王様の存在
【4】
今年の梅雨は弱い雨がだらだらと降り続き、思えばまともに晴れてくれたのは、ルカに街案内をしたあの日だけだった。それからの暗くジメジメとした雨季の日本に、ルカは暑い暑いと嘆きつつもしかし、順調にここでの生活に慣れていっているようだ。
ギャラリーでの企画展が迫りつつある最近のルカは、昼間は搬入作業を手伝いつつ、夕方になると商店街まで買い出しに出かけ、レッドローズクラウンで暇を潰しながら学校帰りの俺を待つ……というのがすっかりルーティンになっている。
メアリーから怒られることもしばしばあるようだけど、画廊の仕事は思っていた以上に面白いようで、最近では無名の新人画家の話まで俺にしてくるようになった。
一方の俺はと言うと、一学期の期末テストが今しがた終了したところで、目の前ではトウマが他所のクラスだと言うのに、リラックスしながら憂鬱な空模様を眺めている。本来の机の主は廊下で部活仲間と陽気に笑っていて、自分の巣が占拠されていることなど露ほどにも気にしていない様子。
俺は黒板の上についている時計を見ながら、ルカと待ち合わせた時間に合わせるように、ゆっくりと帰り支度を始める。
「ハル、今日もバイトか?」
「うん。もうすぐ企画展なのに、今週はずっと休みだったからな。今日くらいは行かないと」
「お前さ、最近益々俺の相手してくれないよな」
「益々って、昨日も一昨日も夜遅くまでうちに入り浸ってたじゃないか」
「あれはテスト勉強だろ?じゃなくてさー」
「じゃなきゃなんだよ」
教室の前を通り過ぎていく女子たちが、律儀に全員トウマのことを見ていくものだから、無性にドス黒い笑いが込み上げてくる。
今頃言ってるんだろうなー「榛名くんって湊くんのいい引き立て役だよねー」って。そりゃこんな童顔かつ変な顔のやつが隣に座ってりゃ、大抵誰だってイケメンに見えるだろ。
いや、もしかしたら「榛名くんていつも湊くんの隣にいるよねー、あざとーい」かもしれない。そしたら心外だ。俺のクラスに来ているのはトウマの方だし、そもそもこの高校を選んだのも俺が先。
「それにハル、俺に何か言うことあるんじゃね?」
俺は直ちに女子の物真似を含んだ被害妄想をやめて、トウマを見る。
なんだ?その恋愛ドラマで恋人を脈絡なく突然問い詰めるみたいなセリフは。
「……言うこと?」
「ほら、そうやってすぐとぼける」
「何のこと?」
「お前とデートした奴のことだよ」
デート?
デートらしいことなんてここ数年……ああ、もしかしてあのことか。残念ながらデートじゃないけど。
「ルカのことか?」
「女なのか?もしかしてハルの彼女!?」
大声を出して飛び上がるトウマに、教室にいる全員が即座にこちらを振り返る。恥ずかしいからとトウマの腕を強く引っ張って座らせるが、周りからは突然湧き出た俺のスキャンダルに、熱っぽい視線が送られる。
「ち、違うよ、男だし!」
「男!?お前、そっちだったのか!」
「違うって!アメリカの文通相手だよ!メアリーの孫!夏休みだから来日してるんだ!」
俺は変な噂が立たないように、今までで一番なくらいの大声で喋る。
「文通相手?」
「日本語の勉強がしたいからって。近いうちにトウマにも紹介しようと思ってた」
「へぇ、なんだ、そうか」
なぜか安心したような表情のトウマに反し、途端に「なんだつまらない」とでも言いた気なクラスメイトの視線が方々へ散っていく。
「大体、そんな話どこから」
「雫から聞いた」
「あー……」
不意にトウマの口から飛び出た高城さんの名前に、俺は明確な心臓の萎縮を感じた。
二人に接点なんて無かったはずなのに、さらっと下の名前を呼び捨てか。いつの間に。さすが天下のモテ男。
「次の日には俺に報告してくれたよ。楽しそうだったって」
「楽しかったよ。デートじゃないけどね」
時間はまだたっぷりあったけど、トウマと喋る気もすっかり無くなり、俺はカバンの底から折りたたみ傘を引っ張り出して小脇に挟んだ。
「もう帰るのか?」
「じゃあな」
教室のそこかしこから「ハルにもやっと春が来たと思ったのに」などと言われながら廊下に出て、加速をつけながら階段を下る。途中ですれ違った職員室帰りの高城さんから笑顔で挨拶されたものの、心臓が浮つくことはなく、俺のすぐ後ろに王様のようなトウマの存在を感じた。




