第16話 ようやく突き止めた真相
確かに何年も前から、曾祖父は終活をしていた。結局、途中になってしまったが、資産整理もその一環だった。実際、僕が回収した書類には、弁護士の指導のもとに作成された遺書なども見受けられたのだった。
肝心の遺書については、自宅や会社の土地、先祖代々所有の山林など、それぞれの処理の方法などは事細かに指示してあったが、もっと個人的なこと、例えば言い遺したいことなど、そんな手紙は遺したりしなかっただろうか。僕は遺書の束をもう一度整理したが、そんなものはやはりなかった。自分のことは、とことん語らなかったのが、曾祖父だったのだ。途方に暮れていると、
「…先輩この中には何もなかったですよう」
ばさばざと、二水が袋の中身をぶちまける。粗忽なやつだ。
「おい、ごっちゃにになっちゃうだろ」
そこには遺書をはじめとして曽祖父が晩年保管しておいた手紙の束がそのまま、拡げてあったのだ。
「わわっ、すみませんです先輩!」
「気を付けろって」
僕がぶつくさ言いながら、二水が上にぶちまけたものを選別しているとだ。古くなった角三号の封筒の束に混じってひとつだけ、青色のレターパックが入っていた。宛名は大叔父のところである。まさか、まさかだ。
中には遺書らしき手紙とともに、表紙の革が朽ちかけるほどに古くなった手帳が一冊、仕舞いこまれていた。濡れたり、汚れたりしないように留め具付きのドキュメントケースで保護する念の入れようだ。
遺書のタイトルは、とても個人的な内容だった。
「とき恵墓所のこと」
(誰のことだろう)
親戚の中にとき恵と言うおばは、いない。電話して直接聞いたが、祖母もやはり知らなかった。困っているとそのとき祖母の近くに居た大叔父が僕に、言った。
「じゃあ、除籍謄本を見てみろ」
そうだ、相続関係を証明する書類として、僕は役所で謄本をとったのだ。除籍謄本は現在の電子化する以前の手書きの謄本をデータ化したもので、明治初期頃まで家系を遡ることが出来る。手書き文字なので読みにくいが、名前を手がかりにすればその消息は一目瞭然で判明する。
すると果たして、その名に行きあたった。終戦後、曾祖父とともに入籍している養女とある。転籍は山東省、青島からだ。現地で出来た連れ子か何かだったのだろうか。
「せっ、先輩この人!?」
すると手帳を見ていた二水が、悲鳴のような声を上げた。
「黒崎仁悟さんの、娘さんだそうですよう!?」
なんと、とき恵さんは、仁悟が真里、と言う姑娘との間に産ませた私生児だった。いわゆる満州孤児と言うやつだ。仁悟をそそのかした真里は、とき恵さんを産んだあと、戦乱のさなかに病死している。父親のはずの仁悟には、何も報せがなかったそうだ。
岸天馬はこのとき恵に昭和二十年の終戦直前、突然、引き会わされたと言う。当時まだ、十歳にもならない小さな女の子を匿っていたのは、なんと狙撃された当の伊達順之助本人だ。
「秀平義郎に、戦死の報告に行くんだろ?ついでの使いを頼まれてくれや」
おかっぱ頭の女の子が、あの黒崎仁悟の落としだねと聞き、さすがに自分も言葉を喪った、と曽祖父は書いている。
「黒崎の行方は判らんが、まだ死んだ、と判らんのだからな」
故郷の実家に事情を話してこの子を預けておけば、いつか父親に会えるだろう、と伊達順之助は躊躇する天馬を押し切った。
「それと、これはおれからだ」
と、順之助が天馬に差し出してきたものがある。あのモーゼルC九六だ。なんとあのモーゼルを保管していたのは、他ならぬ伊達だったのだ。
「義郎を殺した銃だ。お前は納得し切れんだろうが、あの男に会えたら渡してやれ」
「で、でも伊達さん。…どうして」
とき恵と言う遺児とモーゼル、いずれも自分を狙撃した黒崎仁悟への贈り物である。
「いいから、つべこべ言わず持ってけ」
伊達はうるさそうに手を振ると、天馬に銃を渡した。
「あの男に会ったら伝えておけ。お前は馬鹿だが、間違っちゃいなかった。いいか?」
「は、はい」
(後先のことを、いちいち語らない人だった)
曾祖父が述懐する、この人柄は、一貫した伊達の人間像だった。しかし短い言葉から、酒席の酔狂から女給を射殺してしまったそのことだけは、後悔していたのだと思う、と曽祖父は書いている。
「承りました」
最後に曽祖父は、引き受けたと言う。もしかしたらこの人の、末期の頼みではないか、と思ったからだ。
終戦八月十五日、伊達順之助は現地で逮捕される。日本人戦犯として、上海監獄で銃殺刑に処されるのは、昭和二十三年(一九四八年)九月九日、正午のことであったと言う。
岸天馬は伊達と最後にあったその年に、祖国の地を踏んでいる。焼野原となった東京に行き、焼夷弾の焼け焦げの激しい我が家を見た。そこで不幸にも、家族全員が焼死したと言う事実を確認し、一路、福島へ飛んだ。このとき、黒崎仁悟には、会えなかったと言う。やむなくとき恵を連れて天馬は秀平家を訪れた。
天涯孤独となった身を、跡継ぎを喪った秀平家は温かく迎えてくれた。天津の地に散った義郎の妹であった曾祖母と添い遂げて、秀平天馬となったのはその翌年のことだ。