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白薔薇のナスカ 〜クロレア航空隊の記録〜  作者: 四季


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episode.23

episode.23

「この幸せなぬくもりを」


 空に、華が咲いた。

 昼間のまだ明るい空に咲くまばゆい華を、その日、リボソ国の国民は見た。

 その綺麗な華は、大空に大きく開き、ちらちらと名残惜しそうに輝きながら消える。それは女帝カスカベの時代の終わり、そして、リボソの国の新たな時代の幕開けを意味していた。

「……終わった」

 合図の花火をあげたナスカはすべてが終わった後の静かな部屋にゆっくりと帰ってきた。先程までの喧騒が嘘のようだ。カスカベの部下の男たちは愕然として目を大きく見開き、立ち尽くしている。その足は微かに震えていた。自分たちのこれからを恐れているようにも見えた。

 こわばった顔をしているナスカの心を癒そうとしたのか、ヒムロは優しく微笑みかける。

「よくやったわね。ナスカちゃん、さすがだったわ」

「けど私……人を」

 ヒムロは首を横に振り、ナスカをそっと抱き締める。

「いいのよ」

 ナスカを抱き締める腕から、温かなぬくもりが、じんわりと伝わってくる。母親と錯覚するような温かさだ。

「後悔しない道を選んだのでしょう」

 確かにヒムロの言う通り、カスカベにとどめを刺したことを後悔はしていない。むしろどちらかというと、すっきりしているくらいのところもある。

「ご苦労だったな」

 ヒムロの後ろから言ったのはジレル中尉だ。

「ジレル中尉! あの、……ごめんなさい。私」

 ナスカが頭を下げて謝ると、ジレル中尉はやや恥ずかしそうな表情で返す。

「構わん。気にするな、仕事がら怪我には慣れている。それに応急手当てはしてもらった。もう大丈夫だ」

 言われてから見てみると、ジレル中尉の足には包帯が巻かれていた。ヒムロが連れてきた男たちの中に、救急箱を持っている者がいる。どうやらその彼が手当てしたようだ。

「けど、痛かったでしょう。本当に……本当にごめんなさい。治りますか?」

 ナスカがジレル中尉の手を取り目を見詰めると、ジレル中尉は戸惑ったような顔をした。

「たいした怪我ではない。正しい処置をすればすぐ治る」

「……よかったぁ」

 ナスカは目の前の彼に悪いとは思いながらも、安堵して漏らした。けれど彼はそれを聞いても嫌な顔をしなかった。

 ヒムロがジレル中尉に視線を合わせ口を開く。

「それじゃあ、後は任せるわ。ナスカちゃんをよろしく」

「私らは撤退か?」

「アードラーくんに会わせてあげてほしいの。彼や戦闘機を乗せた船がもうじき出るわ」

「……そうか」

「時間がないわ。ちょっと急いだほうがいいと思うわよ」

 ナスカがふと疑問に思ったことを尋ねる。

「ヒムロさんは?」

 するとヒムロは穏やかに微笑んだ。

「あたしはリボソに残るわ。これから色々しなくちゃならないことがあるのよ。だから、しばらくの間、別れね」

 その言葉を聞き、ナスカは突然寂しい気持ちに襲われる。

「……もう一緒にいられないんですか。まぁ、そうですよね。初めから、ヒムロさんはクロレアの人じゃない……」

「まさか」

 切なそうな顔をしているナスカの頭を優しく撫でる。

「用が済んだら、また会いに行くわよ。それまで待ってて」

 ヒムロは迷いのない瞳で微笑んでいた。


 それから、ナスカはジレル中尉と港へ急いだ。あまりゆったりしている時間はない。

 街で怪しまれないために私服に着替え、鉄道を乗り継ぎ、なんとか船が出る時間に間に合うように急ぎ足で歩いた。本当は自動車かなにかを使えればよかったのだが、さすがのヒムロもあの短時間でそこまでは用意できなかったらしい。戦争中であったのだから仕方ない。使える鉄道があるだけ、まだましだ。

 一刻も早くエアハルトに会いたいと思う気持ちが、ナスカをいつもより早足にした。ジレル中尉は足に怪我をしていながらも、ナスカの気持ちを汲んでいたのか、彼女のテンポに合わせて歩く。

「それにしても遠いな。結構な距離だ」

 港へ向かう海岸沿いを歩いているとき、いつもは無口な彼が唐突に口を開いた。

「そうですね。早く帰って、ゆっくりしたいです」

「あぁ、そうだな。私もだ」

 ジレル中尉は珍しく穏やかな表情を浮かべている。

「果たしてこれで、本当に戦争は終わるのでしょうか」

 爽やかな海風がナスカの髪を揺らす。海岸沿いということもあり激しい風だが、今はそんな風など気にもならない。

「それは……どうだろうか。争いはまたいずれ起こるだろう。人間の歴史なんてものは戦争ばかりだよ。だが、君の戦争は終わった。それだけで十分じゃないか」

 太陽の光が妙に眩しく感じられる。

「本当はここにいるのが、アードラーなら良かったのだがな」

 そう言いながら、ジレル中尉は今までで一番寂しそうに笑っていた。


 二人が港に着いたとき、エアハルトや戦闘機を乗せているというクロレア行きの船は、既に出港の準備を始めていた。

 ナスカはその船の近くで作業している、見知らぬ一人の男性に声をかける。

「あの、すみません! この船、今から乗ってもいいですか?」

 やや縦長のごつごつした輪郭がたくましい男性だったが、いかつい見た目に似合わない優しそうな、愛らしさすら感じる笑みを浮かべた。警戒されているものと思っていたナスカは意外な反応に内心驚いた。

「許可はありますか」

 たくましい男性は笑みを崩さずにナスカを見て尋ねた。

「えーっと、許可ですか?」

 よく分からないナスカは、困ってジレル中尉に目をやる。

「ありますか?」

 その時、男性はジレル中尉に視線を移し、はっと何かに気付いたような顔をする。

「あっ! これはこれは、ジレルさんではありませんか! もしかして、そちらの女性は娘さんですか?」

 男性は厳つい顔をくしゅっと愛らしく縮め無邪気に尋ねた。

「私は独身だ!」

 気分を害したのかジレル中尉は強い調子で言う。

「ナスカ・ルルー! 知っているだろう!?」

 たくましい男性はその気迫に圧倒され弱々しく返す。

「す、すみません。自分はあまり詳しくなく……」

 その弱気な態度が気に食わなかったのか更に食ってかかる。

「何を言う! ナスカくんはクロレアの英雄だぞ! それを詳しくないから知らないだと? ふざけるにも程が……」

「落ち着いて下さい!」

 ナスカは大きく叫んだ。

 ジレル中尉は愕然として目を見開く。いかつい男性も驚きをあらわにしている。

「あのっ、すみません! ありがとうございます。それじゃあ私たち、この船に乗ります!」

 ナスカはそう言ってジレル中尉の手を引いた。男性は始終、きょとんとしたままだった。

 ナスカは手を離さないまま、今にも出港しようとしているクロレア行きの船に向かって駆け出す。海からの強い風が、二人を後ろから急かしていた。


 なんとか間に合い船に乗り込むことができたナスカとジレル中尉は、近くにいた女性乗組員に頼み、エアハルトがいるという部屋まで案内してもらった。

「こちらがエアハルト・アードラーさんの客室になります。お休み中かと思われますので、どうかお静かにお入り下さい」

 ナスカがお礼を言うと、案内してくれた女性乗組員は深々と頭を下げ、静かにその場を離れる。

「行きましょう」

 そう声をかけたが、ジレル中尉は立ち止まったまま首を横に振った。

「いいよ。私は」

「えっ、どうしてですか?」

 彼は壁にもたれかかり、口角を上げる。

「一人で行ってくるといい。色々な意味でその方が良かろう」

「……そうですか。では」

 ナスカは軽くお辞儀してから客室のドアノブに手をかけた瞬間、期待と不安の入り交じった感情を感じる。数秒間があってから、ドアノブを捻り、ゆっくりとドアを開ける。

「あの……こんにちは」

 壁には絵画、そしてクラシカルなテーブルとイスがあるという、やや古風な内装だった。客船の客室みたいだ。

 ナスカはゆっくりとベッドの方へ足を進める。

「エアハルトさん」

 小さく呼びかけてみるが反応はない。どうやら随分深く眠っているらしい。物音に一切反応しないぐらいの深い睡眠だ。

 ベッドの横まで行き覗き込むと、その暖かそうな布団の中でエアハルトはすやすやと眠っていた。その寝顔はとても穏やかで、苦痛の色が浮かんでいないことに安心した。

 ナスカがそっと彼の額に手を当てかけた刹那、エアハルトがうっすらと目を開いた。ナスカは慌てて手を離す。

「……ナスカ?」

 寝起きでぼんやりしながらエアハルトは尋ねた。

「エアハルトさん!」

 ナスカは思わず叫んだ。

「な、な、何!?」

 大声に驚いたエアハルトは、怪我人とは思えぬ素早さで起き上がる。日々の鍛練の賜物だろうが……今はあまり関係ない。

 ナスカは嬉しさのあまり、なんの躊躇いもなくエアハルトを強く抱き締めた。

「生きていて良かった。……もう会えないかと思いました」

「心配かけてごめん」

 エアハルトはそう言ってナスカの頭に優しく触れる。彼もまた再会を喜んでいた。

「あっ、そういえば、体はもう大丈夫なんですか?」

 嬉しさの暴走が落ち着くと、ナスカは尋ねた。

「うん、大丈夫。じっとしていれば治るって」

「もう痛くないんですか?」

 エアハルトは、ナスカに心配をかけまいと思ったのか、明るく元気そうに振る舞う。

「さすがに普段通りってわけにはいかないけど、大丈夫だよ。たかが二発だしね」

 痛くないわけないのに。

 その言葉が真実とは思えなかった。だが完全な嘘ではないだろうとは思えたし、何よりナスカのことを考えてそう言ってくれていると分かった。

「……それなら良かったです。生きていてくれればそれで。もう言うことはありません」

 ナスカは、もう一度だけ、とエアハルトを強く抱き締める。

 そして部屋を出ていこうとしたとき、その背中に向かって、エアハルトが少し大きめの声で言う。

「一つだけ言ってもいいかな」

 ナスカは足を止めた。

「僕は気付いたんだ。これは伝えないと絶対後悔するって。だから……」

「何ですか?」

 振り返ると、エアハルトは真剣な顔つきだった。

「ナスカ、君が好きだ」

「……えっ?」

 ナスカは耳を疑い、信じられない思いで彼に目をやる。

「今……何て?」

「君が好きだ、結婚してくれ。そう言いたかったんだ」

 エアハルトは微塵も照れることなく、迷いのない真剣なまなざしでナスカを見つめていた。

「だ、大丈夫ですか!!?」

 ナスカはエアハルトに駆け寄り、彼の肩を掴み、大きくぐらぐらとゆする。

「やっぱり脳にダメージがあるんじゃありませんか!!?」

「大丈夫だよ大丈夫……って、ちょ、痛いよ! 痛いって!」

 ナスカはエアハルトの声で正気に戻り彼の肩から手を離す。

「あっ、すみません。それにしてもあの……それは、本気ですか?」

 ナスカは彼の言ったことをまだ信じられずにいた。

「僕は嘘はつかない」

 エアハルトは落ち着きはらってそう答えた。こんな時に限って落ち着き払っているから、ナスカは余計にその言葉を信じられなかった。

「お気持ちは嬉しいですけど、いきなり結婚なんて。……まだ今は分かりません」

 エアハルトは、戸惑いを隠しきれていないナスカの腕を引き寄せ、優しく述べる。

「返事は急がないけど、本気だから。考えてほしいな」

 間近でみるエアハルトの顔はいつもより魅力的に見える。普段でも凛々しく十分な美男子なのだが、今はいつもと違った雰囲気がある。いや、意識してしまったせいで今までと違って見えているのかもしれない。

「で、でも……航空隊は独身男性でないといけないのではなかったのですか?」

 航空隊について学んでいた時、ある本でそんなことを読んだ気がする。ナスカがおそるおそる尋ねると、エアハルトは首を横に振り答える。

「独身じゃないといけないっていう規定はないよ。心に決めたただ一人の人に捧げるだけならいいんじゃないかな?」

 そう言ってからエアハルトはニコッと笑みを浮かべる。

「そうですか……。けど、航空隊で既婚の方って、会ったことがありません。戦闘機パイロットなんて、女の人に人気ありそうなのに不思議です」

「そりゃあ戦闘機パイロットは人気あるよ。給料もそこそこだしね。その代わり、いつ死ぬか分からないし、人殺しが仕事なわけだからね……。それになぜか性格に難ありの人も多い」

「それはそうですね」

 今まで出会ってきた人たちのことを思い浮かべると、確かに風変わりな人物が多かったと思い、ナスカは妙に笑えた。

 一人として普通……いや、平凡な人はいなかった気がする。ただ、心底悪い人だと思うような人はいなかった。無愛想だったり謎が多かったり。けれど、みんな根は優しくて、どこか良いところがあり、頼りになる人たちだったことは確かだ。

「エアハルトさん……本当に私でいいのですか。クロレアの閃光とまで呼ばれた貴方が、私みたいな平凡な女で本当に構わないのですか?」

 するとエアハルトは探るような怪訝な顔をする。

「どういう意味?」

「貴方ほどの人なら、大金持ちの令嬢とだって結婚できるはずです」

「ナスカだから好きなんだよ。それ以外にも理由が必要なのかな?」

「……いらない」

 ナスカは小さく呟いて、エアハルトを抱き締める。

「私も好き」

 いつからだろう。初めは尊敬する師匠と思っていたはずだったのに、いつからか彼にそれ以上の気持ちを抱いていたのかもしれない。

 もう二度と手放したくない。この幸せなぬくもりを。

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