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白薔薇のナスカ 〜クロレア航空隊の記録〜  作者: 四季


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episode.17

episode.17

「一番幸せな日」


 1951年・秋のある日。その日、騒がしい食堂で、ナスカは一人夕食を食べていた。

「おぉ、ナスカさん! 一緒にご飯食べてもええですか?」

 唐突に現れたユーミルが陽気に声をかけてきた。手に持っているお盆には、いくつか食器が乗っている。

「えぇ、どうぞ」

 そう答えると、ユーミルはナスカの前の席に座った。

「ユーミルさん、今日はお一人?」

 ナスカがご飯を口に含みながら尋ねると、ユーミルは屈託のない笑みで返す。

「そうそう。今日、坊っちゃんは仕事があるらしいんや。だから、こっちは一人でご飯食べることにしましてん」

 本当に陽気な人だ、とナスカは思った。一人の日だったので困りはしないが、誰かといる時であったなら面倒臭くなりそうである。今日は問題ないが。

「それにしても、ここのご飯は美味しいわ! バイキング形式っていうのも自由感があって楽しいし。ナスカさんらは、いつもこんな食事をしてはるんやね」

 ユーミルがペラペラと話し続けている間、ナスカは適当に相槌を打ちながら、自分の食事を継続する。

「あっ! それ、焼き魚? ナスカさん魚好きなん? こっちも実は魚とか好物やねん。迷って取らへんかったけど。折角やから、美味しいメニュー教えてほしいわ。オススメとか!」

 ユーミルは大量のポテトサラダを口に突っ込み、息苦しそうにもぐもぐしている。

「魚が好きなの? 何だか意外」

 あまりに一人で話させるのも可哀想に思いナスカは返した。

「いやはや、よく言われますわ! 肉食っぽいって言われるんやけど、こう見えてこっちはまだ独身ですねん」

 ユーミルは笑いながら冗談めかすが、ナスカにはどこが面白いのかよく分からなかったので、適当な苦笑いでごまかした。

「ナスカちゃん、今ちょっと構わないかしら?」

 そんなところに突然現れて声をかけてきたのはヒムロ。

 浅葱色のシャツに赤いネクタイを締め、黒いタイトスカートにストッキングという大人の魅力たっぷりな服装とは裏腹に、薄く引かれた桜色のリップが初々しい可愛らしさを演出している。ギャップが素敵だ。

「あ、ヒムロさん。どうかなさいましたか?」

「ナスカちゃんにお客様よ」

 ヒムロは微笑んで言った。

「そうですか! あ、ユーミルさん、それでは私はここで。お先に失礼します」

 ナスカはユーミルに向かって軽くお辞儀をすると、食器が乗ったお盆を持つ。

「これ、返してからでも大丈夫ですか?」

「構わないわよ。待ってるわ」

 ヒムロが笑ったのでナスカは安心してお盆を返しにいけた。

「お待たせしました」

「いえいえ。じゃあナスカちゃん、行きましょ」

 ナスカはヒムロの後についていく。

 食堂を出て廊下を歩き、談話室に着いた。ナスカはふと、ヒムロに初めて出会った日を思い出した。

「どうかした?」

 ぼんやりしているナスカをヒムロは不思議そうな目で見た。

「あっ、いえ。何でもありません!」

 ナスカは笑ってごまかした。

「それじゃ、開けるわね」

 ヒムロはドアを開け、中に入るように促す。

 談話室に入った瞬間、ナスカは目を疑った。

「に、兄さん……?」

 そこにいたのは、正真正銘ヴェルナーだった。一日たりとも忘れたことのない、あの日引き離された大好きな兄だ。

「本当に兄さん!?」

 ナスカは疑うような目付きで少しずつ近寄っていく。

「また、会えたね」

 ソファに座っているヴェルナーが静かに微笑む。

 ナスカは信じられない思いで彼の姿を見つめた。言葉は何も出ない。その時は、目に溜まった涙を流さないようにすることに必死だった。

 どれだけ夢見ただろうか。この日を。

 ナスカは考えるより先に彼を強く抱き締めていた。

「会いたかった!」

 そう言ったのを皮切りに涙が溢れた。一度流れ出した涙を止めることはできなかった。

「よく頑張ったね」

 ヴェルナーは微笑み、両腕でナスカの背中を優しく撫でる。まだ幼かった頃、泣きやまないナスカを慰めたように。

「よく頑張った」

 ヒムロはナスカの泣き声が外に漏れないよう、そっとドアを閉めた。

 幸せな二人の姿を、ヒムロは羨ましそうに見つめる。抱き締める相手がいること、抱き締めてくれる人がいること。彼女にとってはもう二度と手に入らない夢。

「ヒムロさん、ヒムロさん」

 ようやく抱き締める手を離したナスカは、宙を見ているヒムロに声をかけた。

「あっ、えぇ。何かしら?」

 二回目で気がついたヒムロは平静を装い返答した。

「呼びに来てくださってありがとうございました! 本当に、本当に嬉しいです……私……」

 ナスカはこの数年間で一番、太陽のように曇りのない笑顔を浮かべた。率直にお礼を言われたヒムロは気恥ずかしそうな表情をする。

「ありがとうだなんて。仕事だもの、普通でしょ」

 その時だった。

 バァン! と大きな音が響き、ドアが勢いよく開く。

「痛っ!」

 腕にドアが凄まじく激突したヒムロだった。

「ナスカ! 本当かい!?」

 とても慌てた様子の小包を持ったエアハルトが入ってくる。

「エアハルトさん?」

 ナスカは驚いて彼を見る。

「……アードラーさん」

 ヴェルナーがやや緊張感のある声で言った。

「お久しぶりです。ナスカがお世話になっております」

 エアハルトは気まずそうな顔で返す。

「いや、大丈夫。むしろこっちが助かってるぐらいで」

 二人がとても気まずい雰囲気なのが、ナスカには不思議だった。

「ヴェルナー、いや、こんな風に馴れ馴れしく呼ばれるのは嫌かもしれないが……とにかく退院おめでとう。これを」

 エアハルトは手に持っていた小包を差し出す。

「それ何ですか?」

「ナスカ、これはヴェルナーの退院祝いだよ」

 仲の良いナスカとエアハルトを目の前で見て、ヴェルナーは様々な感情が混ざった複雑な顔をしている。可愛がっていた娘がいつの間にか他の男と仲良くなっていたときの父親の心境に近しいものがあるのかもしれない。

 ヴェルナーはナスカの耳元に口を寄せ小さな声で尋ねる。

「アードラーさんと仲良し?」

「仲良しかは分からないけど、私は好き! エアハルトさん、とっても優しくて素敵な方よ! いつも守ってくれて頼もしいし」

 ナスカは一切の迷いなく答えた。それを聞いてヴェルナーは更に難しい表情になったが、やはりナスカにはその意味が分からなかった。

「とにかく、小包を開けてみてよ。ほらヒムロ! 紅茶!」

 ヒムロは「分かってる」とでも言いたげな不満そうな顔で談話室を出ていく。

「先に言っておくと小包の中はお菓子だ。ヴェルナー、ナスカと二人で楽しんでくれ。では僕はこれで」

 そう言うとエアハルトは談話室を出ていった。

 途端にヴェルナーが口を開く。

「アードラーさんがあんな優しい話し方するの初めて見たよ」

 ナスカはヴェルナーの隣に座り彼にもたれる。

「そうなの? 兄さん」

「ファンサービスはするけど、後輩には厳しい人だったよ。俺もよく怒られた」

 ヴェルナーは苦々しい顔をしながら懐かしむように言った。

「そっか。エアハルトさん、カッとなるところあるもんね」

 にこにこで返すナスカに、ヴェルナーは真剣な顔をする。

「ナスカ、彼には気を付けたほうがいい。アードラーさんはパイロットとしては優秀だが、他は……」

「優秀でない、と?」

 ヴェルナーの言葉に柔らかく口を挟んだのはヒムロだった。ティーカップ二つと銀色のポットをお盆に乗せて談話室に入ってきたところだ。

「紅茶をお持ちしました」

 ヒムロはにこっと微笑むと二つのティーカップをテーブルに置き、銀色に輝くポットを持つとゆっくり注ぎ入れる。

 秋を感じさせる甘い香りが、ほくほくと部屋に広がる。

「いい香り。これは何のお茶ですか?」

 ナスカが興味津々で尋ねるとヒムロは優しく答える。

「あたしのお気に入り、マロングラッセティーよ。冷めると甘ったるくなるから温かいうちにどうぞ」

「マロングラッセ? どうしてそんな高級品を」

 ヴェルナーが怪訝な顔でぼやくのをヒムロは聞き逃さなかった。

「この国では栗は高級品と聞きましたけど、あたしの母国ではいたって普通の食べ物でした。これは故郷の知人から送っていただいたものですから、そこまでの高級品ではありません。ただ味は美味しいと思いますよ」

 ヒムロらしくなく丁寧な口調だった。もしかしたら客人にはこうなのかもしれない。

「ヒムロさん、今日は何だか雰囲気違いますね」

「そうね、お仕事中だもの。それじゃ、ごゆっくり。あ、ポットの紅茶は自由に飲んで構わないわよ」

 ヒムロはさらっと言い談話室を出ていった。さすが外交官の娘だけはある。とても慣れていた。

 談話室でナスカはヴェルナーと二人きりになる。

「さっきのお話……何だっけ。エアハルトさんはパイロットとしては優秀だけど、の続き」

 ヴェルナーはキョロキョロしてから話し出す。

「先生としては優秀じゃないって話だよ。いちいち言い方がきつすぎるってのもあるけど、事故を起こすから。彼の飛行はかなり危険な飛行なんだよ。それが一番怖いね」

「それは……兄さんが怪我した事故のこと?」

 ナスカが察して言うと、ヴェルナーは黙り込む。

「兄さんが怪我をした訓練、エアハルトさんが責任者だったって。あと、優秀なパイロットが何人も亡くなったって。その日……何があったの?」

 ナスカは問うが、ヴェルナーは下向き黙ったままびくともしない。

「……兄さん」

 ナスカがそう言った時、ヴェルナーは小さな囁くような声で返す。

「事故じゃなかった」

 ナスカは耳をすます。

「あれは攻撃だった。だが戦争を恐れたクロレアは、訓練中の事故として闇に葬った」

「まさか!」

 思わず大声を出してしまったナスカは慌てて口をおさえる。

「ごめん。続けて」

「あの日訓練に参加していたのは俺と三人のパイロット。で、責任者がアードラーさんとロザリオ先生だった。ロザリオ先生はとても親切な先生で皆から信頼もされていたんだけど……彼がリボソ国との内通者だった。彼は最初、突然実弾で一機を撃墜したんだ」

「どうなったの?」

「空中でばらばらになった。俺は怖くなって大急ぎで離れようとしたけど、上手く操縦できなくて、そのうちに二機目三機目も撃たれて海に墜ちた」

 ナスカは何だか昔のような気分になってきた。だが昔聞いていたような楽しい話ではない。

「さすがにもう駄目だと思ったよ。ここで死ぬんだって」

 ナスカは幼い頃のように夢中で聞いていた。

「だけどアードラーさんが間に入ってくれた。先生の機体はばらばらになり、緊急脱出した生身のロザリオ先生も吹き飛ばした。ここまではまだ良かった。この後、アードラーさんの機体はバランスを崩して、俺の訓練機に突っ込んだ……こればかりはもう死んだと思ったね」

「確かにいきなり激突されたら驚くわね」

 ヴェルナーは続ける。

「そのまま海に突っ込んで、次に気が付いたら医務室のベッドだったよ」

「そっか……」

 話が一段落したところで、ドアが遠慮がちに開く。

「ご、ごめんなさい」

 微かに開いたドアの隙間からトーレが覗いていた。

「何か用事?」

 ナスカが尋ねるとトーレは気まずそうな顔で返す。

「盗み聞きするつもりじゃなかったんだ。ただ、ナスカのお兄さんが来てるって聞いて、挨拶しようかなって。それだけ。本当にそれだけなんだ」

「大丈夫。トーレ、もっと入ってきたら?そんなところで覗いてると変よ」

「う、うん。そうするよ」

 やっとトーレは談話室内に入ってきた。

「初めまして」

 ヴェルナーが優しく言う。トーレはヴェルナーに目をやり、緊張で強張りながらもやや興奮気味に挨拶する。

「初めまして、トーレです! いつも仲良、違った、お世話になっています!」

「ヴェルナーだよ。よろしく」

 手を差し出されたトーレは興奮で顔を赤らめている。

「そんな、よろしくだなんて! 勿体ないですよ!」

 と言いつつも握手する。

「ヴェルナーさんってどんなお仕事をなさってるんですか?」

 トーレの質問にナスカが答える。

「兄さんは戦闘機パイロット志望だったのよ」

「え! そうなの!?」

 トーレは驚きを隠さず素直な反応をする。

「知らなかった! じゃあ僕らの先輩なんだ!」

「なんだかんだで訓練生までしかいっていないけどね」

 ヴェルナーが笑っていたのを見てナスカは少し安心した。

「訓練生でも先輩は先輩です! 才能ってやっぱり遺伝するんですかね〜。兄妹揃って戦闘機乗りなんて羨ましいなぁ」

「羨ましい?」

 怪訝な顔になるヴェルナーにトーレは邪気なく言う。

「だって、一緒に並んで空を飛べるじゃないですか! 僕の家じゃ他に空飛ぶ人はいないんで、いいなぁって思いまして!」

 トーレは始終興奮気味であった。共通の話題が見つかり楽しかったのかもしれない。ナスカは、彼の無邪気な表情を見ていると、心が軽くなるような気がした。

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