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episode.7

episode.7

「お喋りな職人とラベンダー」


 あれ以来、第二待機所にはずっと、重苦しい空気が流れている。エアハルトの存在がいかに大きかったのかを、彼がいなくなって初めて思い知った。失ってから気付くというものか。

 この暗い空気の中、現在のナスカにできるのは、落ち込む親しい友を慰めること。ただそれだけである。


 あの作戦から数日が経ち、トーレが意識を取り戻したらしいと報告を聞いた。ナスカは大急ぎで、彼が泊まっている部屋へ駆け込んだ。

「トーレ! 意識があるの!?」

 彼は大きな丸い瞳をぱっちりと開いてナスカの姿を見詰めている。比較的元気そうだ。

「ナスカ……心配させちゃってごめん。その……ごめん」

 小さめではあるがしっかりとした声をしている。そんな彼を見ると、理由はよく分からないが無性に嬉しくて、涙が出て溢れてくる。安堵で一気に全身の力が抜けた。

「いいの。そんなのいいのよ! 全然気にしてない!」

 ナスカがベットの端に顔を埋めて号泣し出したので、トーレは驚くと同時に慌てる。

「えっ!? なっ、何っ!?」

 一気に起き上がろうとしたトーレに対し「まだ激しくは動いちゃ駄目よ」と注意したのは、あの時の救護班のおばさんだった。今日も優しそう。彼女から出る言葉は、注意でさえも、包み込むような温かさを持つ。

「あ、ごめんなさい」

 トーレは素直に謝って、今度はゆっくりと座る体勢になる。その頃になってナスカは号泣している自分に気が付いて、恥ずかしさに頬を赤く染めた。

「どうぞ。使って」

 おばさんが親切にティッシュの箱を持ってきてくれる。ナスカがそこからティッシュを数枚取り出し豪快に鼻をかむと、トーレは愉快そうにくすくすと笑う。ナスカはなおさら恥ずかしい思いをしたが、場が和ませることができたのは良かったと思った。

 それからトーレはナスカに自分が軽傷であったことを伝えた。局所的に火傷を負った程度であり、当然命に別状はないし、手当てさえきっちりしておけば今後の生活に影響はないと言われたそうだ。あの時に気を失ったのは、突然大きなストレスを受けたのが原因らしい。突発的な気絶だった。

 本来は精密検査を受けるのが一番理想なのだが、タイミングがタイミングなので、簡易的な検査だけをしたそうだ。だが異常は見当たらなかったらしい。トーレの体の状態について詳しく教えてもらったナスカは彼の無事を再確認して安堵した。喜ぶナスカを眺めているトーレも笑顔になっていて嬉しそうだ。心配してもらっていたという事実が嬉しかったのだろう。


 次の日の朝、トーレが遠慮がちにナスカへ頼んだ。

「記憶が曖昧なんだけど、確か、ジレルさんが助けてくれたんだよね。お礼言いたいんだ。でもあの人怖いからさ。……その、苦手で。だから一緒に行ってくれない? 今とか部屋にいるかな? 飛んでるのかな」

 トーレはまだジレル中尉がどんなことになったのかを知らなかったから、こんな無邪気に明るく言えたのだ。ナスカはそれに気が付いた時、先に言っておくべきかどうか迷った。いざ会ってから知ったらトーレはまたショックを受けるかもしれない。

「飛行中ではないと思うわ」

 ナスカが言うと、トーレはベットから下りてきて、気持ち良さそうに背伸びをする。

「そっかぁ、じゃあ部屋か食堂とか……かな。一緒に行ってもらっても構わない?」

 大きな瞳がこっちを見詰めてくる。ジレル中尉のことは、先に教えてあげるのが優しさなのだろうが、まだそのまでの勇気は無い。

 二人はジレル中尉の自室へと向かった。その道中にも何度か打ち明けようとしたが、ついに言い出せないままジレル中尉の部屋の前まで来てしまう。

 トーレは扉を拳でノックし、緊張した様子で返答を待つ。ナスカは密かに、いませんようにと祈った。

「誰だ」

 ジレル中尉の静かな声が返ってきて、ナスカは頭を抱える。これはもうばれてしまう。トーレは顔を強張らせながらも勇気を出してはっきりとした声で答える。

「トーレです!」

 彼は緊張で呼吸のスピードが加速していた。

「重要な用件か?」

 中からはカチャカチャと金属の触れている様な音が聞こえている。

「はい! 大切です!」

 トーレは一度だけ横目にナスカを見て、それから迷いなくはっきりと言った。

 数十秒もしない間に扉の鍵が開けられる音がし、ナスカは静かに唾を飲み込む。扉が開かれる。ラベンダー色のゆったりとした上下を身にまとったジレル中尉が出てきた。

「突然来てしまいすみません」

 トーレは腕に気付いていない様子だ。いつ気付くかと、ナスカは一人ドキドキしていた。脈が速まる。このままバレずにいくのも不可能ではないかも……と思った刹那だ。ジレル中尉が言った。

「義手職人が来ているのだ。話は早く済ましてくれ」

 ナスカ一人肩を落とした。

「え、ジレルさんって義手だったんですか?」

 まだ何も知らないトーレは、純粋な顔で尋ねる。

「この前、左腕が無くなっただろう。このままでは操縦できず解雇されるからな」

 少しして、トーレの顔面が蒼白になる。

「えっ……この前ってまさか、僕を助けた時……?」

 それでなくとも大きな目を見開き、口は半開きで止まっている。頭が真っ白になったらしく、言葉はまったく出てこない。ジレル中尉はトーレの心情を考慮したのか、言葉は出さず小さく頷いた。

 途端にトーレは衝動的にナスカの肩を掴み、大きく言う。

「どうしてそんな大切なこと、黙ってたんだよ!」

 ナスカは今までにないぐらい激しく言われて唖然とした。

「言おうとは、したわ……」

 ナスカが弱々しく答えようとするのをトーレは遮った。

「隠してたんだね!? 僕が恥ずかしい思いするように仕組んだんだ! そんな、酷いよ! ナスカのこと、信頼してたのに!」

 トーレは一方的に責める。

「待って、違うわ。そんなつもりじゃ……」

 ナスカは何とか弁解しようと努力したがもはや彼には届いていなかった。やはり言っておくべきだったのだ、と後悔する。

「おい、新米。落ち着け」

 取り乱すトーレにジレル中尉が冷静になるよう促すと、しばらくしてトーレはようやく怒鳴るのを止めた。

「一体何の騒ぎです?」

 ヒョコッと奥から見知らぬ男性が顔を覗かせたのは、そんな時だった。

「そんなとこで騒いでたら邪魔になりますし、取り敢えず中へ入ったらどうです」

 健康的な肌の色をしていて、相手を警戒させない人の良さそうな笑顔である。まさに商売人といった雰囲気を持っている。

「待て、私の部屋に勝手に誘い入れるのか」

 ジレル中尉は冷たい目線を向けるがまったく気にせず、その男性は手招いた。結果トーレとナスカは室内に入ることとなったが、ジレル中尉はそれ以上何も言わなかった。

「ひ、広いっ!」

 ナスカは部屋の信じられない広さに思わず興奮する。自室が狭いだけに衝撃だった。艶のあるフローリングの床にはベットが備え付けてあり、小さい流しまである。ご丁寧に畳が敷かれたスペースまであった。そこらのワンルームマンションよりずっと優雅な生活を送れそう。

「凄く立派な部屋だわ」

 ラベンダー畑の写真が載ったカレンダーが壁に掛けてある。流しには、いかにも良い香りのしそうな、透き通った石鹸が置いてあった。もはやここはリラックスするために設けられた施設のようである。

「凄い綺麗やろ? 坊っちゃんは真面目やから、いつでも整理整頓できてるんや」

「その呼び方は止めろ」

 男性はまるで自分の子どもを自慢するかのような言い方で話す。

「あ、そうそう、自己紹介がまだやったね。こっちの名前はユーミルていいます。スペース出身で、義手とか義足とかの職人をやってるんよ」

 聞いてもいないのにしてくれたやたらと詳しい自己紹介に、ナスカは少し笑ってしまった。

「ユーミルって、あまり聞き慣れないけど、素敵な名前ね」

 するとユーミルは軽く照れ笑いして頭を掻いた。

「いや〜、やっぱ名前とか褒められたら嬉しいわ」

 二人が自然と仲良くなり盛り上がっているのを見て、ジレル中尉は呆れ顔になっていた。

「おい。なぜ私の部屋で、関係ない二人の談笑が始まる?」

 陽気なユーミルは意味もなく楽しそうに笑いながら、冷めているジレル中尉の肩にもたれかかる。

「まーまー、そう固いこと言わんと! 坊っちゃんもたまにはリラックスリラックス! 精神安定が一番大事やって、習いはったやろ?」

 ジレル中尉は余りにお気楽なユーミルに呆れ果て、怒る気にすらならないようだ。額を押さえながら溜め息を漏らす。

「話にならん」

「はいはい、ごめん〜。まぁ許してや〜」

 ナスカはたったの今まで気付いていなかったが、横に大きなアタッシュケースが開いて置いてあった。中には金属光沢のあるロボットの部品のような物や、滑らかな肌色のパーツが丁寧に並べられて入っていた。ユーミルはそこから肌色の滑らかで無機質な腕を取り出す。

「これとかは綺麗やし、式典の時とかにはいいんちゃいますか? まぁ、これはサンプルなんやけどね。他には……」

 ロボットらしさの溢れる黒い腕を両手で丁寧に持ち上げる。

「これとかは仕事にでも使えるやつやな。かっこいいし、何といっても便利やねん」

 ユーミルがまるでテレビショッピングのように紹介している間、トーレはずっと青白い顔で体操座りをしていた。ナスカは放っておけず時折背中を擦った。ユーミルはその様子に気付くと、さっきまでとは違う穏やかな声で言う。

「そこの男の子、自分を責めんときや。仕事やったんやろ? 時々はあることやから」

 そう励まされ、トーレは少し顔を上げる。

「大丈夫。誰も怒ってへんよ。坊っちゃんかって、危険承知でやったことやねんから」

 ジレル中尉がやや不満気に、「私のせいにするのか」とぼやくのに対して、トーレは「ごめんなさい」と何度も呟いていた。

「命さえあれば、体はどうにでもなるから。あ、でも、助けてもらったんやから感謝はしときね。言うのは、ごめんなさいやなくて、ありがとうやで」

 ユーミルの見せた温かい笑顔に、トーレはほんの少しだけ表情が緩んだ感じがする。ナスカは手でトーレの背中を軽く撫でた。

「……ナスカ、さっきは責めてごめんなさい」

 落ち着いたらしいトーレが急に謝ったので、静かに「いいのよ」と返す。ナスカは勇気が無く言えなかった自身にも非はあると考えていたから。

「忘れていましたが、今日はこれを言うために来たんです。ジレルさん、助けていただいて本当にありがとうございました。感謝します」

 トーレに深く頭を下げられたジレル中尉は困った顔で、しかし彼らしく冷やかに口を開く。

「助けたのは、死なせたら私の評価が落ちるからだ」

 しかし様子をよく観察していると明らかに照れ隠しであることが容易に理解できた。いつもは話す相手を冷たくも真っ直ぐに見ているのに、今は視線が微妙に逸れている。とても分かりやすい人だ。

「坊っちゃんは照れ屋さんやなぁ。ありがとう言われ慣れてないだけで、本当は嬉しく思ってるやんね!」

 ユーミルは冗談混じりに言い放った。恥ずかしかったのかジレル中尉はそっぽを向いてしまったが、後で、「まぁ、味方だしな」と付け加えた。

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