episode.1
episode.1
「転機は突然訪れる」
天体暦1945年春、クロレア帝国は少し離れたリボソ国と戦争を始めるが、まだそれほど被害は及ばず、ファンクションは相変わらず平和だった。空襲も無かったし、それまでとほぼ変わらない時間が流れていた。
そんな夏のある日の事である。ナスカは妹・リリーと日課の海岸を散歩して家に帰ってくる。するといつも迎えてくれる使用人が出てこず、やけに静かで不思議な感じがした。妙に暗く目に映り、嫌な予感がナスカを襲う。少しして、床に転がった死にかけの警備員を見付ける。
「一体、何があったの!?」
慌てて青ざめながら問い掛けるナスカの首筋に、冷たい物が触れる。気付かぬ内に背後に立っていた覆面をした男は銃口を首に当てたまま言った。
「大人しく従え。さもなくば撃ち殺すぞ」
ナスカとリリーはその場で拘束され、そのまま大広間に連れて行かれた。大広間は地獄絵図の様だった。ナスカは恐怖というものに近い得体の知れない感覚に襲われ口を手で押さえる。何の罪も無い使用人らの無残な死体が散らばりカーペットは血にまみれている。その中にはかつて母だった物も混ざっていた。
「何でこんな事をしたの!」
強気に出たナスカを男は蹴り飛ばす。ナスカは地面に横たわり腹を押さえて呻いた。
「ナスカ……」
背の方から父の声がして恐る恐る眼球だけを動かす。連れて来られたその姿を見て絶句した。
「お父様っ!?」
途端にリリーが失神する。ナスカも吐き気に襲われるが必死に堪える。最後の力で歩いていた父は、目の前で喉を切られて絶命した。
「大人しくしないとお前もこうなるのだ。従うならば、命はまだ奪わない」
気絶したリリーが連れて行かれる。ナスカは抵抗した。
「両方嫌よ! ちょっと、リリーを返して!」
男は目を爛々と輝かせる。
「ならば死刑だぞ!」
男が叫びながらナイフを振り上げた。もう駄目だと諦めかけた瞬間、車椅子が飛んできて男に激突する。その隙にナスカはなんとか走って男から離れた。
「ナスカ! こっちへ!」
ヴェルナーが壁にもたれるように立ちながら叫んだのを聞き、ナスカはその方向へ駆けた。蹴られた所がまだ痛いが、無我夢中の時は痛みなど微塵も感じなかった。ヴェルナーはこんな時でも「必ず守る」と笑顔を浮かべる。足が悪いせいで壁に添ってしか歩けないので本来なら不安なはずだが、なぜか安心感を持った。
裏庭に抜けると小型のヘリコプターが二台停止していて、その脇には見知らぬ男性が二人立っている。
「無事か、ヴェルナー!」
片方の金髪で逞しい青年が駆け寄ってくる。
「兄さんの知り合い?」
ヴェルナーは問いに頷き、ナスカを青年に渡す。
「救出要請を受けて来たマルクス。あっちはレイン」
後ろにいた黒髪で根の暗そうな細い男は頭を下げた。
「あ、どうも。レインです」
青年は簡単に紹介を兼ねた挨拶をし、ヘリコプターに乗る様に促した。ナスカが指示通り乗り込もうとした瞬間、先程の覆面をした男達が銃を持って裏庭に現れる。
「逃がすな、捕まえろ!」
男達は叫び、やみくもに銃を乱射した。
「伏せて!」
ナスカは声を聞き反射的に隠れたが、割れた破片が飛散し、頬を小さく切った。マルクスは銃弾の嵐を避けると素早く乗り込みヘリコプターを離陸させる。
「え、えっ? 兄さんは?」
慌ててナスカは尋ねた。ヴェルナーはまだヘリの陰に座り込みんでいた。銃を抱えている。
「レインのヘリで後から来るから大丈夫だよ。それに彼は男、大丈夫だ」
素っ気ない態度に腹を立てたナスカは強く言い放つ。
「兄さんは足が悪くて、ちゃんと歩けもしないのよ! なのに銃撃戦をさせるなんて」
するとマルクスは冷たい視線を向けた。
「なら降りるか?」
ナスカは彼の恐ろしい目付きに顔をひきつらせる。
「あそこにいて君に何が出来る? 足を引っ張るだけだ」
謝るしかなかった。
「……ごめんなさい。ついカッとして」
「いや、分かれば構わない。レインが一緒にいれば必ず守られるから信じなさい」
ナスカはその言葉を信じることにした。
この日を境に生活は大きく変わった。今までの幸せな暮らしは幻影のように消えた。両親を亡くし、妹を連れ去られ、一人になってしまったナスカは、航空隊訓練所に保護される事となる。兄の安否は分からぬまま、長い夜が過ぎた。
翌日になってから昨日のヴェルナーらについての話を聞いた。ヴェルナーは意識を失っていたが、病院に搬送され回復の見通しが立ったと言う。一方でレインはその日の夕刻、運ばれた病院で息を引き取ったらしい。しかし、ショックで心がおかしくなっていたナスカは悲しみなど欠片も感じず、そこにあるのは空白だけだった。
時が経つにつれ、ナスカは徐々に日常を取り戻していった。航空隊訓練所にはヴェルナーの旧友が結構な数いたため、ナスカを気にしてくれる人は多くいた。仕事時間前に花を持ってきてくれる輸送機パイロットの女性サラや、美味しい食事を作ってくれる食堂のお爺さん料理長とは特に仲良くなった。接する機会が多かったからだろう。
そうしてナスカが14歳を迎えても、回復の見通しが立っていたはずのヴェルナーはあの日のままだった。ずっと僅かも動かず病院の病室で横たわっているだけ。そして数回に渡って行われたリリーの救出作戦もやがて打ち切りとなった。
ある朝、ナスカは花を持ってきたサラに尋ねる。
「サラさんは戦闘機乗りではありませんよね?」
花瓶の花を入れ替えていたサラは不思議そうな顔で首を傾げた。
「ええ、私は輸送機パイロットよ。突然どうしたの」
ナスカは疑問に思っていた事を聞いてみる。
「女の人は戦闘機パイロットになれないんですか?」
サラは突然聞かれた質問の真意が分からず戸惑っている様子だった。
「不可能ではないけど、少なくともここの航空隊にはいない。体に負担がかかるから女性は乗らない方が良いらしいわ」
それに対してナスカはもう一度確認する。
「では不可能ではないんですね」
ナスカは力が欲しかった。大切な人を守る強い力が。
「私でも今からなれるでしょうか?」
サラは最初冗談だと思っていたようだが、ナスカの目が真剣なのを見て冗談ではないと理解した顔をした。
だが賛成する気にはならないようだ。今までに酷い目に合ったパイロットを何人も見てきたからからだろう。訓練中の事故も多く、何より殺し合いを職にするというのだから、可愛い女の子がするべき仕事ではない。そんな顔だった。
「パイロットになりたいの? なら戦闘機ではなく他の……」
サラは気を遣うような表情で続ける。
「私みたいな輸送機とかの方が良くはない? 関連する職業なら整備士とかもあるわ。何より戦闘機パイロットは訓練にしても他より厳しいのよ。大変だわ」
ナスカは黙り込み、しばらく難しい表情をして、それから強く訴えた。
「訓練だけでも受けさせていただけませんか。女だから不可能なんて事はないはず……!」
サラはその強い訴えに心を打たれていた。
確かに前例は無い。だがもしかしたら……、と彼女は思ったのだろう。
だからこそ、サラは頷いた。
「一度だけ話をしてみるわ」
その瞬間ナスカの表情が夏の太陽の様に眩しく輝く。初めて目にする希望に満ちた明るい顔だった。
「但し、それで断られたら諦めてね」
ナスカは迷いなく頷く。
サラはこの時微かに感じていた。彼女はきっとこの戦争の鍵になるだろう、と。
だが一週間後に届いたのは悪い返事だった。
【やる気には感謝します。しかし、貴女はまだ若い上に女性です。他に進む道はいくらでもあるでしょう。なので別の職業をお探し下さい】
この時の航空隊には、実戦に出られるかどうか分からないそれも女の子を訓練している余裕は無かった。少しでも即戦力が欲しかったのである。
遠回しに拒まれたナスカは呆れて溜め息を吐いた。この程度で諦める気は更々無いが困り果てた。どこへ行けば、何をすれば良いのだろう、と考えるが何も思いつかず、時間だけが過ぎていく。
それからしばらく、毎日兄のお見舞いに行き、その他の時間は窓から訓練の様子を眺める、という日々が続いた。