第3話 後輩の二水は
ちなみに帰郷は僕にとっても、二年ぶりになる。ついに誰もいなくなってしまった場所だ。曽祖父と住んでいた祖母も被災してからは、福島市内の大叔父の家に住むことになったからだ。
「あ、海ですねえ」
二水は、思ったことをすぐに口に出すタイプだ。ただここを初めて訪れる人たちにしてみれば、見晴らしのいい場所に立ったときに最初に目につくのはこの海に違いない。北茨城と隣接するこの街は、山の裂け目から拡がる扇状地がそのまま中洲となって、海へ滑り込むように傾斜しているのだ。
車を走らせるごとに、寂しい懐かしさがそこにある。子供の頃の夏休みの思い出は、ほとんどこの海神町の実家へ遊びに行った思い出だ。仲のいい友達も連れて行ったことがある。そんなとき曽祖父は知り合いの漁師に話をつけて釣り船を出し、海釣りに連れて行ってくれたりもしてくれたのだった。
春からの警報解除で、人口も戻り始めているらしい。まだ空き家もみるが、通りすがる車や人も少なくない。野鳩の群れが日向に群れて首を傾げたりしているし、塀の上の三毛猫はのんびりうたた寝をしていた。よく晴れた昼下がりだ。
僕たちはさっき、駅前商店街の入口で営業していたスーパーでお弁当を買った。二水はウナギのちらし弁当で、僕は若鶏の照り焼き重弁当だ。
「ごめんな、お礼に夜はちゃんとしたお店でおごるから」
「いえ!本当、二水は好きでついてきただけですから!」
(好きで、か)
僕はちょっと、返答に窮してしまった。考えてみれば、男女二人きりだ。いやずっと二人きり、と言うわけではないけど、そう意識するとどこかこそばゆい。年齢は一個下だけど、二水はどっちかと言うと僕の歳の離れた妹みたいな感覚なのだ。
二水はちょっと十九歳には見えない。せいぜい中学生だ。背丈はちんまりしてて、夏休みの小学生みたいに浅黒い。綺麗に秀でたおでこに前髪をぴっちり切りそろえていて、短めの後ろ髪を無理やり三つ編みで結ってある感じは、とてもあどけない。
初めに会った時、彼女はリュックサックに、あふれんばかりの古書を詰め込んでいた。どうも常時それを持ち歩いているらしい。それが全部、江戸川乱歩、甲賀三郎、夢野久作、海野十三、坂口安吾、小栗虫太郎と言った戦前の探偵小説ばっかりだったのだ。
皆がどん引きする中、割りとこの手の本に興味があった僕が、
「お、海野十三。この『遺言状放送』って短編、面白かったよね」
とか少し話を合わせたら、すっかり懐かれてしまった。確かにかなり普通の子とは違う感じがあるけど、僕はすぐに二水のことが好きになった。もちろんロリコンではない。あくまで、幼い妹感覚として、である。
ちなみにそんな僕たちは本来は、文学研究のボランティアでここへ来た。被災後、幾度も催されている古文書復元のボランティアである。二水の高校の恩師が、旗揚げのときからの主要メンバーの一人で、二水自身も高校生のときからすでに、何度も参加しているらしいのだ。
「先輩のうちも、旧いおうちなのですよねえ」
「うん、土蔵とかもまだ残ってるなあ」
秀平家は、江戸以来の庄屋のうちだ。古文書と言えば、小作の貸付なども永い間していたらしく、元禄年間の帳簿やら日誌やらも残っている。
うちの土蔵も、高台にあるので津波の被害はどうにか免れたが、地震で中はぐちゃぐちゃになっており、土蔵の扉を開けるのが正直、怖い。何年か前、曽祖父の様子を見に戻った折にちょっとだけのぞいてみたが、思うように片付けが進んでいないのが現状だった。
「じゃあついでに、お片づけはお任せ下さい。二水は慣れてますからー」
「そんなことしなくてもいいって。うちの蔵、すっごかったから。鼠だって出るし」
「そうですかあ…」
二水は、みるみるうちにしゅんとした。なんか悪いことした気分になった。僕の旧家についてくると言うので、やっぱりちょっとは期待していたのだろう。それに多少、名家自慢とかもしてしまったし。
「…掃除するとかじゃなくてさ、見たいものがあったら、自由に見ていいよ。必要なものがあったら、持ってってもいいし」
「ほっ、本当ですかっ!?」
すると二水の顔が、ぱっと明るくなった。僕は笑顔を作って頷いた。
「本当だとも」
分かりやすい子で、助かった。この際、現金すぎると言う言葉は胸の奥へ、仕舞っておこう。