高城さん
食事を済ませると三人で後片づけをして、メアリーはキッチンでケーキを作りだし、俺とルカはギャラリーの開店準備に取り掛かった。
準備と言っても、床を拭き、各種展覧会のチラシをキレイに並べ直して、メアリーの幼馴染が作った木製の看板を店先に出せば、もう完了だ。
「天気がいい日はドアをストッパーで固定して、開けっ放しにしておいて。ギャラリーの中はフローリングだから、奥にいても誰か来ると足音ですぐに分かるんだ」
「オーケー」
「それとうちのギャラリーは入場料を貰ってるから、お金はこのボックスに入れて。お金を貰ったら、この色鉛筆が入った筒をお客さんに渡してね」
段ボールに並べられた色鉛筆セットを見つめ、ルカが小首を傾げる。
「ギャラリーなのにお金を取るのか?」
「うん。企画展……つまりバイヤーに対してはフリーだけど、普段は入場料が必要なんだ。メアリーの意思はこう、『芸術を無料にすると諸々廃れる』」
「へぇ。けど百円なんてダラーより安い」
「普通のギャラリーは無料だから、どんなに安くても文句を言ってくる人はいるよ。でもそう言う人には、「ここの絵は売買目的で置いてません」って言ってくれれば、大抵は納得してくれる」
「オーケーしない奴は蹴り出せばいいんだな?」
「それってアメリカンジョーク?」
「俺はナンセンスじゃないよ」
平日の午前中とあって、やっぱり誰もやって来ないギャラリーでルカと喋っていると、ケーキをオーブンに入れたメアリーから暇を貰って、街へ下りることにした。
「さて、どこから行こうかな」
ギャラリーを出てきたものの、自分の住んでいる街を誰かに紹介するなんて初めてだから、何をどこから案内しようか悩む。
「まずは富士山だろ?」
そう言ってルカが横から肩で押してきて、びくともしない俺の体幹の強さに目を丸くする。
「ハル、マスキュラー!」
「ほらルカ、富士山ならそこら中から見えるぞ」
「富士山よりハルの体が見たい!」
「ナンセンスって言われたいのか?」
丘を半分ほど下った所から何となく住宅街が始まり、極めて洋風な日本家屋の小ささをルカに驚かれつつ歩いていくと、ふとコンビニの壁に寄りかかってる同級生と遭遇した。
休日だと言うのに彼女は制服姿で、右手にサンドイッチ、左手にはコーラを持っている。目が合うと思いきり逸らされて、両手に持っていたものを背後に隠されてしまった。
この微妙な距離に、挨拶をしようか迷う。向こうにとっては邪魔者だろうけど、一瞬でも目が合ってしまった手前、無視をするのも気が引ける。
「お……おはよう、榛名くん」
「あ、おはよう。高城さん」
困っていると彼女の方から声をかけてもらい、一先ず安心する。
「オハヨウ、タカギサン」
「おはようございます。えっと」
目の前の人物が誰かも分からないのに、爽やかな笑顔で高城さんの名前を発するルカに、俺も高城さんも目が点になる。
「ワタシはルカと言います。キノウ、ニューヨークから来ました。ニホンはハジメテです」
何故か急にカタコトで自己紹介をしだすルカを不思議に思いつつ、二人で高城さんの前に立つ。
「私はタカギ シズクです。ハルナくんのクラスメイトです」
ルカに引っ張られて、高城さんまでカタコトになるのが可笑しくて、でも絶対に笑えないから頑張って真顔を作る。どうして日本人はカタコトの外国人に対して、自らもカタコトになってしまうんだろう。かく言う俺も昨日、成田空港でルカと会った時に、そうなってしまった気がする。
「ハルナって、ハルのことだよね?」
見知らぬアメリカ人に話しかけられ、明らかに緊張している高城さんが、顔を赤くしながら頷く。
「カンジ、教えてくれる?」
「漢字?」
「そう、ハルの漢字。ハル、教えてくれないんだ」
「ああっ!漢字!そう言えば!」
昨日の夕飯後に教えると言ったきり、すっかり忘れて寝てしまったんだ。
「ルカ、それは後で俺が」
「大丈夫だよ、私ノートあるから」
高城さんは後ろに隠してたものをリュックの中に仕舞うと、代わりにノートとペンケースを取り出す。そして「ルカくんって榛名くんの友達?」と聞きながらキャップを外すと、スラスラと女の子らしい綺麗な字で俺の名前をノートの真ん中に書いた。
【榛名 湊人】
こんなに間違えやすい名前、まさか高城さんが書けるなんて思わないからビックリする。つき合いの長いトウマだって書けるか怪しいのに。