episode.6
episode.6
「捕虜エアハルトの心労」
時は少し遡る。
作戦中のエンジン不良という信じられない不幸に襲われたエアハルトは、搭乗機をすぐ近くの空き地へ着陸させた。機体の損傷はそれほどないので壊れていないはずだが無線は使えない。仕方が無いので彼はコックピットの外へと出てヘルメットを外す。予想外に日光が眩しく目を細める。太陽の光を遮る物体は何もない、かなり日当たりの良い場所だった。しばらく経った時、数名の銃を構えた男たちが、エアハルトを取り囲むように集まってくる。平凡な一般人がいきなり敵陣のまっただなかに放り込まれてしまえば、その先に待つことを想像して恐怖を感じ、狼狽えるだろう。だがエアハルトの頭にはそのような考えは無い。だから冷静で淡々としていたのだが、それが余計に男たちの警戒心を煽った。
「ここがどこの土地か分かっているのか?」
男の中の一人が尋ねた。
「突然すみません、エンジンが悪くなってしまったもので」
エアハルトは意図してか天然か、質問とは少々ずれのある答えを返した。
「は? まぁ良い。では名乗れ」
最初に尋ねた男は、不思議な答えに困惑しキョトンとした顔をしながら、話を進める。
「クロレア航空隊所属パイロット、エアハルト・アードラー」
エアハルトは何食わぬ顔でそう名乗った。
それを聞いた瞬間、男たちの顔付きが変わる。ほとんどは顔の筋肉を引きつらせた。当然リボソ国でもその名を知らぬ者はほぼいない。高度な飛行技術に異様な速度、そして一切の躊躇いを捨てた無情な攻撃。何より近くを飛んでも速すぎてパイロットがまったく確認できないのである。
敵国側からすれば非常に厄介な謎のパイロット。伝説のパイロットが目の前にいる。それも、こんなに若く細身で整った容貌の青年だと誰が想像しただろうか。場は驚きに満ちていた。
皆が緊張した面持ちになる中、一人だけ明るい顔付きになった者がいる。
「おぉっ! いよいよ俺の出番が来たんじゃないか? 早く捕まえようよ! ねっ、ねっ!」
そのやたら陽気な人物の隣にいる男が、陽気な人物に小声で突っ込む。
「駄目だよ。こういう大物に無許可で手を出すってのは、さすがにちょっと問題あるだろ」
男たちは結局、銃で囲み威嚇することしかできない。何でも上に許可を得ないと動けないのだ。
「よろしい。下がりなさい」
突如、真っ直ぐ伸びる映画俳優のような美声が聞こえてきた。男たちは機敏に振り向く。声の主はダブルボタンのスーツをきっちり着こなした紳士的な風貌の男性だった。彼はエアハルトの前までゆったりと歩み寄ると、静かに挨拶をする。
「どうも初めまして。ハリ・ミツルと申します。それではアードラー氏、こちらへ来ていただきましょうか」
ハリの指示に従って、エアハルトは彼の後ろを歩いた。男たちもその後に続く。
「ハリ、こいつの担当は俺にしてくれるよね? もう普通の捕虜じゃ満足できないからさっ。意思の強い奴を屈服させるのが、何より快感なんだよねっ!」
熱く語る男に対して、ハリは冷静に「静かにしなさい」と注意する。エアハルトはハリを真面目な人物なのだろうと推測した。そのエアハルトは道中も注目の的であった。リボソ国にはない服装でありながら、捕まったとは思えない颯爽とした歩き方をしているのだから、それも不思議ではないだろう。
少し汚れて古ぼけた建物へ入ると、地味なTシャツとズボンが支給される。エアハルトは素直に指示に従い、その服に着替えた。一人の男がエアハルトの両腕を後ろに回し手首に手錠をはめる。それから尋問のための部屋へ案内する。
「大人しくしていれば痛いことはしない」
男にはエアハルトがさっぱり抵抗しないのが不思議で仕方無かったようだ。もっと暴れたり抵抗すると予想していたらしい。
尋問室に入ると、ハリとナイスバディの美女が座っていた。
「あら、いい男」
ナイスバディの美女はエアハルトを見るなり頬を染めながら発言した。ハリはその横で苦笑している。
「お掛けなさい。少しお話しましょう」
エアハルトがちゃんと着席したのを確認して男は外へ出た。
「初めまして。尋問官をしているヒムロ・ルナ。警戒しないでいいわ。ただちょっぴり質問するだけだから」
尋問官の美女・ヒムロは、大人びた笑顔で色っぽい声を出す。
「知っていることなら絶対に答えてね。ちなみに、嘘の答えを言ったら酷い目にあうから」
ハリは手元の帳面を開き、準備万端とばかりにペンを握っていた。
「じゃあ一つ目。航空隊の現在の戦力について知っていることをすべて話しなさい」
エアハルトは露骨すぎる質問内容に呆れ、冷やかな目付きで答える。
「そのような内容を話せ、と? 意味が分からん」
それに対して、ヒムロはグロスをたっぷり塗った唇を、艶かしく開く。
「じゃあまずは基地のある場所だけでも構わないわ。素直に話しなさい」
エアハルトはもはやバカバカしくて、その問いには何も答えなかった。言わない、という意思表示だと感じ苛立ったヒムロは、やや調子を強めて言う。
「意地でも言わないつもりね。言うまで終わらないわよ。あぁ、それとも、尋問だけじゃ不満足かしら? いい男だから平和的に解決してあげようとしているのに、贅沢ね」
言い方が非常に上から目線だった。
「仲間を売れないってことかしらね? 大丈夫、心配いらないわ。もう二度と帰れないのだから、二度と会わない彼らに気を遣う必要は無いのよ。全部話したって誰も貴方を責めたりしない。それより、このまま黙っていたら痛い目にあうことになるのよ。そんなの嫌でしょう? 愚かなクロレアの奴らのことは他人と考えなさい。どうなろうと貴方には無関係だわ」
ヒムロがそんな風に捲し立てるのを、不愉快そうな表情で聞きながらも黙っていたエアハルトは、言葉が途切れた隙に鋭く言い放った。
「無関係ではない!」
刺々しい言い方を聞いたヒムロは何故か頬を赤らめて嬉しそうな顔をする。
「あぁ、やっぱりいい男。近年稀にみる良い素材だわ。敵に囲まれている中で強気な発言をできるところが素敵ね」
いきなり話がずれたのでエアハルトには何のこっちゃら分からなかった。相手の様子を伺う。二度と帰れないなんてことは絶対にない。それを信じて疑わない彼は、できる限り多くの情報を得ようと考えていた。それが今の自分がするべき仕事なのだと。
「それではもう一度聞くわ。航空隊について話しなさい。戦力や基地の場所……今後使いそうな切り札とかでもいいわよ」
やはりエアハルトは淡々と「それは言えない」とだけ答えた。尋問されるのは初めての経験だが、なるべく上手くやってのけようと心に決める。そのためにもまず精神の安定を一番に考えて過ごすよう心がけようと思っていた。
それからも尋問は長く続き、エアハルトは自分が思っていたより疲れていた。時折お茶を与えられる以外には何も食べられず、ずっと座りっぱなし。尾てい骨は自身の体重で痛むし、腕はずっと動かせず痺れてきた。黙秘しながら、ナスカは無事だっただろうかと心配したりして、退屈をまぎらわせていた。
長い長い尋問が終了すると、外で待っていた男がエアハルトを次の部屋へ案内する。辿り着いたのは「部屋」とは呼べないような狭く暗い場所だった。真っ黒な壁、埃の臭いが強い。さすがのエアハルトもそれを目にした時は驚いた。まさかここまで悪い環境だとは予想しなかったのだ。
「これは……部屋なのか?」
口から自然と出た問いに、男は小さく頷く。それから男はエアハルトを突き飛ばした。いきなり押されたエアハルトは前のめりに転倒する。その隙に男は扉を閉めた。エアハルトが振り返った時には既に施錠されていた。
「明日の朝、また来るからな」
男は冷たく吐き捨てるように言い放った。
その日の真夜中。ふと目を覚ますと、何やら物音が聞こえてくる。不思議に思ったエアハルトは暗闇の中で目を凝らした。それでもはっきりは見えない。ただ、鍵を弄る音がする。誰かがやって来たようだ。エアハルトは警戒して身構える。
軋むような音を立てて、ゆっくりと扉が開かれた。細い一筋の光が差し込む。
「あら、まだ起きていたの?」
入ってきたのは尋問官のヒムロであった。ついさっき目が覚めた、とエアハルトは深く考えずに答える。
見知らぬ人でなくて少し安心した……のも束の間。ヒムロは部屋の中へ入り、内側から鍵をかける。二人で入るにはスペースが狭すぎる。
エアハルトが不思議に思っていると、彼女は地面に座り込んだ。一人で過ごすにも満足な広さはないのに、もう一人入ってくるとなると、息苦しいぐらいの狭さだ。
ヒムロはさりげなく顔を近付ける。距離は徐々に縮まり、瞳にお互いの姿が映り込む程の距離になる。埃臭いだけだった部屋に甘い芳香が漂う。
「……何か?」
ヒムロは怪訝な顔のエアハルトの肩に手を乗せ、そこから舐める様に指をずらして首筋に触れる。
「本当に、いい男」
狭い暗闇で体が触れ合う。エアハルトは不気味な感覚に戦慄した。
「尋問の時は退屈していたでしょう? 素敵な人だから特別に、いいことしてあげるわ」
首筋の指を滑らかに耳へと移動させる。二人の距離が更に縮む。この時になってエアハルトはヒムロの企みに気付き、距離を取ろうと抵抗する。しかし狭すぎる部屋では逃げ場が無い。ヒムロは一気に接吻しようと顔を接近させる。その刹那、反射的に横向いたエアハルトの耳に彼女のしっとりと柔らかな唇が触れた。
「案外照れ屋さんなのね。そういうのも良いかもしれないわ。積極的じゃない男も、ね……」
ヒムロはなぜか赤面しながら、エアハルトの首筋に何度も口づけを繰り返す。
「唇は嫌……?」
擦り寄られたエアハルトは、強い口調で「それは駄目だ」とはっきり拒否する。
「あ、もしかして……まだ未経験かしら?」
子悪魔的に囁き、また首筋に口づけをした。余りの積極さに困り果てたエアハルトは、重苦しく溜め息を漏らす。
「つまり、僕を慰み者にさせろと言いたいのか?」
ヒムロは長い髪を弄り、セクシーな雰囲気を全力で主張する。
「慰み者だなんて。酷い言い方をするのね。愛がなくちゃ駄目よ」
そう言ってからエアハルトを強引に床へ押し倒す。
「貴方の唇を奪いたい。これは本気よ? 誰にでもこんなことをしてるわけじゃないわ」
エアハルトは腕が動かせないので、満足に身動きが取れず、内心焦っていた。誰も見ていないということは、何をされてもおかしくないということである。
「待て、落ち着いてくれ。僕はそのようなことをするには適していない!」
必死に制止しようとするが、努力も虚しく好き勝手にやられ放題だった。女性の繊細で柔らかな指が体を這いずり回るのは、エアハルトとしてはトラウマ級の出来事だった。
「貴方の初めてが欲しいの」
全身くまなく、あらゆるところに触られたエアハルトは、ついに怒りを爆発させた。
「意味深なことを言うのは止めろ! セクハラと訴えるぞ!」
ヒムロはそんなエアハルトなどまったく気にせず、夢見心地な表情のまま頬を彼の胸に当てている。
「未経験の男ってのも好きよ。だってそれだけ、あたし色に染める余地があるってわけだもの……ふふっ」
だが本気で嬉しそうにしているのを見ると、エアハルトはよく分からなくなり戸惑った。少し前までは早く逃れなければと思っていたが、何かが変わる。
もしかしたら、ただふざけて遊んでいるだけではないのかもしれない——。と思った。
「昔は誰もが言ったわ、愛したい美女ナンバーワンだと。でも……父さんが解雇されてからは、誰もあたしを愛してくれない……。誰一人、あたしに愛を囁いてはくれない……」
少し心が変わったエアハルトが、頭にそっと手を乗せると、彼女は幸せそうに微笑む。
「とても……温かい手。ありがとう。幸せよ」
エアハルトには彼女の狙いが推測出来なかった。そんなはずはないのだが、なぜか彼女の言葉が真実に聞こえる。
(尋問官と捕虜がこれで良いのだろうか……)
ヒムロは満足したらしく、嬉しそうな顔をして、困惑気味のエアハルトから退いた。
「今晩のことは二人の秘密よ。いいわね」
彼女はご機嫌な様子で明るくウインクしてから、そそくさと部屋を出ていった。
エアハルトは彼女がいなくなった部屋で再び溜め息を漏らす。胃が刺すように痛む。
「……面倒臭いのに巻き込まれた感じがするな」