2話 江戸川区
東京都23区の1つ江戸川区、千葉県と川ひとつで分けられた地域であり都内で最も安全と呼ばれる吸血鬼の出ない地域だ。
と言ってもそもそも、日本には吸血鬼は少ない。私の家を襲った吸血鬼はいわゆる成り損ないの雑魚、グールである。人は血を吸われきると吸血鬼に殺される、だが血が少し残ると人と吸血鬼の間の化け物となり、逆に吸血鬼から血を与えられると吸血鬼になる。
日本支部で現れる殆どの怪物は食べカスのグールであり、吸血鬼は少ないのだ。その理由は勿論ある。私達日本人の主食が米であるように、彼等の主食は白人だからだ。
元々、日本に吸血鬼は居なかった。しかし第二次世界大戦後、吸血鬼が流れ着いてきた。
日本人は黄色人種、血の味は違うらしい。だが1部の偏食家が住み着き、増殖したのだ。その吸血鬼達が厄介な事に貴族と呼ばれる吸血鬼で、日本は対応出来ずに吸血鬼討伐に関して2000年以上の歴史を持つヨーロッパ連合と同盟を結んだのだ。
そこで吸血鬼の殺し方、吸血鬼の弱点、兵士の育て方を学んだのだ。そこから80年、今は2030年。日本の吸血鬼討伐軍は世間への公表を隠せる程度には吸血鬼達に対して戦えている。
そんな軍で、私は鬼殺部門へと属す隊員となって4年がたった。新人の損耗率4割と聞いた時は冗談だと思ったが、本当の事だった。私は最初、上には上がいるもんだと考えていたのだ。
だが、私は思ったよりも天才だった。吸血鬼と戦う才は、私以上の人は残念な事に見た事が無い。ならば私はさぞかし高い階級だと思うだろう、でも私の階級は下から2番目である8等鬼殺官である。
階級は下から10等鬼殺官から1等鬼殺官、上等鬼殺官、特選鬼殺官、更に上に紋字という階級があり、最上階級の紋字は何かしらの字を1字もらうらしい。なので全部で13段階の階級がある。
ちなみに、軍学校卒業の成績によっては7等鬼殺官から鬼殺官になる者もおり、歴代最強と言われる日本支部長の織田信英は最初の階級が5等鬼殺官だったらしい。
なら私はなぜこんな階級で、こんな左遷とも言えるような地域に居るのか。答えは簡単だ、殆ど誰も私が強いのは知らないからだ。何故隠すのか。そんなのは決まっている、死にたくないからだ。
私の今の年給は250万円程、19歳には十分過ぎる額だ。ちなみに紋字は1000万を優に越えるらしいが、私には関係ない。私は最低限、生きて行ければ良いのだ。誰からも愛されず、誰も愛さない孤独な人生なのは目に見えているがそれが人の生き方の1つなのだと私はグールを殴り殺した時に理解した。
強いなら負けないんじゃないのかと思うかもしれない。だが鬼殺官達の中にはこんな言葉があるのだ。
『男爵と戦い死ななかった者は子爵に殺され、子爵で死ななかった者は伯爵に殺され、伯爵で死ななければ公爵に殺され、王には誰も勝てない』と。
日本支部歴代最強と言われる日本支部長ですら伯爵をギリギリで倒し、その鬼殺官としての現役を終わらせられたのだ。王というのは噂話でしか聞かないが、公爵に関しては実在する。5人の吸血鬼の頂点であり、既に2人が討ち取られている。なお、ヨーロッパで引き換えにした人的資源は3万人とも言われているが。
そんな化け物と戦うのは嫌だ、私に才能があるのは分かっているが世界は広い、他にも才能を持った人はいるだろう。才能を使うかどうかは、私が選ぶ事なのだ。仮に授けた神であろうと、指図されて決めることではない。
今日も今日とてワラワラと沸いてくる雑魚を倒し、報告をして帰宅する。こんな事でお金が貰えるのなら、安いもんだろう。
☆→→→→
「今日も敵は無しか」
報告を受けるが、相変わらず江戸川区は平和な地域である。定期報告を東京の総司令部に送る時期だが、あまりの被害の無さにもはや驚きも隠せない。都内で極楽があるのはこの地域だけど言われるだけはあるだろう。
「今月の江戸川区全体でのグールの出現数は7、吸血鬼は1です。その吸血鬼でさえレートはE、10人もいればこの地域はカバー可能でしょう」
仮初の極楽と平和であるが。今月の吸血鬼数は1なのは間違いない、だが本来のレートはCである。グールも出現数は5倍違う、この地域は3人でカバー可能?笑わせる、40人は必要な地域だ。
そもそもこの地位で最高位の階級ですら3等鬼殺官なのだ、Bレートに出逢えばどちらが勝つかわからない程度の実力だ、大したことは無いのだ。ここには最低でも上等鬼殺官は必要なハズなのだ。
「そうか、総司令部にはそう伝えてくれ」
だが、そんな事は言わない。市民を危険に晒すのか?と問われたらそれは違う。この地域ではむしろ1人の鬼殺官だけでカバー出来ている、それも下から2番目の階級の鬼殺官で。
視察官様が帰宅して5分後、約束通りに彼はコンコンとドアを叩き入室する。
「……入れ」
入って来たのは19歳の青年、覇気らしいモノは何も感じない。まさに下から2番目の階級の人間というイメージしか無い。
「来たか、明仁」
沢村明仁、本来ならばこの程度の階級に収まる器では無い鬼殺官である。
「明仁、君がここに来てもう4年か……この江戸川支部は元々、吸血鬼の出現数は少ない場所だった。しかし年に20を超える吸血鬼は確認されている地域だった」
今回、彼を呼んだのには理由がある。この江戸川区は平和そのもであり、人的被害なぞあってないようなものだ。在籍中の鬼殺官の数は25人、そのうち新人は12人。この新人達はすぐに入れ替わっていき、どこかの支部に行く。ここは安全地帯と思われるが故に新人の肩慣らしにちょうど良いと思われ始めているのだ。
「だが、今では都内で最も吸血鬼の現れない地域となった。君の担当する西エリアは特に顕著であり、年に吸血鬼が4,5匹現れるかどうかという程度だ」
長々と話したが、もう何が言いたいかも彼は分かっているようだ。
「……そろそろ、隠しきれんぞ」
明仁は彼の担当する日に9割以上の敵を屠っている、吸血鬼もグールもだ。彼の担当する西エリアで、彼は下水管から吸血鬼やグールを誘き寄せる方法がありそれで誘き寄せた敵を全て滅殺しているのだ。
吸血鬼やグールは死んだら灰になり、その灰を川に捨てる事で何も無かったことにしているのだ。だが、限界であった。視察官も疑いを持ち始めているのだ、何故か?それは隣合う他の区から逃げ込んだ吸血鬼やグールの数が合わないからだ。100匹逃げ込んだ吸血鬼やグールはどうなった?行方不明のままだ。既に殺されているのにだ。
今はまた戻ったのでは?と誤魔化しているが、全て倒しているのではどうやっても数が合わないのは当たり前である。
だが、私は彼に対して逆らえない。
「なら、私も軍のお金を横領している事を隠しきれませんね」
弱みを握られているのだ。基本的に鬼殺官は二人組みのパートナーを組むことで倒した吸血鬼やグールの数を誤魔化す不正を防いでいる。しかし、彼は過去に先輩上司2人を丸め込み全ての手柄を先輩上司へと送っていたのだ。
そして先輩上司2人は、他の地区で死んだ。上がった階級と不釣り合いな実力だったのだから当然だろう。だが、明仁に内々に消された可能性もゼロではないのだ。
「まさか……力ずくで勝てると思ってますか、気孔法を完全に会得出来ていない貴方が」
気孔法、それは鬼殺官が人であるが故に身に付けた技術である。
植物の葉の裏には孔辺細胞という口のような細胞がある。それは体内の水分が逃げる蒸散を防ぐ為に閉まるという特徴があるのだが、それは人間にもある。
細胞と細胞の間から、人間の生体エネルギーは常に放出され続けている。そこで無駄に浪費されるエネルギー量は約82%と言われ、気孔法はそれを孔辺細胞のように閉じてエネルギーの無駄遣いを行わない武術の1つである。発祥はヨーロッパであり第二次大戦後伝わり、これを行う事で人ならざる怪物とも人は渡り合えるのだ。
そして、彼は……吸血鬼も超えた化け物だ。気孔法を扱えもしないくせに……強い。それこそ、上等鬼殺官は下らないはずだ。
そんな彼と戦う?冗談は止して欲しい、私が過去に見た中で最強であったAレートの吸血鬼レベルの力が欲しいところだ。でなければ安心して殺す事も出来ない。
「何故だ、何故君はそこまで昇級を拒む?」
「死ぬリスクが高まるので」
確かに、階級が上がればその分の強敵が襲い掛かってくるだろう。だが金の入りも悪くないのだ、そう言っても彼には関係ないと毎回断られるのだが。
「なら、隠密部門にでも入れば良いだろう」
「2012年 突如現れた吸血鬼によって起こされた隠密部隊壊滅の事件をご存知でしょう、私は剣を持てない部隊に入る気はありません」
これも以前から言っている。彼は「自己防衛できないから」隠密部門への異動を拒んでいる。武器をもてないのだ、隠密部門はあくまでも事後処理が仕事であるから。そして2012年に起こった悲劇で多少の武装を認められたが、それでも雀の涙程度である。吸血鬼と戦うには心細すぎる。
「……分かった、だが階級はやはり上がってしまうぞ」
「その時はまた敵前逃亡をするのでお構いなく」
そう言って彼は部屋を出る。
平気でこんなことを言ってしまえるこの男は、何故のうのうと生きていられるのだろうか。何故、その力を振るうべき場所で振るわないのか。
1度だけ聞いた事がある。だが分かったことは、二度とそんな事を聞いてはいけないということでだけであった。
吸血鬼
2000年以上前から人類を餌としている怪物。主な武器は鋭利な爪と怪力、レートが高くなると飛翔能力を有する。
グール
吸血鬼に中途半端に食べ散らかされた人間の成れの果て。吸血鬼の唾液から分泌される物質から死体が変異した存在、吸血鬼程では無いが一般人には脅威である。