セピア色の歴史
マスターの手元を観察するルカに放置されてる俺は、やることもないから改めて店内を見渡してみた。
内装は丸みのある焦茶色のインテリアで統一されていて、まるで洞窟にでも入ってきたかのように窓の一つもない空間は、安心感とほんの少しのワクワク感を与えてくれる。ソファ席もカウンター席もツヤのいい革張りの椅子になっているから、学生が入るには少々大人過ぎる空間に気後れしてしまうけど、そんな中で控えめに流れるジャズは、高校生の俺にも心地がよかった。
ぐるりと一周した視線を間近に戻す。ふと視線を上げると、テーブルランプに灯された壁に、すっかり色褪せた新聞の切り抜きが貼られていた。
それはこの駅の完成が書かれた記事で、若かりし頃のマスターらしき人物が、店先の花輪の前で誰かと話している姿が端に写っているものだった。
この駅、と言っても今では懐かしい旧駅舎で、日付も俺が生まれるずっとずっと昔。
「この駅、覚えてる?」
注文した料理をテーブルに置きつつ、穏やかさと優しさがシワに刻み込まれたマスターが尋ねてくる。
「何となく。小さい頃はこんな感じの駅だったかな、ってくらいですけど」
「これね、かれこれ四十年も前の記事なんだ。剥がそうにも壁紙の色が白く浮いちゃって、今もそのままにしてあるんだよ」
「そんなに若い時に、このお店をオープンさせたんですか?」
俺とマスターの会話に、ルカがカウンターから戻ってくる。
「ここは元々、僕の祖父がバーをやっていたんだけど、僕が大学生の頃に倒れてしまってね。色々あって僕が後を継いだ機会に、純喫茶へリニューアルしたんだ。それがたまたま駅舎の完成と同じ日で、オマケで一緒に写して貰えたんだよ」
「おじいさんのバーはやめちゃったんですか?」
「ほら、バーだと夜が遅いから、寝不足になっちゃうでしょう?だから喫茶店。死に損なった祖父からすれば、健全すぎるって文句ばかりだったけれどね」
小さく笑いながらマスターがカウンターの中へ戻ると、常連らしい男性三人組が店に入ってきた。一気に店内が賑やかにり、店柄によく合う客が来たからか、心なしかBGMも張り切っているみたいに鳴りだす。
へぇ、そうか。だから喫茶店なのに窓もなくて、飲み屋みたいな造りになってたんだ。と、古びた切り抜きを再び見る。
生まれた時の写真すら色褪せていない俺の人生からすれば、この店のセピア色の歴史はとても格好よくて、魅力的なものに思えた。
「ああ、メロンフロートなんて久しぶりだな」
真緑のソーダの上に乗っかるバニラアイスをつつきながら、こんなの飲むの何年振りだろうと思い返してみる。すると、いつの間にか世界から消えてしまったかのように、自分の中からメロンフロートの存在が遠退いていたことに気づいて、なんだか複雑な気持ちになった。
「そんなの子供しか飲まないよ。大人になったらコーヒーだ」
ルカがこれ見よがしに自分の手の中にある黒い液体にストローを挿して、自慢気に俺を見る。
「なんて素晴らしい珈琲の発音なんだろう。どうだルカ、もう大人なら、ワークビザでも取って駅前で英会話の塾でも始めないか?」
ま、君のコーヒーにも俺と同じ形をしたアイスが載っかってるけどね!
「グレート!特別にハルにはプライベートレッスンをしてあげよう」
「やった!もうすぐテストなんだ」
「ハル、いいか?しっかり聞いてろよ?」
するとルカは気合いを入れる為か、冷たいコーヒーを一気に半分まで飲むと、テーブルに残されたメニューを開いて、片っ端からカタカナをネイティヴの発音に変換して読んでいく。
俺はアイスを小さくしつつ真剣に耳を傾けるけど、果たしてこれは英語の勉強なのか、日本語の勉強なのか。
「ブレンド、アメリカン、アイスコーヒー、カフェオレ、アイスティーと…ハル、ナポリ…タン?ってなんだ?」