立ってるかのように語りかける柊さんを黙って見ていると、俺の視線に気づいたのか、柊さんは恥ずかしいそうに振り返った。
「やだ、驚かせちゃってごめんなさいね。私、この絵を描いた画家の教え子なのよ」
「シュウヘイさんって」
そういえば、メアリーがこの絵を描いた人は偽名を使ったと言っていたっけ。それに……そうだ、本名を名乗った瞬間に価値が跳ね上がるとも。
「藤堂柊平。近代絵画の世界じゃそこそこ名の知れた天才よ。私ね、縁があって彼のいた美術学校に通っていたの」
「藤堂さんなら知ってます。この前テレビで特集が組まれてました。長いこと行方知れずみたいですけど、今度、国立美術館で展覧会があるとかって」
「そうなの。こんなに大々的にやるのは初めてだから、世界中でちょっとした話題になってるわ。私はその関係のパーティーでメアリーと出会って、柊平くんの作品がここにあることをこっそり教えてもらったの」
「そうだったんですか。てっきりこの絵は外国の方が描いたものだと思ってました」
「本名で出すと色々と面倒なことになるから。この絵は偽名を使ってもらえて幸せかもしれないわね」
「その絵、お買い上げになるんですか?」
うっとりとした表情で絵の前に立つ柊さんに、恐る恐る聞いてみる。『斜陽』はメアリーが好きな絵だから、出来ればここに置いておきたい。けれどメアリーは、買い手が現れたら躊躇なく手放すと言っていた。
「イエスと言ったら、嫌?」
「えっと……」
ここはどう答えるのが正解なんだろう。
「嫌かぁ」
「いえ、俺がそんなこと言える立場じゃないので。でもその絵、人気なんです。大抵の方は一番長く『斜陽』の前に立つくらいで」
「嬉しいわ。画家の名前なんて関係なく愛してもらえて。やっぱり柊平くんの絵には何か力があるのね」
見つめるその瞳に、藤堂柊平は柊さんにとってプライドなんだな、と感じた。誰かのプライドになれるなんて、きっとそれこそが藤堂柊平という画家の凄さなのかもしれない。
「この絵は買わないわ。むしろ、逆ね」
柊さんの色気のあるウインクにドキッとすると、メアリーからテレパシーで注意が入ったかのように、背後でドアの開く音がした。さっきの運転手が大きな包みを抱えて入って来たので、急いでドアを押さえに向かう。
「お手伝いしましょうか?」
「ありがとう、大丈夫です」
柊さんを迎え入れた時と同様、スラリとした高身長で、爽やかに通り過ぎる彼を見て、あれ?と思った。
とてもよく似ている。二人の横顔が。
「その人は私のマネージャーよ。玲央、彼がメアリーが言っていた、優秀な助手のハルくん」
運転手は音もなくそっと荷物を置くと、胸ポケットから名刺を取り出す。
「柊のマネージャーをしております、柊玲央と申します。本日はメアリーさんのご不在にも関わらず、この場を設けて頂き誠にありがとうございます」
滑らかな言葉と共に深く頭を下げるマネージャーに、俺も慌てて頭を下げる。
あれ、この二人、顔も似ていれば名字も同じだ。
それに……
「あの、失礼ですが、以前どこかでお会いしたことがありますか?」
玲央さんの方は、確かにどこかで見た顔をしている。どこだっけ?こんなに目鼻立ちのハッキリとした顔、一度見れば忘れないはずなのに。
「いえ、ハル様とお会いするのは今日が初めてと存じます」
とても丁寧な物言いに、恐縮して謝罪をする。
「玲央のことを見たことがあるっていうのは、私のことじゃないかしら?」
床に置かれた荷物を解きはじめた理央さんが、楽しそうに俺を見上げる。
「私、普段はその顔で芸能活動をしてるから。それじゃない?」
「芸能活動?」と、再び玲央さんへ振り向く。
その顔を見て思い当たったのは、CMやドラマでよく見る、モデル上がりの俳優だった。
「あっ、柊さんって、あの……!」
「事務所的に女装キャラはNGなのよ。だから、ハルくんもよろしくって、後ろのマネージャーが」
「はい、それはもちろんです。誰にも言いません」
てっきり女の人だと思ってたのに、言われてみれば男性の体格だし、声も低い。すっかり騙されていた。まさか目の前にいる人が、あのRioだったなんて。
それにこの二人、兄弟だ。
メアリーはとんでもない人を俺に任せたな。
「それで、さっきの話の続きだけどね」
理央さんは梱包から出した薄い板のような物を、包み紙の上へ載せる。それは『斜陽』と同じくらいの大きさの、フレームには収まっていない、剥き出しのままのキャンバスだった。
「この絵を、あの『斜陽』の横に飾って欲しいの。それが今日ここへ来た理由よ」
覗き込んでみると、夜明けのワンシーンが描かれている油絵で、海の向こうから僅かに陽が昇り、手前の砂浜をキラキラと輝かせている作品だった。
夜と朝、そして地球と宇宙の真ん中のような、幻想的な世界。
「綺麗……写真みたい……」
『斜陽』とは真反対の雰囲気に、目が釘付けになる。
案の定サインは読めない。辛うじて分かったのは、最初の文字はSということくらいか。
「この絵、私が学生の頃に描いた作品の模写なの。全く、オリジナルより上手く描くなんて、嫌味よね」
「この作者は誰なんですか?」
聞いたところで、奥から着替えたルカが出てきた。トレーに人数分のアイスティーを載せて、ぺこりと頭を下げる。
「いらっしゃいませ」
「あら。君、もしかしてメアリーの……」
「孫のルカです。紅茶を淹れていてご挨拶が遅くなりました」




