愛情表現
「未亡人って、まさかジョージさん……」
「末の娘がお腹に出来てすぐ、天に召されたの。不運な事故でね。あの時はとにかく急で大変だった」
「そうだったんですか」
ジョージさんのことは、古い写真を見ながらほんの少しだけ人柄を聞いていただけだった。
まさか早世していたなんて。
しかし、ルカのことにしろ、ジョージさんのことにしろ、メアリーとはほぼ毎日顔を合わせているのに、家族のこととなると何にも知らないんだな、俺は。
「だから俺もアンナの妹のクロエも、ジョージに会ったことはないんだ。大好きだったって言えるのは、アンナから何度も二人のエピソードを聞かされていたから。例えば、ヨーロッパでの長いビジネス帰りのパーティーで、ジョージが三時間もメアリーのドレスを褒め続けた、とかね」
「ドレスを?」
「そう。あの人、出張から戻ってやっと会えたと思ったら、ドレスしか褒めないの。ヘアメイクに二時間もかけたって言うのに、男の人は分からないのね。三週間前の髪型も覚えてないのに、何が「そのドレスは君の為に存在している」よ。あのドレスはオートクチュールで、私の為に作られたのだから当然でしょう?それなのに、パーティーの間中ずっと「世界で一番素敵なドレスだ、君にしか着こなせない」って。それをアンナは不思議そうに見ていたのよ。なぜシャワーを浴びておめかしをした母を褒めないんだ、ってね」
俯いて笑いを堪えるメアリーを見て、その時どれほど幸せだったのか伝わってくる。三時間も褒め続けてくれたんだ、きっとメアリーは嬉しかったに違いない。
「メアリー、ハルにジョージがメアリーを口説いたときの話もしてやってよ。ジョージを試そうと五時間も遅刻した話。あれ酷すぎて、何度聞いても笑えるんだ」
「いいえ、私はボーイフレンドに昔の男の話をする趣味はないの。だからもうジョージの話はお終い」
そう言うとメアリーはすっと立ち上がって、空いた食器を流しに移しだす。「手伝います」と俺が立ち上がるより前に「二人はゆっくり食べててちょうだい」と言い残すと、メアリーは俺たちを残して、機嫌良さそうにリビングへ行ってしまった。
「やっぱりハルとはそういう仲だったか」
メアリーの姿が見えなくなった途端に、ルカがニヤニヤしながらそう英語で呟くものだから、俺は慌てて否定する。
「ノー!」
「恋愛に歳は関係ない。そうだろ?」
「ノー!そういう問題じゃない。俺とメアリーとじゃ月とスッポンだよ」
「月って、ムーン?」
「そう」
「スッ、ポン……?」
「簡単に言うと、タートル。通じてる?発音分からないけど」
「亀だろ。月と亀って?」
「キレイな月と泥の中のスッポンとじゃ、物凄く違うってことだよ。ベリーディファレンス」
説明の仕方が悪かったのか、ルカは難しい顔で考え込む。スッポンがアメリカにもいるのかは不明だけど、英語で説明しようにも、アメリカっぽい上手い例えが出てこない。
「キレイな月がメアリーで、汚い泥の中の亀がハル……か?」
「そうだよ」
良かった、ちゃんと通じてるみたいだ。
「分からない」
「え?ちゃんと伝わってるでしょ?」
「ハルが汚い泥の中の亀なんて思えない」
「え。あ、違うんだ、それは物の例えで。つまり、美人なメアリーとこんな顔の俺とじゃ、不釣り合いってこと。不釣り合いっていうのは、アンバランス?アンマッチ?」
「分からないな」
ため息混じりにそう言うと、ルカはお喋りをやめて黙々とおかずを口に運ぶ。もしかしてルカに何か変なことでも言ってしまったのだろうか?
今さら後悔しても遅いけど、もう少し真剣に英語の勉強をしておくんだった。思えばこの一ヶ月、ルカへの第一印象ばかり気にして、ろくに英語の勉強をやってこなかった。
「そうだルカ、明日はどうしようか。何にもない所だけど、やりたいこととかある?明日は学校が休みだから、一緒にいられるんだ」
この微妙な空気を変える為に、俺は声のトーンを上げてルカに話しかける。ルカは唇についた半熟卵を親指で拭うと、ちょっとだけ考えてから口を開いた。
「フジサンが見たい」
「富士山?」
「そう。富士山。日本と言えば富士山だろ?新幹線で見忘れたから……って、どうした、ハル?」
ルカと交代して黙り込む俺を、ルカが覗き込む。
「うーん、富士山か……」
これは参った。
「富士山、ないのか?まさか爆発した?」
「そんな、縁起でもない」
またしても微妙な空気に、リビングで会話を聞いていたメアリーから、軽快な笑い声が投げ入れられた。