第7話 張作霖と一旗組の時代
「じゃあ馬賊と言うのは、みな中国人なんじゃないんですか?」
「いえ、それは限定できないんです。しかし基本は、清王朝崩壊後に各地で立ちあがた中国人たちの総称であり、その頭目たちもまた、中国名を名乗る。当然中には、中国名を名乗る日本人たちも沢山いたのです」
「日本人が…」
中国人のふりをして、戦っていたなんて。
「断っておきますが、彼らはあくまで民間人で、当時の日本政府が派遣した工作員とは毛色が違います。やがて関東軍に凌駕され、多くが大陸を去ることになりましたが、彼らは純粋に現地人と同じく、義挙に参加した人たちです」
ある意味では明治維新の余波、と言っていい。彼らの多くは、明治維新後、日本での栄達を諦め、光明を求めて単身、大陸の動乱に身を投じた人たちなのだ。
「一旗組と称した彼らの目的は、立身出世ではありましたが、その第一義は、満州の自治と独立でした」
と、僕がまだぴんと来てないのをみすました武下さんは、話題の矛先を変えるように問うた。
「ちなみに秀平さんは、『張作霖』と言う人の名前くらいは習ったことがあるでしょう」
「え、ええ」
確か、満州事変で爆殺された人物だ。当時、満州に進駐していた日本の関東軍の仕業と言われているが、一説にはこの事件が、日本が突入してしまった泥沼の大戦の入口であったと書く人もいる。
「うん、君は知っている方ですね。ではこの張作霖が馬賊だった、と言うことは知っていますか?」
「い、いえ」
気にしたことはなかった。何しろ、外国人の政治家だ。しかし、考えてみればこの張作霖と言う人物、孫文の辛亥革命にもさっぱり登場しないのに、満州事変に到ってぽつんと出て来て、ただ爆殺されたと言うのは何故だろう、考えてみれば不思議だ。
「この張作霖こそが、馬賊時代の随一の風雲児だったんです」
満州流民の子として産まれた作霖は貧しい平民だった。それが馮麟閣と言う大馬賊に見い出され、一躍満州の支配者と言われるまでの軍閥の長に上り詰めたとされる。
「作霖は生涯、文字の読み書きも出来なかった人でしたが、人心を掴む能力に長けていたとされます」
日露戦争後、台頭してきたこの張作霖に目を付けたのが、日本の関東軍だった。
「戦争後の満州特殊権益を獲得したい関東軍は、この張作霖軍閥が作る独立政権の後ろ盾をしたんです。これがのちに愛新覚羅溥儀を擁立して起ち上げた満州国の原型になります」
その名前は聞いたことがある。いわゆる傀儡政権と言うやつだ。
「当初、日本政府は満州問題には、不干渉の方針でした。何しろ清王朝なきあとの中華民国を作り上げた孫文自身が日本と関わりが深いのをみても分かる通り、日本はこの新しい革命共和国を支持していたのですから。にも関わらず、張作霖を支援することは、いわゆる二重外交になります。現地の馬賊たちがいかに強い影響を我が国の外交に与えていたのか、推して知るべし、でしょう」
張作霖は関東軍の後ろ盾を得て、一時期は満州の支配者と言われるまでにのし上がったと言う。まさに時代の風雲児だ。
「しかし満州鉄道の利権を独占したい関東軍とトラブルを起こし、結局、張作霖は謀殺されました。それが満州事変と言う事件の正体です。これを関東軍の暴走、と片付けるのは簡単です。が、馬賊と言う存在の理解なくしては、当時の大陸史を把握するのには、画竜点睛を欠く、と言っていいでしょう。…日本にとっては、昭和史を代表する時代の徒花、それが馬賊だったのです」
(あの大じいちゃんが馬賊)
あまりに壮大過ぎる大陸史の広がりに、一瞬少し気が遠くなった。ひ孫の僕には、
「風来坊だ」
とか、適当なことを言って笑っていたが、あれは嘘でも誤魔化しでもなかったのだ。
武下さんも苦笑する。
「大おじいさまの言われたことは、本当でしょうね。馬賊の本拠地は大抵、深い高粱の拡がる原野の果てや、人里離れた深山の洞窟にあったそうです」
日本人で馬賊になった人間は、恐ろしくか細いつてを頼り、そこへたどり着くそうな。匪賊と言われる盗賊たちばかりでなく、熊や満州虎(アムールトラのこと。かつては棲息していた)などの野生動物もうようよしている中を往くのだ。
そして訪ねる先は、現地の武装勢力。三代下ってただの暑苦しい顔の僕が、想像できようはずもない。よく生きていた、を通り越して、ほとんど現実離れしている。なんて人だったんだ。
「張作霖は、正規の軍人にのし上がった際も、配下の馬賊たちをそのままに、山野に潜ませました」
そしてその統率を、弟の張宗昌と言う将軍に任せたと言う。ここに多くの日本人義勇軍が参加した。
「首謀者の多くは終戦と同時に戦時犯として囚われ、現地で処刑されましたが、運よく本土へ帰って来れた人たちも沢山います」
そしてその出身者はやはり、維新の幕軍の藩出身者が多いと言う。東北、または北海道、正規の軍人たちとは違い、横のつながりの薄い彼らはまとまった実態記録を遺さずに戦後、世を去った。
「被災地でも、多いですよ。私たちが保護を目的にするのは、主に中世から近世と言った江戸時代までの資料が多いですが、秀平さんのように隠された戦中史を持っている方の記録が発見されるケースも少なくないんです」
確かボランティアの方でも一人いたな、と武下さんは、考え込む仕草をしていた。
「でもまさか、あんなものから見つかるなんて…」
その件については武下さんも、返す言葉がなかった。なんと、拳銃の弾丸だ。と言うことは、曽祖父は現地から拳銃を持ち帰っていた、と言うことになる。
「さっきも言いましたが、馬賊はあくまで私人です。戦後、GHQの命令で武装解除がなされ、銃火器、日本刀、サーベルなどの武器は残らず回収されたと言われますが、これらは公的に記録が残る官給品ですしね。当時の正規軍の将校でも、拳銃や日本刀は私物、と言うケースがあります。違法になるのを承知で秘蔵した、と言うことは、個人的な思い入れが強い品だと言うことが、多いですね」
「個人的な思い入れが強い品、ですか…」
思わず反芻しながら僕は、ふいに天井に空いた弾痕のことを想った。