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七月二十八日  スズメ蜂

 七月二十八日

 今日も奴は天井裏から私を覗いている。窓を開け、洗濯物を干しながら天井をちらりと見ると、天井板の節穴に奴の眼球が確認できた。

 開け放した窓から、アパートの前で井戸端会議をする近所の主婦たちの声が聞こえてくる。町外れの神社の境内にスズメ蜂の巣ができて、小学生が襲われたらしい。

 スズメ蜂といえば、子供の頃に見た映画が非常に衝撃的だった。話の筋は憶えていないのだが、蜂の大群に追われた男女が小屋に逃げ込む場面だけは、いやに鮮明に記憶している。

 蜂の羽音、威嚇音、男の絶叫、女の悲鳴。男の肉を噛み千切るスズメ蜂の巨大な顎が、テレビ画面に大写しになる。そして一瞬の暗転の後、全身腫れ上がった男の死体が映し出された。それはまさに、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。幼い私はひたすら恐ろしくて、しばらくの間、あらゆる虫の羽音に怯えて過ごした。

 おかげで今でもスズメ蜂が怖い。まあ、毎年のように多くの死傷者を出す凶暴な危険生物なのだから、幼少期のトラウマを抜きにしても恐ろしい存在に違いない。

 その時、妙案が浮かんだ。スズメ蜂を天井裏に放って奴を抹殺できるのではないか、と。人が一人、営巣活動中の蜂に刺されて死亡する不慮の事故として処理されるだろう。死亡場所が天井裏ということで騒ぎにはなるだろうが、私は知らぬ存ぜぬをとおせばいい。後は、警察や世間が、変質者に覗かれていた気の毒な女として片付けてくれるだろう。

 早速、私は噂の神社へ向かった。緑深い鎮守の杜を抜け、朱色の鳥居をくぐる。杉木立の参道を進み、人っ子一人いないうら寂しい境内に足を踏み入れると、ブゥン、と戦闘機のような重低音が響いた。足を止め、目だけ動かして辺りを見渡す。

 拝殿の軒下に、貝殻状の模様をした茶色の球体がぶら下がっているのが見えた。球体の周りを数匹のスズメ蜂が飛んでいる。その内の一匹がこちらへ向かって来た。

 遠くからでもはっきりと聞き取れるくらい大きな羽音。それはもの凄い速さで私の鼻先に飛来し、カチカチと威嚇音を発しながら、前髪に触れるほどの至近距離を旋回した。

 黄色と黒の警戒色がいやおうなしに恐怖心を煽る。その禍々しい形態が何度も視界をよぎり、硬質な風切り音が何度も耳元をかすめた。少しでも動いたら即、攻撃されかねない。完全に逃げる機会を逸してしまった。

 息を止め、かたく目を瞑り、『私は死体、私は死体、私は死体……』と念仏のように何回も自分に言い聞かせる。スズメ蜂はサディストさながらたっぷりと時間をかけて私をいたぶった。

 一匹でこの恐ろしさ。蜂獲り名人の真似をして殺虫剤とゴミ袋を持参したものの、捕獲などとうてい無理だ。そもそも巣に近寄ることすらできない。

 作戦失敗だ。

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