宴
「なかったんだよ」
「え、なかったのか?」
しっかり話について来てるのか、ルカが驚きながら聞き返す。
「そう。なかったんだよ」
松下ものってきたのか、じっとルカを見入る。どうやらこの辺の人は、初めて会った外国人と話すことに全く抵抗がないらしい。
ふと気配を感じて振り返ると、望月さんの奥さんが座卓に湯気のあがる大皿を載せているところだった。
近所の奥様方まで出動してるとは……と驚きつつ、望月さんと二人で空いた皿を重ねていると、取り皿を持った子供たちが集まってきたので、エビマヨを同じ数ずつ取り分けてあげた。律儀に頭を下げてありがとうと言っていく様は、可愛くてつい笑顔になる。
「それで詩吟部の顧問が……って、ハル、顧問て英語でなんで言うんだっけ?コーチ?」
「さぁ?そこはティーチャーでいいんじゃない?」
ルカが頷くのを確認して、松下は続ける。
「顧問は詳細も語らないで、日曜日にとある雑居ビルに俺を連れて行ったんだ。陽の当たりのすこぶる……ベリーベリー悪い、いかにも訳あり気な廃れたビル。俺、騙されたと思ってさ、そういうのって道を極めてるっぽいじゃんか」
「生徒を売るわけないだろ」
「我が身になればハルも同じこと思うって。それで恐るおそる入ったら、なんとそこは……!!市民劇団の練習場だったんだ。ミュージカルに特化した、と言うとプロっぽく聞こえてしまうな。うーん、ミュージカルしかやりたくない連中が集まってる、って言ったらいいかな。とにかく小さな劇団で、話を聞くと顧問の妹さんが代表をやってて、前々から活きのいい奴を連れてこいって言われてたらしい」
「で、元演劇部の松下に白羽の矢が立ったわけか」
「実は歌上手いんだよな、俺。トウマの次くらいに声量あるし」
「分かる。えげつない筋トレしてたもんな、演劇部って」
「最後ら辺は筋トレ部とか言われてたしな。特にトウマの周りで」
三人でトウマを見る。あっちはスマホを取り出して、あーだこーだと言い合いながら頭を突き合わせている。ゲームだろうな、どうせ。
「それでどうなの、市民劇団は。順調?」
「なにせ部活じゃないからさ、参加費もかかるし、学校からの移動もあるし、チケットも捌かなきゃいけないしで大変だよ。まぁでも楽しさの方が勝るけどね。オリジナルの割に出来もいいし。何よりうちの劇団、元売れないプロのミュージカル俳優がいるんだよ。だから中学の時よりかはちゃんとした指導を受けられてるかな」
「そうなんだ。松下が歌って踊ってるところ、見てみたいな」
「案外、評判いいんだぜ。そういえばミュージカルって、アメリカが本場じゃん!」
松下がルカの肩をポンと押す。
「ルカってどこ出身なの?LA?NY?あ、ノースカロライナ?あとワイキキもアメリカだっけ?」
ワイキキも確かにアメリカだけど、あれはもはやハワイだ。ハワイならハワイだと最初から言っているし、噂でもそうなっている。
「俺はニューヨークだよ。ブロードウェイなら何度か行ったことがある。あんまりミュージカルは得意じゃないけどね」
「へぇ、アメリカ人でもミュージカル嫌いは存在するんだ」
「意外だな」と松下が俺を見る。
「日本人だって、サムライ映画に興味ない人もいるでしょ?」
ルカの言う通りだ。るろ剣以外、鑑賞済みの時代劇作品をパッと言えない。
「なるほどね。あー、でも俺もルカの気持ち分かるわ。ミュージカルって急に歌い出して白けるんだよな」
「ミュージカルやってる奴が何を言ってんだよ」
俺は呆れて言い返す。
「ミュージカルってのはさ、やってはじめて面白いんだよ。俺だって参考にする為には観るけど、娯楽じゃ絶対に観ない。観るのが好きな奴はきっと、根がパリピなんだ」
爆弾発言だぞ、それ。清水まで変な噂がいかなきゃいいけど。
「なんかさっきから俺の話ばっかりだな。ハルは最近どうなの?部活とかは?」
聞きながら、松下は俺とルカのコップにジュースをなみなみと注ぎ足す。
「俺はバイトしてるよ。向こうの団地の丘の上に画廊があるんだけど、そこで。ルカはそこのオーナーの孫なんだ」
「あー、そういうことか」
納得したと言わんばかりに松田が頷く。
「聞いた話しじゃ、ハルがアメリカ人の友達を連れてるってだけだったからさ、どういう繋がりで〜とか、いつから仲が良くて〜とかがバッサリ抜けてて、意味不明だったんだ。中には実はハルのインスタのフォロワー数十万人で、その中で一番カッコいい奴をこの街へ招待した……なんて憶測もあったけど、ハルが自ら進んで映える写真を撮るわけないしな」
「そんな憶測があったんだ」
「単なる憶測で噂にもならなかったけどな」
「そりゃそうだよ」
「じゃあルカはここに住んでるの?」
松下がルカに聞く。
「違うよ。遊びに来てるだけ。ミナトが日本のこと色々と教えてくれるって言うから」
「ハル、先生か」
「そ!ミナト先生!」
「そういえばハル、どこか先生感あると思った!」
「ないし、そんなんじゃないよ、全然」
そんな風に近況を教え合いながら夜は更けていき、増え続けた客人も一人また一人と帰っていくと、残ったのは後片付けをしつつ余った料理を夕飯にしている近所の奥様方と、俺たちだけになった。
誰も先に帰ると言い出さずにいるから、だんだんと家に帰るのも面倒になってきて、いよいよ俺はその辺の座布団を枕にして横になる。それを見た周りの連中も真似をして寝転ぶと、最後の皿を片付けに来たトウマの母は、何を言うこともなく部屋の電気を消して出ていった。
月明かりが淡く皮膚を染める。すぐ隣にいるルカの広い背中を眺めつつ、俺はあっという間に眠りについた。
夜中、ふと目を覚ますと、障子が開かれた縁側でトウマとルカが並んで座っている姿が目に入った。
何を話しているのかは分からないが、とても気楽に声をかけられるような雰囲気ではない。
トウマの横顔が一生懸命ルカに語りかけ、それにルカが何度も頷いている。
俺も行かなきゃ……と思っても、体は鉛のように動かず、どちらにとも判断できぬ嫉妬心を抱きながら、次の瞬間には再び眠りに落ちていった。




