episode.15
episode.15
「過去との決別」
第二待機所の中にある、抜きん出て小さな隔離室という部屋。
電子ロックを解除したベルデが中へ入ってくる。
「ヒムロさん、調子はどうですか。必要な物があればと思い、うかがいました」
隔離室は一時的に罪人を収容するための部屋で、広さは一畳程度しかない。明かりは電球が一個だけで、窓がないので一日中どんよりと薄暗い。
「必要な物なんてないわ。あたし、もう死ぬのに」
エアハルトの指示で隔離室へ入れられたヒムロは自嘲気味に笑う。しかしベルデは淡々と述べた。
「まだ亡くなられることはないと思います」
「何を言っているの? あたしはもう死んだも同然。帰る場所も待ってくれてる人も……今はもういない」
ヒムロは静かに言った。
「でもいいの。あたしは自分の意思に従ったまでよ。たとえ間違いだったとしても……きっと後悔はしないわ」
ベルデが黙って聞いているとヒムロは皮肉る。
「愚かだと思っているんでしょう。その通りだわ」
ベルデは感情のこもらない小さな声で呟くように言う。
「いいえ、愚かではありません。それでは」
彼はそれから部屋を出て、外から再びロックをかけた。
ロックをかけられてしまえば、ヒムロは自由に部屋の外へ出られない。彼女は薄暗い部屋で一日を過ごすのだ。
「……一人だといいわね。好きな時に泣けるもの。ねぇ……。マモル」
あれから一週間程経過したある朝のこと、待機所内が何となく騒然としていた。
「何かあったんですか?」
話に遅れているナスカは近くにいた男性に聞く。
「よく分かんないんっすけど、何かあったみたいっすね。普通じゃない感じだし」
それからナスカはいつも通りの準備をしに行こうと外へ出て、目にした光景に愕然とする。
「何これ……」
門の外に大量の歩兵が立っていた。全員リボソ国のマークの軍服を着ている。そしてその中央に、服が違う二人の男が立っている。
『門を開けよ! さもなくば攻撃を開始する!』
服が違う二人のうち片方の男が、拡声器を使って勇ましく告げる。
『我々はタブ全域を制圧した。もはや残るはここのみである。無駄な抵抗は止め、我々に投降し、速やかに指示に従え!』
一人愕然としながら聞いているナスカのところにトーレがやって来る。
「ナスカ! あの人達はリボソ? 何かよく分からないけど、ここは危ないよ。中にいた方がいいんじゃないかな」
心配そうな顔でナスカを見つめる。
「その方がいいかな」
心配させるのも嫌なので、ナスカはトーレの言うことに素直に従うことにした。
二人が建物内に戻ると、ベルデが慌ただしく仕事をしていた。
「もしもに備えて戦闘準備を。貴方、本部とタブ役所に連絡をお願いします。はい。早く!」
その様子を見てトーレが感心したように言う。
「テキパキしてる……」
「警備科って、こういう時には大変よね。突然バタバタしなくちゃならないもの」
すると、額に汗を浮かべたベルデは振り返り、挨拶をする。
「おはようございます」
ナスカは笑って尋ねる。
「汗、大丈夫ですか?」
「少し暑いですね」
ベルデは本当に暑そうに、袖で顔の汗を拭う。タオルを取り出す暇もないのだろう。
『誰か出てこい! 無視をするというのなら容赦はしない!』
拡声器を通しての大音量の演説は続いている。
「ベルデさん! タブ役所に連絡を取ろうと試みましたが、既に電話回線が支配されてて繋がりません!」
一人の女性は焦った顔をして鋭く叫んだ。
「まさか。一夜でそこまでできるとは思えません。何かのミスでしょう。もう一度試して下さい」
「……はい、分かりました」
女性はベルデの命令に従い、作業に取りかかる。
「本部から連絡! 一般市民保護のために援軍を派遣してくれるらしいっす」
「外で呼ばれています! 誰か来て下さい!」
ベルデは再び汗を拭う。
「はい、今行きます。警備科は戦闘に備えておいて下さい。戦闘になる可能性も十分ありますので、しっかりと」
それでもぶれない冷静沈着さだった。
トーレは困り顔になる。
「……どうしよう? これじゃ僕らは何もできないね」
「本当にそうだわ」
ナスカとトーレは顔を見合わせ溜め息をつく。
「それにしても、敵国の大軍を入国させるなんて、偉い人たちは一体何をしているんだろうね。役に立たないなぁ」
「えぇ、謎だわ。お偉いさんの考えってさっぱり分からない」
その刹那。爆音が鳴り、それと同時に地響きがする。まるで地震のような。世界滅亡の直前のような。
「なっ、何っ!?」
あまりに突然だったものだから、さすがにナスカも驚いた。隣のトーレは身震いしている。
「動くな!」
そう叫び建物に入ってきたのは、さっき門の前にいた二人のうち一人の男性。後ろには十人以上の武装した一般兵を率いている。
「本日より、この敷地はリボソ国の領地とする!」
男性は高らかに宣言した。
警備科の人たちは威嚇するようにその男性へ銃口を向ける。
「……反抗するのか? まぁよかろう。突入!」
建物内へ入ってくる兵隊に向けて、警備科の人たちは銃を連射する。敵の兵隊たちは次から次へと体を撃たれ倒れる。しかし、それですべてが倒されたわけではなかった。
「危ないっ!」
トーレは叫び、固まっているナスカを突き飛ばす。いきなり押され転倒した。
転んで地面に横になったナスカの上にトーレが被さる。何が起きたのか分からないが、湧き上がる恐怖に目を閉じた。大きな銃声とそれに伴う微弱な振動を感じる。
数秒後、銃声が鳴り止みナスカは目を開く。
「ごめん……大丈夫?」
トーレの顔がすぐ近くにあったが、照れている暇はない。
「えぇ、無事よ。ありがとう」
ゆっくりと起き上がりトーレと一緒に走る。階段を駆け上がると、エアハルトに遭遇した。
「ナスカ! 下の様子は!?」
二階には銃撃戦の末生き延びた警備科の者もいた。
「エアハルトさん、無事で良かった。あの……ごめんなさい、様子は分からない。はっきり見る余裕が無くて」
ナスカはそう答えた。
「奴らが二階に来たらナスカは隠れてね。ナスカが戦う必要はないから」
エアハルトが真剣な顔をして言った。
「その時には加勢します!」
ナスカはそう返すが、エアハルトは首を横に振る。
「それは駄目。もし撃たれたら大変だから」
エアハルトはいつも腰に下げている拳銃を手に取り、階段を鋭く見据えている。
カンカンという足音が徐々に近付いてきた。
「……敵?」
次の瞬間、カランと乾いた音を立てて廊下に棒の付いたタイプの手榴弾が床に転がる。
トーレは無理矢理腕を掴んで引っ張り、ナスカを台の影に引きずり込んだ。エアハルトは壁の影に身を潜める。それから数秒もしないうちに、手榴弾は破裂した。辺りが煙に包まれる。
ナスカは新品の綺麗な拳銃を取り出し、撃つ準備をする。今まで実際に使う機会はなかったが、多少の指導は受けているので撃つ手順は分かる。
エアハルトが振り返る瞬間、上がってきた一人の敵兵が彼に銃口を向ける。しかし引き金にかけられた指が動く寸前に敵兵は胸を撃ち抜かれドサリと崩れ落ちる。それは、ナスカが撃った弾丸だった。エアハルトの足下に血溜まりができた。
「あ……」
勢いでやってしまったナスカは言葉を失う。生身の人間を殺したのは初めてかもしれない。
「やったね」
隣でトーレが笑う。
しかしそれは序章にすぎず、本当の乱戦はそこからだった。敵味方入り交じった銃撃戦は、いよいよ二階でも開始される。一階で息絶えた敵兵がかなり多く、数ではクロレア側の方が勝っているが、敵も結構粘る。
ナスカはあまり前へ出たらエアハルトに怒られそうなので、台の影からちょいちょい応戦した。
銃撃戦を潜り抜け奥へ進んだリボソ国の男性は、灰色のドアを見付ける。
「……隔離室?」
手をかけてみるが開かない。
(ロックがかかっている……。もしや、何か大切なものを隠しているのか?)
男性はドアを拳銃で撃ってみるがびくともしない。次はふと目に入ったドアの横のタッチパネルを二発撃ってみた。すると故障し、勢いよく自動でドアが開く。
念のため拳銃を構え、部屋の中を覗く。そして彼は愕然とした。
「……ルナ?」
中にいたヒムロと目が合う。
「マモ……ル」
男性は見知った人物がいたことに驚きながら、腰のホルスターに拳銃をしまう。
「本当にルナか!?」
驚きを隠せないらしい。
「そうよ。ヒムロ、ルナ」
ヒムロは冷たい声で答えた。
「ルナ、生きていたのか? まさか!」
男性は嬉しそうに歩み寄る。
「どうして生きていると連絡しなかったんだ?」
しかしヒムロは浮かない顔のままだ。
「なぜ? ……よくそんなことを聞くわね」
男性は腕を伸ばす。
「何を怒っているんだ、ルナ。さぁ一緒にリボソへ帰ろう」
ヒムロが男性の顔を見上げて静かに述べる。
「殺されるわ」
「え?」
男性はよく分かっていない顔だ。
「帰れば殺される、って言っているのよ」
「大丈夫、一緒に帰ろう。俺がちゃんと説明するから……」
次の瞬間、ヒムロは急に立ち上がり男性の腰元のホルスターから拳銃を奪う。そして銃口を彼に突き付けた。
「……え?」
ヒムロは冷静だった。
「下手に動かないで。部屋の外に出て」
ゆっくりとヒムロは近付いていく。男性はそれに伴い退き、やがて廊下に出る。
「な、何のつもりだ、ルナ。いきなり銃なんか向けてきて」
男性は顔を引きつらせる。
「冗談だろう……?」
「本気よ」
ヒムロは恐怖心を煽るような冷ややかな顔付きで彼を睨む。
「もう帰らないわ。過去のあたしは忘れて、ここで第二の人生を生きるの」
男性は声を荒げる。
「そんな……何を言っているのか分かっているのか! 誰よりもリボソのために生きてきたルナが、どうしてそんな!」
「もう嫌なの!!」
ヒムロは引き金に指を当てたまま悲鳴のように叫ぶ。
「……疲れたのよ。理不尽な理由で、苦しんでもがきながら死んでいく。そんなのもう見たくない!」
「ルナ!」
「平気で酷いことする尋問官が嫌。拷問みたいな尋問を認めてる上司も、それを黙認してる国も、捕虜処刑を楽しんでる国民だって! 全部嫌! でも一番嫌なのは……」
男性は愕然として聞く。
「運命に逆らえなかったあたし!」
「いい加減にしろよ!」
男性がキレて掴みかかろうとした刹那のこと。
大きく目を見開いて倒れる。
「な、何っ? どうしたのよ」
ヒムロは驚きながらも冷静さを保ち男性を見る。腹部に銃創ができて、そこから赤黒い血液が流れ出している。
知り合いが目の前で撃たれて倒れる。それはあまりに生々しい光景で、一般人なら吐き気を催してもおかしくなかっただろう。ヒムロは長年尋問官として働いてきたゆえに平気だが。
「よし」
男性の背後には、拳銃を放ったエアハルトがいた。
「あ、新手……か……」
倒れた男性は掠れた声を漏らした。ゲホゲホと咳をすると鮮血で唇が赤く濡れる。
「アードラーくん!? ……どうして」
「むしろ僕が聞きたい」
エアハルトはそう返した。
「く、お前が……もしや、ルナを……」
掠れ掠れ呟く男性の顔がどんどん青ざめていく。
エアハルトは戸惑いなく彼のこめかみに銃口を当て、低い声で言う。
「これが最期だ。何でも言え」
男性は定まらない視線で小さく口を開く。
「ルナ……ずっと愛してる」
そして、別れを告げる悲しい銃声が響いた。
しばらく沈黙。
「この男は知り合いなのか?」
やがて沈黙を破ったのはエアハルトだ。ヒムロは男性の亡骸をじっと見つめながら答える。
「カサイマモル。彼はあたしの婚約者。ゆいいつあたしに優しくしてくれた人だけど……でももう何年も会ってなかったわ。父があたしの父と同じ外交官でね、知り合い同士だったの」
エアハルトは怪訝な顔をして復唱する。
「婚約者?」
「そうよ」
彼女は悲しげな眼差しで頷いた。それに対してエアハルトは真剣な表情で述べる。
「ヒムロ、一つだけ聞かせてくれ」
「……何?」
これほど奥まで入ってくる者はいないので、とても静かだ。
「なぜ同胞に銃を向けた」
二人の声しかしない。エアハルトの真剣な眼差しには、さすがのヒムロも冗談を言えない。
「それも婚約者などに。銃は敵に向けるものだ」
「そうよ」
ヒムロも今回ばかりは真面目に答える。
「その通り。あたしは仲間に銃は向けないわ」
そして静かな声で問う。
「なら逆に、どうして貴方はあたしを助けたの?」
「敵だから撃っただけだ」
「じゃあどうしてあたしを撃たないの?」
エアハルトは言葉を詰まらせる。
「力が、必要でしょ」
ヒムロはいたずらに口角を上げる。
「……どうなの?」
エアハルトはまだ言葉を詰まらせている。
「あたしは敵ではないと思っている。貴方たちが仲間だと思うかどうかは知らないけれど」
しばらく沈黙を挟み、エアハルトはやっと口を開く。
「……僕は君のことを何も知らなかった。なのにきつく言ったことは謝ろう。だが、君はそれで後悔しないのか? 同胞を敵に回して、それで良いのか?」
「後悔はしないつもりよ」
ヒムロはそう返ししゃがみこむと、そっと両手を合わせる。そして目を閉じてほんの数十秒ほどじっとしていた。
「……何を?」
「人が死んだ時、祈るのよ。死んだ人の魂が穏やかに故郷に帰れますように、ってね。仮にも婚約者だしお世話になったもの。せめてこれぐらいはしてあげようと思って。だって、誰も祈ってくれなかったら、一人ぼっちで寂しいでしょ」
静かに祈りを捧げるヒムロをエアハルトは意外だと思った。そんなことをするタイプだと思っていなかったからだ。
「何だか意外だ」
「そう。……変よね。こんな非現実的なことしてもマモルが幸せになれるわけじゃないって、分かってはいるの。本当は……あたしのためなのよ」
ヒムロは立ち上がる。
「あたしは新しい人生を生きるわ。もう過去のことは忘れる」
エアハルトは呟く。
「過去との決別……か」
過去は暗く痛いもの。人生は移り変わるもの。
だけど——きっと、何度でもやり直せる。




