第5話 曾祖父の知られざる過去
問題の書類はやっぱり、居間では見つからなかった。僕には、曽祖父の声が聴こえない。肉体を喪った今だって、じりじりしているはずなのに。
次は、仏間の奥の書斎だ。幼い頃からここは、立ち入りを許されなかった場所だ。北側の暗い影を落とすこの場所は一段低い場所にあって、昼下がり、そして真夜中、曽祖父はここによく籠った。
曽祖父は学歴はなかったが、文理系ともに博学だったらしい。雑多だが、書庫には僕たちがゼミで読むような昭和史の文学の研究書から歴史書が揃っていたし、農業や農業機械の実用書やら、機械工学の本まで充実している。戦後すぐに農業機械の会社を興した研究心は、半端なものではなかったみたいだ。
大正生まれの人なのに、パソコンにも果敢に挑戦していたし、向学心は見習うと言うレベルを越えている。
インターネットを習得してからは、また交際が広くなったらしかった。この書架にいくつか収まっているが、戦時中史を編纂して、自費出版までしていたそうな。執筆のためか、かなり専門的な資料までも買い揃えてある。陸軍や海軍など軍人会に所属していた人たちには同期会などがあったらしいのだが、軍歴があったと聞かない曽祖父もそんな活動をしていたのだろうか。
必要な書類と言われるものも、印鑑証明を取ってあると言う実印も、すぐに見つかった。一番大きな引出しに、綺麗にまとめてあった。封筒は、顧問弁護士事務所のものだ。もうお昼だった。おまけがいるが、ご飯は久しぶりにここで食べよう、と思った。
「おーい二水!もういいよっ、見つかったあ。もう見つかったから!」
と、僕が言いかけたときだ。
「ああっ先輩いっ、これ先輩のひいおじいさまじゃないですかあっ!?」
二水が大声を張り上げながら、こっちにやってきた。馬鹿でかい声だ。僕は思わず、尻餅を突きそうになって、仏間の柱にぶつかった。
「蔵で発見しましたよう!先輩に、そっくりですう!」
ずいずい写真を突きつけられて、僕は戸惑った。僕の見慣れた顔かと思ったら、桁違いに若い曽祖父の顔だった。セピア色の小さな、昔の写真だ。ぎょっとするくらい曽祖父は、今の僕に風貌がそっくりだったのだ。
「そ、そんなのどこにあったんだよ」
「蔵の中です。二水が整理なんかしなくても、すっごくきちんと、管理されてましたよう!」
どさどさと二水は、埃くさい写真帳を僕に手渡してくる。
「ほらこれもっ、見て下さい!目元とか、鼻筋の感じとか、ま・さ・に先輩!そのものじゃないですかあっ!」
「ああ、う、うん」
まあ見ればなるほど、と言う感じではある。曽祖父の顔型は、大陸では龍顔と言われる、縁起のいい顔相だったのだ。顔形で運命を占うのは日本でも幕末あたりには流行ったもので、戦前にはヨーロッパでも骨相学として研究されたらしい。
すなわち龍顔は、額が秀であごが長く、両眼の切れ長と鼻筋の高さで、ちょうど綺麗なTの字になると言う。縁起物に描かれている龍の感じまんまだ。例えば前漢の太祖、劉邦などがこの龍顔だったようでとても珍重されたそうな。曽祖父はそれで(もてて)、大陸では随分いい思いが出来たと、酔うと自慢をしていた。
だがこの龍顔、三代経ると、ただの暑苦しい顔だ。証拠に鏡に映る僕の眉毛は剛毛だし、庇の深い目は、奥目とまではいかないけど、よく無駄な情報量が多い顔と言われる。
しかも道着の似合う顔らしく、初対面の十人中十人が、柔道家、と言う仇名をつける。お陰で中学から高校まで、本当に柔道をやってしまったじゃないか。しかもひどいのは、それで特にもてた、と言う記憶のないことだ。そして後をついてくるのはこの二水みたいな、マニアックなキャラの女の子くらいである。
「ひいおじいさまは、大陸にいらっしゃったのでしたね。これは、戦前の中国のお写真が多いようですねえ」
と、二水に写真帳を渡されたが、こんな曽祖父初めて見る。
若い頃は本当に、軍人でなかったら何をしてたんだろう、と言う感じだ。例えば毛皮に小銃で武装している写真もあれば、中華服など着て、当時のキャバレーのボックス席などに得意そうにはべっている写真もある。寄り添っている人たちも現地人の女給さんか何かか、見るからに水商売風だったりする。本当に本人が言ってた通り、まんま風来坊だ。
「もしかしたら『満州馬賊』かも知れないですねえ、ひいおじいさまは」
二水が聞き慣れない言葉を言ったのは、そのときだった。僕は思わず眉をひそめた。
「馬賊?」
日暮里駅前のラーメン屋のことだろうか。
「先輩はご存知ないですか?清王朝崩壊後の大陸はまさに、馬賊と言われる人たちの時代だったのですよう」
二水はかわいい握り拳をそれらしく振ると、いかにも昭和な節回しの歌を唄った。壮士節っぽいが、メロディにどことなく哀愁のある曲調だ。
俺も行くから君も行け
狭い日本にゃ住み飽いた
御国を出てから十余年 今じゃ満州の大馬賊
亜細亜高嶺の間から 繰り出す手下五千人
「全然知らない」
と、言うかなぜ知ってる二水?
「当時、この歌が流行ったのですよ。これは大正十一年の作ですが、例えば作家の司馬遼太郎さんなども、いずれは馬賊となって大陸に渡ることを夢見て、大阪外語大学でモンゴル語を専攻したと言われております」
「そうなんだ」
こう言う話をし出すと、二水は止まらない。すっかり、スイッチが入ってしまった。
「司馬さんばかりではありません。馬賊と言うのは大正から昭和初期にかけて、子供たちのヒーローだったようです。いやまさか、二水憧れの先輩のひいおじいさまがあの馬賊だったとは!来た甲斐がありましたです!」
「そ、そう。良かったなあ。うん、良かった…」
どうでもいいが、暑苦しいぞ二水。大体いまいちこの子の感動が、僕には伝わってこないじゃないか。
「とにかく気に入ったものあったら、持ってっていいから。とりあえず、ここでお昼にしようか。なあ二水」
と、そのときだ。
ずいずい迫って来る二水と僕の間に、ぽとりと何かが落ちてきた。天井にぶつかった蠅か、それとも蜘蛛の類いかと思って見てみたが、そのどちらでもなかった。黒く変色した椎の実型の金属片。僕はそれを拾い上げると、反射的に天井を見た。思わず息を呑んだ。
(なんだあれ…?)
仏間の天井板に、黒く焼け焦げた穴が開いていたのだ。二水は地面に墜ちたそのものを、無心に拾い上げると、包み隠さずに言った。
「…弾頭ですねえ」
銃弾の痕?
まさか。僕は、幼い頃からの記憶を懸命にたぐってみた。この仏間の天井は、何度も見上げている。ここに布団を敷いて夏休みのたび、何度泊まったか判らないほどだ。でも、
(あんな痕はなかった)
僕は無心に、弾丸をいじくっている二水を愕然として見つめていた。