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第14話 逃れ得ぬ悔恨

 それからしばらくのことだ。天津の歓楽街の路地裏で、仁悟は亜細亜会館から出てくる伊達を狙った。真里が調達してきたのは、素人の仁悟でも弾丸をばら蒔けるモーゼルC九六だった。

(やるしかねえ)

「伊達ッ!覚悟ッ!」

 大声を上げて仁悟は、伊達の前に立ちはだかったと言う。だがその射線に出てきたのが、一緒に大陸に出てきた秀平義郎だった。

「やめろ!」

 仁悟は何度も、義郎から忠告を受けていたのだそうな。しかしもう、引き返せないところまで来ていた。仁悟は義郎を射殺してしまった。初めて撃ったモーゼルの弾丸は反動で思うさま暴れまわり、反響音がいつまでも(かまびす)しかったと言う。

「この野郎!」

 随行の天馬が、引き金を絞った。伊達直伝の投げ撃ちだ。仁悟はそれで銃を取り落とした。そのまま取り押さえようとしたが、手傷を負いながらも振り切って、その場を逃げおおせた。生々しい話だ。黒崎さんの祖父は七十年以上前の事件を、今自分で起こしたかのように、頭を抱えたと言う。


「田舎から一緒に出てきた親友を、殺しちまった」


 逃亡者として満州をさすらった仁悟は、終戦までを怯えて暮らし続けたと言う。戦後、どうにか大陸を脱出した仁悟は、失意のまま故郷へ帰った。秀平義郎を自分の手で殺したことを告げるべきか、黙っているべきか結論が出ないままに。何度も秀平家に赴いては、諦めたと言う。


「そのうち、あの家に跡取りが来たって話がきて腰を抜かした」

 愕然としたなどと言うものではなかったろう。だが彼には、行ってみてさらに愕然とする事態が待っていた。その跡取りと言う男はなんと、大陸で自分を撃った岸天馬その人だったのだから。

(まさかこんなところまで)

 あいつは、復讐に来たんだ。しかも自分が殺した秀平義郎の後釜に収まってまで。仁悟の驚きと絶望は、想像を絶しがたい。拭いがたい罪悪感と恐怖を味わいながら男は、死ねずに生きてきた。

「いつ言われるか、いつ義郎殺したことを責められるか、あの人が何をしてここで暮らしてるかを知るたび、びくびくしてた」

 あれから八十年近くを過ぎ、家族も持った。伴侶にも先立たれ、心残りはそのことだったと言う。

「でも、自分からは言い出せなかった。秀平の家へ行って、何もかもぶちまけて、謝って、楽になって。…あのとき出来なかった供養をしてやりたかったのに」

 そんな中、共に被災した天馬が強硬に戻ったことを知った。

(待っている)

 仁悟は、そう感じたと言う。自分たちの人生に、人知れず決着をつけるのには、もう今しかない。これ以上は待てないのだと、天馬は言っているのだ。

「来るべきときが、来たんだと思った」


「それで里香さんは、おじいさんを送っていったんですね?」

「はい、どうしてもと祖父が言うので。怖かったんですけど、言われるままに」


 里香さん自身、夫が追跡してくるのではないかと言う強迫神経症で外出が困難だった。しかし車を運転できるのは自分だけだったので、やむなく、海神町に来たのだと言う。

「玄関から入ろうとしたんですが、チャイムが壊れていました」

 様子を見て来てくれ、と、老人に言われ、里香さんは裏へ回った。縁側で恐ろしいものを見た。僕の曽祖父が、あのモーゼルを取り出していたのだ。あんな話を聞かされたあとだ。里香さんの顔から、思わず血の気がひいた。

「祖父は殺される、と思いました。わたしを守ってくれる、たった一人のお祖父ちゃんです。そう思った瞬間、頭が真っ白になってしまいました」

 曾祖父を殴ったのは、里香さんだったのだ。揉み合っているうち、曾祖父は発作を起こしてしまった。

「何をやってるんだッ!」

 様子がおかしいと思って飛び込んできた仁悟に止めに入られたとき、天馬はすでに息絶えていた。永い時を経ての懺悔(ざんげ)はならなかったのだ。

「すみません、天馬さん…義郎、本当に…すみませんッ!」

 仁悟は命の消え去った天馬に抱きつき、いつまでも()いていたと言う。


「それからの処理は、お祖父さまがしたんですね?」

「はい…拳銃を隠すのも、秀平さんのおじいさまを台所のお勝手に運ぶのも、みな、指示されてやったことです」

 殺人を犯したのではないか。そのショックで、里香さんは震えが止まらなくなってしまった。

「お前のせいじゃない」

 そんな里香さんに何度も、老人は言ったと言う。言葉にならない。それが真相だったのだ。僕は、やりきれない想いながら、どこまでも追い詰められてこの事態を引き起こした里香さんの気持ちが、判らなくもなかった。


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