episode.24
episode.24
「未来へ」
船がクロレアの港に着く。
ナスカが船を降りると、ヴェルナーやリリーを筆頭に航空隊の隊員など、お馴染みの顔が並んでいた。
「ナスカだ!」
リリーは叫ぶとほぼ同時にナスカの胸へ飛び込んだ。腕に柔らかい金髪が触れる。
「待っていてくれたのね、リリー。大丈夫だった?」
ナスカが柔らかい金髪を撫でると、リリーは自慢げにガッツポーズをしてみせる。
「平気平気! リリーはこう見えてとっても強いの!」
「でも心配よ。だって私の中では今も昔のリリーだもの」
「違うよ」
リリーは明るい顔を上げてナスカを見つめた。
「昔は昔、今は今! だから、今のリリーは、昔のリリーとは別物なの!」
言われてみればそうだ。人は時の流れと共に変わっていく。
「……えぇ。それもそうね」
「ナスカ?」
「変わっていくのは素敵なことだわ。けれど、少し寂しいの」
だってそれは、大切な人がいつか自分から離れていくかもしれないと、心配し続けなくてはならないということだから。
そんな風に考え寂しそうな顔をするナスカの手を、リリーは強く掴む。
「大丈夫だよ! もし大切な人と会えなくなってしまっても、別れても、また誰か大切な人ができるから!」
「……そうかもしれない。けどずっと変わらなければ、その大切な人と永遠にいられるのよ。もう別れは辛いわ」
「むぅ……難しいよぉ」
リリーは頬を膨らませた。よく分からない、といった風に。
「お久しぶり。ナスカちゃん」
その時、銀の髪を後ろで一つに束ねた落ち着いた雰囲気の女性が口を挟んだ。
「サラさん!」
ナスカはとても懐かしい顔に驚きを隠せなかった。
サラは、まだ幼かったナスカが家族を失い絶望の淵にいたときに毎日励ましてくれた、輸送機パイロットの優しいお姉さんだ。あの頃は、仕事が始まる前に毎朝、色とりどりの花を届けてくれたものである。それも今や懐かしい。
「分かってくれた? 嬉しいわ。私も年をとったから、分かってもらえないかと思ったわよ」
サラはそんなことを言うが、ナスカの目には昔と何も変わらないように見える。昔から落ち着いた大人の雰囲気だったというのもあるかもしれないが。
「そんな! 分かりますよ。そんなの当然のことです」
ナスカが笑顔で返すと、サラは冗談めかしてお辞儀する。
「光栄です! 英雄様」
「サラさん、何やってんすか」
すかさずヴェルナーが突っ込んだ。
「何よ。冗談でしょ」
サラは涼しい顔で言った。
「そういえばサラさんって、兄さんと知り合いだったんですよね」
「えぇ。私の方が数年先輩だけど、縁あって知り合いになったのよ。っていうのはね、私の父は教官をしていたの。父が教えていた訓練生の一人がヴェルナーくんだったのよ」
「教官ですか! それは凄いですね! 何という方ですか?」
するとサラは寂しそうな顔になって答える。
「ロザリオ。ロザリオ・ランティークっていうの」
ナスカは怪訝な顔をする。
「……ロザリオ?」
サラは明るく続ける。
「それはさておき! ナスカちゃん、心配は無用よ。ヴェルナーくんとは単に知り合いってだけで、そんな親しい関係じゃないから」
「いえ! まったく気にしませんよ。むしろ嬉しいです!」
ナスカが本心をきっぱり言い放つと、ヴェルナーは大げさに傷ついた表情をする。
「酷いっ」
「何が酷いの? 兄さん」
その意味が理解できず、ナスカは不思議な顔をする。
「うぅ……」
声を聞いて船の方を見ると、いつもにも増して青白い顔をしたジレル中尉が、よろめきながら降りてきている。いつもの鋭い眼光は感じられない。
「ジレル!!」
リリーがジレル中尉に勢いよく飛びかかる。ジレル中尉はよろけて膝をかっくんと折って倒れた。
「あれ? ジレル? ジレル! 大丈夫!?」
リリーは慌ててジレル中尉の背中をさする。
「どこか痛いの? しんどいの? 動悸? 狭心症?」
するとジレル中尉はやや早い呼吸をしながら言う。
「……うるさい」
リリーに顔を覗き込みじろじろ見られ、ジレル中尉は不愉快そうな表情になる。
「私は船が嫌いなんだ! ……酔うから」
するとリリーは明るくニコッと笑う。
「なぁんだ! ただの船酔いだね! じゃ、大丈夫だね!」
すると場は笑いに包まれ、ジレル中尉だけが苦々しい顔をしていた……。だが、それはいつものことなので、誰も気にかけはしない。
それから、クロレアに帰ったナスカを待っていたのは賞賛の嵐だった。長く続いた戦争の終戦を記念する大規模なパレードが行われ、ナスカは人生で初めてパレードに参加した。音楽隊に舞踊団、そしてパレードを見守るたくさんの国民の拍手。華やかなムードで行われるパレードは、ナスカにとってはなにもかも初めての経験で、とても心が踊った。
作戦の成功を聞き付けたヘーゲルはおおいに喜び、そして、ナスカに褒美のお金を大量に贈ると言ったが、ナスカはそれを断った。一人の力で上手くいったわけではないのに、褒美を独り占めするというのは、どうにも納得できなかったからだ。
1951年、年末。
ナスカはヴェルナーと共に、ファンクションにある昔の家へ帰っていた。
その年が終わる日、夜にふと目覚めたナスカは、ランプを持って一階に降りる。一階には、窓辺の椅子に座りぼんやり外を眺めているヴェルナーがいた。
「兄さん、何をしているの?」
小さな声でナスカが声をかけると、ヴェルナーは窓を指さして返す。
「雪が降ってきた」
「そう! 珍しいわね」
ナスカはテーブルにランプを置くと、窓辺に駆け寄る。
「ホント! 雪が降ってる!」
ファンクションはクロレアの南端の街であり、雪などは滅多と降らない。けれど、今は白い雪が、ひらひらと舞い降りてきていた。
「ねぇ、兄さん。あの話の続きを聞かせて?」
ナスカが切り出す。
「あの話って?」
「訓練の事故の話。ここでなら気兼ねなく話せるわよね。……続きがあるんでしょ?」
「どうしてそう思う」
ヴェルナーが静かに尋ねた。
「……なんとなく。兄さんとエアハルトさんが話してる雰囲気は不自然だし、サラさんのお父さんがロザリオさんっていうのも気になって」
「ナスカは鋭いなぁ。正解だ。ロザリオ・ランティーク、ロザリオ先生はサラさんのお父さんなんだ」
悪い予想が当たってしまった——という感じがした。サラの口から『ロザリオ』という名を聞いたとき、薄々そんな気がしたのだ。
「ならどうして、サラさんはクロレアにいるの? 普通、裏切り者の娘をいさせておくものじゃないでしょ」
それに、百歩譲っていさせてもらえたとしても、裏切った父の名を易々と口にしたりはしないはずだ。
「サラさんは今もまだ、自分の父親が裏切り者であったことを知らないんだ」
窓枠にもたれかかりヴェルナーはそう言った。
「あの事故はすべてエアハルト・アードラーのせいになったから。ロザリオ先生は被害者のことになってる」
それを聞き、ナスカは愕然として、ヴェルナーを凝視する。
「どうして!?」
ヴェルナーは顔をうつむけ、暗い表情で言う。
「……今だから、全部話すよ。俺がアードラーさんに責任を押し付けたんだ」
「そんな。どうして」
「足を奪われ、将来を奪われた俺は、ただ一人生き残ったアードラーさんを憎んだ。俺をこんな目に遭わせたアードラーさんを許せなかった。それで、お見舞いに来てくれた彼に辛くあたった。もう会いたくないって、もう二度と来るなって。消えてしまえ! とまで言った。まぁ、それは叶わなかったけどな」
ナスカはそれを聞いていて、ふつふつと怒りが込み上げてくるのを感じた。突然目の前が真っ暗になりショックで冷静さを失っていたのは分かるが、だからといって、そこまでする意味が分からない。
それと同時に、悲しくもあった。自分の存在がエアハルトを苦しめていたのではないかと思ったからだ。
「酷いわ、兄さん! どうして黙っていたの!」
ナスカは今、どうしてもヴェルナーを許せなかった。
「もっと早くに話すべきだと思った。けど言えなかったんだ……。ごめんよ」
「許せるわけない!」
そう吐き捨てて、ナスカはテーブルの上のランプを持ち、二階へ駆け上がっていった。
ナスカは二階の自室へ入ると鍵をかけ、電話に一直線に向かった。脇に置いてある分厚い電話帳を開き、ダイアルを回す。
『はい。もしもし』
エアハルトの声がした。
「エアハルトさん?」
『あれっ、もしかしてナスカ? こんな時間にどうかした?』
「……聞いたの。兄さんと貴方のこと。昔、何があったのか」
ナスカは何度か途切れながらそう言った。
「私、貴方の傍にいていい人間じゃないわ」
『急にどうしたんだい?』
「兄さんは貴方に酷いことをしたの。今日まで知らなかった」
『ヴェルナーは何もしてないよ! 君に似て、何事にも一生懸命な訓練生だったよ』
その後、エアハルトは突然話題を変える。
『あ! そうそう、ちょうど良かった。今度ファンクションに用事あるから、その時についでにナスカの家寄ってもいい? ナスカはしばらくそっちにいるんだよね。たまには会いたいし。お土産持っていくよ。それと、ヴェルナーに話したいことあるから、そう伝えて』
「は、はい」
『そういえば今日、敬語じゃなかったね』
まったく無意識だったナスカは慌てて謝る。
「そうでしたか!? それは、すみません!」
『嬉しかったな。ありがとう』
そんなことを言われるのは初めてで、ナスカは不思議な心地がした。
「そ、そうですか……」
『もうすぐ新しい年だね。せっかくだし、ヴェルナーと年越ししてきたら?』
「でも……」
『兄妹で年越しなんて素敵だと思うよ。家族だし。リリーはジレルさんところなんだよね。楽しくしてると思うよ。それじゃあ、おやすみ』
「おやすみなさい」
ナスカは電話を切り、壁にかかった時計を見る。来年まであと十分くらいしかない。
ランプを持ち、ナスカは再び一階へと向かう。
「兄さん。今、エアハルトさんと話してきた」
悲しそうに窓の外の雪を見つめているヴェルナーが振り返った。
「今度、ファンクションに用事があるから、その時、うちに寄るって。ヴェルナーに話があるって言ってた」
椅子の一つを運び、ヴェルナーの向かいに座る。そして、彼をまっすぐに見つめた。
「許してくれるのか?」
ヴェルナーは弱々しく言う。
「許すか許さないかを決めるのは私じゃない。だから、私はもう何も言わないようにするわ」
「あぁ……」
ヴェルナーはがっくりと肩を落とした。
「謝って」
「……ごめん」
ナスカは首を横に振る。
「違うわ。今度会うその時、エアハルトさんに謝って」
「分かった。ちゃんと謝るよ」
ボーン、ボーン。
ちょうど十二を示す大きな柱時計の鐘の音が空気を震わせ、新しい年がやってきた。
「あ、年が明けたわね」
「本当だ!」
外はまだ雪が降り続き、いよいよ白く積もりはじめている。暗い夜の中に白い雪が輝きながら積もる様子はとても幻想的。日頃は雪が少ない地域であるから尚更だ。
「それにしても、リリーは楽しくしているだろうか?」
ヴェルナーは心配そうな顔をしていた。
「えぇ。きっとね」
リリーは楽しくしているだろう、とナスカは確信している。
「襲われたりしていないだろうか……。あの若さで、それも独身の男と二人きりとは……」
あまりにくだらない心配に、ナスカは溜め息を漏らす。
「兄さんは心配しすぎなのよ。ジレル中尉はそんな欲望にまみれた男じゃないわ」
「ならいいけど……心配だ」
「それに、二人きりじゃないし! 使用人とか、他にも人はたくさんいるわよ。あと、新年パーティーの準備で忙しいって聞いたわ」
「あ、そうか」
ナスカとヴェルナーは目を合わせると笑いあった。
「楽しい一年になるといいな」
ヴェルナーが言った。
「そうね。みんなでいろんなところへ行きたいわ。もちろん、もう十分幸せよ。けれど……今年はもっと素敵な一年になりますように」
時の流れは、多くのものを変えてゆく。だがその中でも変わらないものはある。ただ、それが永遠かどうかは、誰も知らない。
また新しい一年が始まる。
そして、新しい時代の幕開けだ。




