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ギャラリーランコントル  作者: 津村
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この夏のシナリオ

「おはようルカ。ここは日本だよ。日本の、メアリーおばあちゃんの家だ。分かるか?」

「おはよう…。ここは日本だ。おばあちゃんなんて言ったら、メアリーにガーニッシュのベーコンにされるぞ?」

「よし、頭の方も起きたみたいだ。天気がいいから、ブレックファーストは外で食べよう。着替えたらすぐに下へ来てね」

「オーケー」


 二度寝を心配したものの、十秒でジーンズに着替えたルカが、急な階段を無理矢理に追い越していく。そしてキッチンに立つメアリーに熱いハグで挨拶をすると、タオルを振り回しながら洗面所へ入っていった。


「ルカって目覚めがいいんですね。見た感じ低血圧そうなのに」

「意外でしょ?でも十時間以上寝るとダメみたい。休暇になると娘が電話で愚痴をこぼす」

「休みの日くらいイケメンの息子と出掛けたいですもんね」

「一人きりなんだから簡単なのにね。私なんて、意地でも起きない娘を二人も相手にしてたのよ?」

「戦いですね」

「絶対に負けられない、ね」


 メアリーから受け取ったサラダボウルを裏庭のテーブルに並べたところで、顔を洗ってスッキリしたルカがやってきた。昨日は暗くて見ることのできなかった裏庭の光景に、色素の薄い瞳が見開かれる。


「なんて綺麗な海と空だ…」


 雲ひとつない空に覆われた海は凪いでいて、暖かくて気持ちのいい風が庭を通り抜けていく。


「いい景色だろ?」

「うん。こんなにいい所なら、そりゃあメアリーも居着くよ」


 ルカは導かれるように海の方へ歩き出し、両手を広げて深く深呼吸をする。もうすっかり見飽きたいつもの場所なのに、ルカが立てば一気に気分は西海岸だ。


「ルカ、今日は何をするんだっけ」


 ティーセットを運んできたメアリーが、紅茶をカップに注ぎながらルカの背中に問いかける。


「まずは富士山を見に行く!もしも時間が余ったら、街を歩く!」


 俺はカトラリーを並べながら、メアリーに微笑む。共犯めいた二人の空気に、メアリーが無邪気にウインクした。


「ルカ、振り返ってごらんなさい」


「え?」と疑問符を浮かべて振り返ったルカが、俺たちから視線を上げると、庭へ出てきた時よりも更に目を大きくする。


「アメージング!」

「こちらがルカ様ご所望の、富士山でございます」


 俺が執事のように頭を下げると、飛び上がるルカがこちらに駆け寄ってくる。


「こんなに大きいのか!それに、近い!メアリーの庭にあるんじゃないのか?ハル、後で登りに行こう!」

「富士山は裾野が凄く広いから、近いように見えても実は遠いんだ。徒歩じゃまずムリだし、山開きもまだだよ」

「雪もないし、行けるよ!」

「ああ見えて四千メートルに届きそうなんだぞ?Tシャツ一枚で行ったら凍えるよ」

「そうよルカ、ハルの言うことを聞きなさい」


 サプライズが大成功して満足気なメアリーが、はしゃぐルカを朝食の席に座らせる。


 完璧な天気の下、霊峰と大海原に囲まれて、なんて開放的で優雅な一日のスタートだろう。


 嫌になる程ありきたりだった毎日が、ルカがやって来ただけでこんなに変化するなんて。


 昨日の朝はやたら飲み物が欲しくなる、一斤百円ちょっとの食パンで、なのに夜が明けた今日のパンは、しっとりな上にフワフワしていて、バターをつけなくても香り高い。そこに一昨日メアリーが作った無花果のジャムを載せれば、ああ、無限に食べていられそう。


 カリカリに焼かれたベーコンをフォークに刺しているルカと目が合うと、お互い自然と笑みが溢れた。


 これは奇跡だ。


 平凡で、特筆すべきことはきっとこの先何も起こらない俺の人生の中で、神様の気まぐれがイベントを発生させた。


 時間を巻き戻してみる。


 あの日、あの大雨の中、ずぶ濡れでこの画廊の前を通っていなかったら、この綿みたいなパンも、富士山を見てはしゃぐ友人とも、出会うことのない平行世界のものだった。


 この映画のようなワンシーンは、俺の努力で得たものでも何でもない訳だから因果も何もないけれど、だからこそ今は、神様の気まぐれに感謝しかない。


 きっとスクリーンを見ているだけの俺が、ルカの登場で主人公の友達くらいの役割を得ることができた。ルカの日本での物語が無事にエンドロールを迎えられるように、少しでも役に立ちたいと強く思う。


「何考えてるんだ?ハル」


 スクランブルエッグをフォークに載せて、ルカが俺を覗き込む。


「シナリオだよ」

「シナリオ?」

「そう。ルカのこの夏の物語を、どう面白くしようかなって」

「へぇ、何かいいアイデアでもあるのか?」

「考え中だよ」

「それは楽しみだな」


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