主婦とアイドル
「おかえり、湊人。あら、その子もしかして?」
珍しくスカートなんか履いちゃってる母に、隣に立つルカが深々と頭を下げる。きっとこの日本的なマナーも、メアリーに教わったんだろう。
「初めまして。ルカと言います」
「いやだ、湊人からは女の子って聞いてたからビックリしちゃった。メアリーさんにそっくりじゃない。ルカくん、ようこそ日本へ」
来客用のスリッパを出しながら、母さんが芸能人でも来たかのように目を輝かせて、ルカに微笑みかける。
「良かったわ、今ちょうどレッスンから帰ってきた所なの」
「あー。ヨガ教室」
「ピラティス、ね。そうだ湊人、お昼は?」
「駅前でナポリタンご馳走になった」
「ご馳走って誰に?とにかくお茶を出すから、ルカくん、上がって」
客間に入ると、当然の様についてきたアトムがぴたりとくっつき、俺に寄りかかりながら今か今かとお菓子の到着を待つ。
「お母さん、若いな」
「そんなことないけど、ハタチで俺を産んだから、周りの友達の親よりは若いかな」
「へぇ。アンナは二十五歳で俺を産んだから、四歳年下か」
「じゃあルカって、今年十六歳?」
「そうだよ」
「そっか」
「どうした?」
「メアリーからは同じ位って言われてたんだけど、少し歳上かなって思ってた」
こんなにしっかりした体で高一か。やっぱアメリカ人は違うな。
「日本人は若いからな」
「体も小さいしね」
「確かに細い。ハルなら俺でも簡単に持てそうだ」
笑っていると母さんが入ってきて、アトムが急いで媚を売りに行く。
「はい、ルカくんお茶どうぞ。ここら辺はお茶が美味しくて有名なの」
「わぁ、綺麗な色!」
コップに注がれた爽やかな黄緑色に、ルカの瞳が反射したみたいに輝く。
「こっちのお菓子は、おまんじゅうね。中に甘いアンコが入ってるの。日本のスイーツの代表格と言えばアンコだから、食べてみて」
母さんはアトムにステイをさせながら、ルカの体に穴が開く位じっと見つめる。
そんな視線の中で冷えた緑茶を飲んだルカが「何だこれ!信じられない!お茶がこんな美味しいなんて!」と叫ぶ様子を見ると、母さんは満足気な顔で、犬用のおやつをアトムの鼻先に近づけた。
母さんがルカの英語を理解しているとは思えないけど、それ程ルカのほころんだ表情の前面に美味しさが表れていた。
「でしょ?ここのグリーンティーはレベルが違うのよ」
静岡産まれ静岡育ちの母は、こうして何かと外から来た人にお茶をお紹介しては、故郷の味に「他のとは違う」と頷かせる。無遠慮な程に推す姿は少し恥ずかしいけど、同じ静岡県民として、この味に感動してもらえるのはやっぱり誇らしい。
「それで湊人、お昼を奢って貰ったって、誰に?」
アトムは自分のおやつを食べ終えると、今度はルカに照準を定めて営業に行く。
「駅前の喫茶店、知ってるでしょ?あそこに行ってみたんだ。ルカがナポリタンを知らないっていうから注文したら、常連さんがいい食べっぷりだってご馳走してくれて」
「へぇ。駅前って言えばあのイギリスチックなところよね。また行ったら、ちゃんとお礼を言ってね」
「うん」
「こらアトム、貴方はおまんじゅう食べちゃダメでしょ!また太ったんだから!」
ルカへの必死のアピールも虚しく、母さんの鶴の一声で尻尾を下げて退散すると、アトムは大人しく母さんに寄りかかって座る。
こんなに素直なんて珍しい。と感心していると、アトムは母さんにバレないよう、最後の望みと言わんばかりに俺へ黒目がちに訴えるものだから、「やっぱりな」と心の中で笑いつつ、こっそり中身のアンコを分けてあげた。
「そうそう、アトムったらね、昨日の夜は「湊人が帰ってこない~」って一晩中玄関に居たのよ?ご飯はしっかり食べてたけど、帰ってくるまでここで待ってるって動かなくて。また一週間も帰ってこないと思っちゃったのかもね」
「そっか。ごめんな、アトム」
手のひらを求めるようにヒコーキ耳になった頭に手を置くと、アトムは目を細めて尻尾を振る。かわいい奴め。
「湊人、今夜は一緒に寝てあげて」
「うん。いびきかくなよ?アトム」
母さんはルカのコップにお茶を注ぎ足し、アトムを呼んで携えると、よそ様向けの笑みで「じゃあルカくん、ごゆっくり」と言って部屋を後にした。
「ハル、家出したことがあるの?」
主婦とアイドルが抜けて一気に静かになった和室に、ルカの声が柔らかく響く。
「違うよ。遠征とかでね」
「スポーツ?」
「いや。うん、ちょっとね」
そう不自然に誤魔化すと、ルカもそれ以上は立ち入らないでくれて、お茶がなくなると俺たちは来た道を戻って大型スーパーへ向かった。




