第13話 伊達順之助
今から七十年以上も前、黒崎さんの祖父、黒崎仁悟もまた、大陸で商売を営む親戚のつてを使い、大陸に渡った。曽祖父の代わりに秀平家を継ぐはずだった、秀平義郎とともに。
「このまま田舎に留まるより、大陸行って一旗揚げるべえ。おれも義郎さもそう言う気持ちだけだったんだ」
当時はそう言う時代だった。武下さん謂う。
「昭和恐慌が長引いたそもそもの原因は、東北地方の記録的な冷害でした。貧窮した農家は子供の身売りがはなはだしく、ひどい場合には生まれる前に殺す、いわゆる間引きも横行したそうです」
二人は天津に着き、ある人に引き合わされて馬賊の義勇軍に参加したと言う。その人は五千人を率いる馬賊の大頭目だった。
「伊達順之助?」
「張作霖の軍事顧問を務めた人ですね。幕末四賢候の一人、伊予宇和島藩主、伊達宗城の孫で、戦国東北の覇者で、先代はんを拓いた、あの独眼竜伊達政宗の直系の子孫と言われています」
若くして大陸に身を投じ、満豪独立運動に参加した伊達順之助は、当時の日本人馬賊の大立者であった。いわば現地の事情通として関東軍とつながりを深めていた伊達は、正規の軍人か、又はそれ以上の待遇で義勇軍を率い、戦闘に参加していたのだ。
「気風はいいが、向こう見ずな人だった」
伊達政宗直系の子孫ではあるがこの伊達順之助、歯切れのいい江戸弁で、麻布は|箪笥町の生まれと言う。
「おれも義郎も、物ン数にはならねえけども、この人はよく迎えてくれた」
伊達は当時、天津にいた。日中戦争の危機の高まりとともに、彼も数千の義勇軍を率い、満州東辺道に駐屯していた。店に居た伊達は、現地人さながら中国服を着こなしていた。
「諸君らに、余興を見せてやろう」
酔った伊達はおもむろに拳銃を取りだすと、二人の頭にリンゴを載せて立たせた。伊達の射撃は投げ撃ちといい、満州式の射撃の名手として畏れられた。これは集団で散開・騎馬突撃を繰り返す馬賊たちとの戦闘の中から生まれた独特の射撃法だったと言う。
「動くンじゃねえぞ」
一瞬で二つ、頭の上のリンゴが果汁を撒いて弾けた。あっ、と悲鳴を上げる暇もなかった。硝煙を吹き消すと、伊達は満足げに哄笑した。
「まだ若ェんだ。たっぷり遊んでけ」
上機嫌で伊達は去り、目付け役としてまだ若い日本人馬賊の先輩を置いていった。
「おい、まさかもう帰る、とは言わめえな」
その男はウイスキーくらい強い高粱酒を呷ると、これも綺麗な江戸弁で二人をからかったと言う。それが天馬、なんと僕のひいおじいちゃんだった。
「天馬さんはよく飲ましてくれた」
当時の天津は好況に沸き、不景気の日本がそっくり越して来たようであり、東京・大阪の名だたる店の支店がさんざん出ていた。二人は目の当たりにした伊達の拳銃の腕に驚き、誉めそやしたのだが亜細亜会館と言う店に到ったとき、ある女給にたしなめられたと言う。
「やめなさいよ。あの人、あれでここの女給を撃ち殺したのよ」
ついこの春だった、と言う。鈴子と言う若い女給に伊達は同じような真似をして、射殺してしまったらしい。ふいに友人が組み付いてきての事故だった。日本軍に協力していることもあって、伊達は無罪放免になったばかりだった。
「全然、懲りてないじゃない」
頬を膨らませた女給は、飲むほどに伊達の悪口を言い放った。亡くなった女給は、自分と同じ、満州孤児だったのだと言うのだ。
「真里と言う同い年の女だった。おれは同情して、すっかり情にほだされちまった」
だがその姑娘が、八路軍から派遣されてきた工作員だった。
抜き差しならぬ状況になった黒崎仁悟は銃を渡され、伊達の命を狙うことになったのだ。