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ギャラリーランコントル  作者: 津村
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同じ傷痕


 急遽トウマの家から夕飯に誘われ、閉店時間と同時に家中の戸締りを終えると、ギャラリーに鍵をかけ、みんな一緒に外へ出た。


 今夜は塾があるからと言う高城さんと駅で別れ、レッドローズクラウンを素通りし、三人で商店街を歩く。


 この道をルカと歩くことは、今や俺にとって、大切なリハビリでもあった。


 途中、青果店でお土産のフルーツを買い、男三人でギャアギャアと騒がしく土手を歩くと、自宅へ帰る路地よりさらに奥へ進み、勝手知ったるトウマの家に入った。


 トウマの家もうちと大差ない古い家屋で、場所が場所だけに、俺たちの祖父同士も幼なじみだったりする。まあ、よくある田舎あるあるだ。


 トウマが靴を脱ぎながら帰ったことを大声でアピールすると、即座にお勝手の方からトウマの母親と姉が出てきて、ルカを見るなり目を輝かせて駆け寄ってきた。


「やだー!噂通りのイケメンじゃない!ルカくん、ようこそ日本へ!」

「ほんとカッコいい!同じ人間だとは思えない!」


 二人は見ていて恥ずかしい程のハイテンションでルカに握手を求める。当のルカはこの反応にもう慣れたのか、いつもと変わらず頭を下げて挨拶をした。


 どうやらこの二人に、長男とその友人の姿は目に入ってないようだ。トウマは問題ないにしろ、俺の分の食事は果たしてどうなっていることやら。


「ルカくんって日本語話せるんだよね?私、こっちの方のミナトの姉で、ユウナって言うの!」


 前言撤回。単に俺たちへ視線を向ける時間的余裕がないだけらしい。


「こんな所じゃアレだし、中に入ってちょうだい」


 さすがこのトウマを生み出しただけある母親は元モデルで、姉もこの辺じゃお目にかかれないくらいの派手な顔をしている。そんな二人に脇を固められ、ルカは背中を押されるまま奥の座敷へ入っていく。


 すっかりルカの付添人となった俺たちも、王様に続けと座敷に入ろうとすると、

「あ、そうだ。あんたたち、お使い行ってきてよ。お醤油が切れそうなの」

 と随分なことを言いつけられ、面食らった。


 俺たちが王様の付添人というのは、どうやら勘違いだったらしい。実際はトウマ母の使い走りだったか。


 仕方ない、と、トウマと目を合わせる。


「あ。いつものじゃないわよ?一番高いやつね」


 ワイワイと盛り上がる座敷を背に、俺とトウマは今しがた脱いだスニーカーを再び履いた。






「ハルさ、ルカが来てから変わったよな」

「そうかな?」


 もうすぐ陽が落ちそうな夕暮れの中、向こうに見える商店街の灯りを眺めつつ、誰の姿もない土手を二人で歩く。


 そこかしこの家から漂う夕飯の匂いに腹が鳴りそうになり、途中で買い食いしてやろうと心に決めた。何がいいだろう。久しぶりに肉屋のコロッケでも買ってみようか。


「変わったというか、戻った感じか」


 こんな風にトウマと並んでここを歩くようになって、もうどのくらい経つだろう。


 同じような毎日がずっと続いていくループみたいな人生だったけど、きっと一年半後には、俺たちは別々の街で暮らすことになる。


 そう思うと、もう流されるがまま浮遊する楽な生き方も出来ないんだな……と、結局提出出来ないでいる、机の中にしまったままの進路調査票を思い出した。


 トウマは東京へ行くに違いない。運良くスカウトでもされれば、芸能人になるかもな。そしたら気安く会えなくなるし、俺のことなどすっかり忘れるだろう。そして俺はテレビなりパソコンなり、何かしらの媒体からこいつの活躍を静かに見守る。売れるか売れないかは運次第だけど、楽しそうにしていてくれれば、それに越したことはない。


「しかしさ、この前のハルには驚いたよ」

「なにに?」


 そもそもこの前って、いつのことだろう。


「なあ、ハル」


 俺の名前を呼ぶと、トウマは足を止める。


 束の間、せせらぐ川音だけが二人の間に響いた。


「お前さ、自分じゃ分かってないだろうけど、もう一年半も話題にするどころか、単語すら口にしてなかったんだよ」

「だから、なにを?」

「サッカー」


 夕陽を背にしたトウマの表情は、濃い影になって分からない。分からないけど、逆の立ち位置じゃなくて良かったと、心から思った。見たくない。俺にとってそれは、見てはいけないものだから。


 それからトウマは唐突に、記憶の奥の奥から、埃だらけのアルバムを引っ張り出した。


「お前はある日突然、東京から引っ越して来たんだ」

「どうした、急に」

「東京から来たくせに、友達作るのがすげー下手で、幼稚園でいつも一人だった」

「東京から来たくせにってなんだよ」

「それを見かねた俺が、サッカーに誘った」

「そうだったね」

「今だから言うけど、お前は最初から上手かった」

「そんなことないよ」

「教室じゃ静かで地味なのに、ボールを持てば、みんなが注目した」

「いやいや……」

「小学校に入ったら、南ふじしおクラブから声をかけられた。ジュニアじゃそこそこ有名なチームだったから、本当はお前だけが入るはずだったのに、俺が一緒じゃなきゃ嫌だって騒いだから、俺も入れた」

「そうだっけ?俺の中では、トウマの方が声をかけられた記憶なんだけど」

「中学に入ったら、とうとうクラブチームだ。クッソ辛い練習も、二人で文句を言いながら全部こなした。こなせたから、代表にもなれた」

「Uがついちゃうけどね」


 きっと今、俺たちは同じアルバムを見ながら、お互いの傷痕に手を伸ばそうとしている。傷を負った後からずっと避け続けていた傷に、触れようとしている。俺の傷はもう治りかけている。けど、トウマはどうだろう。俺がつけてしまったであろう傷は、もう塞がったのだろうか。それとも、まだ血を流し続けているのだろうか。


「なぁハル、どうしてさ、どうしてこんなことになったんだろうな……」


 その囁くように震えた声は、泣いている。


 どうしてトウマが泣かなきゃいけないんだろう。


 俺たちは、何ひとつだって悪いことなどしていないのに。


 そうだ。俺たちは一生懸命やった。


 ズルもせず、ライバルを蹴落とすこともせず、正々堂々やってきた。


 それなのに弾かれたんだ。


 努力が失望となって返ってくるなど、この世界じゃ別に物珍しいことじゃない。


 なのに、きっと俺は、未だにこの事実を受け止めきれないでいる。


 ワールドカップのピッチを駆け回る想像の中の俺は、もうとっくの昔に死んだというのに。



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