episode.14
episode.14
「失うもの、手にいれたもの」
「エアハルト……さん、あの」
手を引かれながら部屋の外へ出た。ナスカが口を開く。
「待って下さい、いきなり何ですか? エアハルトさんが何をお考えかさっぱり分かりません」
エアハルトは足を止めたが、難しい顔で黙っている。
「答えて下さい」
それでも彼は黙っている。ナスカは不思議に思った。いつもなら眩しい笑顔で快く答えるだろうに。
「あの、エアハルトさん?」
ナスカが覗き込もうとした瞬間、エアハルトは顔の向きを変え視線を逸らす。
「あの……」
「思っているんだろう」
エアハルトが静かに呟いた。
「僕のこと、穢れていると思っているんだろう!」
彼の言うことが理解できず、ナスカは戸惑いを隠せない。
「一体何を……」
するとエアハルトは彼にしては珍しく溜め息を漏らす。
「全部あの女がクロレアに来たせいだ。彼女が現れなければ、変わらない日々が続いているはずだった。ヒムロルナ、あいつだけは絶対に許さない」
「ヒムロさんを? そんな。一体どうして……」
その問いに冷ややかな声で答えるエアハルト。
「ナスカ、思い出してみて。全部あいつが来たのが原因だ。ベルデや君が負傷したのも、くだらない行動で君を傷付けたのだって……それだけじゃない。リボソとの関係が悪化したのも僕がみんなにドン引きされたのも、全部あの女のせいだよ」
言いながらエアハルトの瞳は深い怒りを湛えていた。ナスカは落ち着いた声で言い返す。
「だけど、処刑されかけたエアハルトさんを助けられたのも彼女のおかげです」
「そもそも処刑されかけたのだってあいつのせいだ!」
彼は強く攻撃的に言った。ナスカは動揺する。今までこんな風に鋭い言葉を言われたことはなかっただけに、大きなショックを受けた。どんな時も笑顔で優しかったエアハルトはどこへ行ってしまったのか。やはり今日はおかしい。
「それじゃあ、ヒムロさんに責任を全部押し付けるんですか?」
「実際そうじゃないか……」
ナスカが言ったのはもっともなことだが、言い返されたのが意外だったのか、エアハルトは少し戸惑った顔をする。
「貴方が墜落したのがそもそもの始まりでしょう。そのすべてを、関係ない他人のせいにするんですか」
「何を言うんだい。人の些細なミスを責めるというのか!」
「そんな話じゃありません。向こうで何があったのかは知りませんけど、人に当たり散らすのは止めて下さい!」
ナスカとエアハルトは睨み合う。二人がこんな空気になるのは初めてだろう。
「今の貴方の話はこれ以上聞いても無駄です。……しばらく頭を冷やせばどうですか」
ナスカはそう言い捨てて、来た方へと戻っていく。
廊下を歩いていると、ベルデが声をかけてきた。
「おや、アードラーさんと一緒に行かれたのではなかったのですか?」
相変わらずぶれない棒読みな話し方である。
「ちょっと勘違いなさっているようなので叱ってきました」
ナスカは澄まし顔で答えた。
「アードラーさんは、お疲れなのです。今はナスカさんに失礼があるかもしれませんが、元気になればそのうち……」
「私はいいんです」
きっぱりと口を挟む。
「でも、皆さんをあんな風な言動で振り回すのはどうかと思いましたので」
「……ナスカさん」
ベルデが心配そうな目をする。言いたいことがあるが、自分が口出ししてよいものか迷っているのだろう。
「心配してくださっているのですね、ありがとうございます。ですが大丈夫です」
ナスカは笑顔で言った。するとベルデは言いにくそうに述べる。
「お気になさらず。それより実は……ナスカさんに大切なお話がありまして」
「はい。何ですか?」
ちょうどその時。
ジリジリ、と警報器の刺々しい音が鳴り響いた。
「警報器!?」
ナスカは驚いてキョロキョロする。ベルデは装着していたイヤホンを耳にグッと押し込む。
「敵機、のようですね」
独り言みたいに呟き、それからすぐナスカの方を向く。
「お話は後にしましょう。今から出れますか?」
ナスカは素早く頷く。心の準備はまだちゃんとできていないが、数分もすれば準備が整うはずだ。
「はい。急いで準備します」
「では先に偵察を出しておきます。貴女は準備ができ次第出発して下さい」
休んでいる暇はない。エアハルトが戦えない今こそ自分が頑張るタイミングだ。ナスカはそう考え、自分の心を奮い立たせる。
ナスカは建物から出ると、速やかに愛機へ向かった。急ぎ気味に準備を済ませる。
「行きます」
正面を向く。滑走路を赤い機体が滑るように走り、やがて空へと舞い上がる。空を舞う薔薇の花弁のように、華麗に。
今日の空は雲が多いが、綺麗な青色をしている。
『お嬢さん!』
無線から声が聞こえてきた。
『聞こえていますか?』
誰かの声だ。知り合いではない。多分先に出発していた偵察機のパイロットというところだろう。
「はい、何ですか」
ナスカは応答する。
『こちら偵察機ハッピーシナモン。機体見えます?』
「……ハッピーシナモン?」
聞き慣れない男性が述べた機体名にナスカは困惑する。
『はい。自分はシナモンが大好きでして、それを知っている姉に勝手につけられた名前です。と言いつつ、結構気に入っていますがね』
正直どうでもいい。初対面の顔を見たこともない男性にシナモンが好きなことを打ち明けられるという珍妙な出来事に、ナスカはどう対処するべきか判断できなかった。
「はぁ、そうですか……」
『はい。ちなみに機体は確認できますか?』
「えぇ。機体は見えてます。確か貴方は、ジレル中尉の……」
当てずっぽう返すと、相手は少し嬉しそうな声になる。
『はい。敵機の付近まで先導させていただきます』
「ありがとう」
ナスカはその偵察機の一番後ろにある赤いライトを目印に続いた。時折雲で視界がぼやけたりもしたが、大抵十分見えるしっかりとしたライトだった。
『もう近いです。自分は敵の視界に入る寸前に離脱しますので、後はお嬢さん、よろしく頼みます』
それから男性は続ける。
『一機ですけど、強いです。間違いな……うわ!』
男性の叫び声。そして、一瞬にして無線が切れた。
目前を飛んでいたハッピーシナモンこと偵察機は、右翼に被弾し、くるくる回って空中で一気に爆散する。
目の前で人が跡形もなく消えた。その事実にナスカは愕然とする。空中で爆発すれば死ぬどころか、まとも体も残らないかもしれないのだ。ナスカは改めて恐ろしさを実感した。
そしてその煙が晴れた頃、一機の飛行機が見えてくる。
「あれが……?」
思わず呟いたナスカの耳にジレル中尉の声が聞こえる。
『動揺するなよ』
冷たくも優しい声。聞いた途端に体の緊張がほどけた。味方がいると思えることの何と心強いことか。
『正体はよく分からんが警戒しろ。私もできる援護はする』
ナスカはジレル中尉から勇気をもらい、懸命に操作を始める。ミサイルの発射準備、照準を敵機に合わせ、唾を飲み込み、引き金を引く。
敵機に向かって真っ直ぐ飛んでいった三発のミサイル。一発目は敵の撃った弾丸と当たり爆発。回り込むように続く二発目はかわされ、残る三発目。絶好の方向から敵機に向かって突撃し、爆発が起こる。煙ではっきりと見えない。
「やった……?」
ナスカが目を凝らしているとジレル中尉が無線で叫ぶ。
『来る!』
爆発の中から、機体が細い煙を引きながら現れた。ナスカは敵機の体当たりを素早くかわしレーザーミサイルを連射する。
その刹那、ナスカの目に人影が入った。敵機の窓部分から乗り出す黒い塊。ちょうど人ぐらいの大きさだ。
「ジレル中尉っ、人影が!」
人間が長い筒を担いでいるようにも見える。
『人影? 確認する』
ジレル中尉の戦闘機は連射されるミサイルを上手く避けながら接近していく。
『女……? まさか!』
窓から突き出す黒く長い筒から弾が発射される。ジレルの乗る機体はその弾丸に掠りバランスを崩したがすぐに体勢を立て直す。
「しっかり!」
慌てて叫ぶナスカに対して、彼は冷静に答える。
『無事だ。問題ない。それに、人影も確認した』
今度は機体ではなくその人影に照準を合わせる。ナスカの心には少し躊躇いがあった。だが躊躇っていればこちらがやられる。だから引き金を引いた。レーザーミサイルは激しく敵機に向かっていくが、操縦士が中々の腕前なので、見事にかわされてしまう。それでもナスカは諦めず連射しながら機体を追う。
「速いわね……あれ?」
敵の戦闘機は一気に加速し、気がつくとだいぶ距離が離れてしまっていた。
だがそこで、ナスカは違和感を感じる。敵機は攻撃を止めた。リボソ国の方へと去っていっているようだ。
『……追うな』
ナスカはジレル中尉の忠告を聞きスピードを落とす。
『敵は撤退した。戻るぞ』
「あ、はい」
逆らうのも気が進まないので進行方向を変えるが、何となく腑に落ちない感じがするナスカだった。
第二待機所の建物に戻り通路を歩いていると、正面から歩いてきたエアハルトと偶然遭遇してしまう。見事に目が合い、気まずい空気になる。気付かなかった振りもできないが、いつものように声をかけることもできない。それはお互いに、だった。
「あ……お、お疲れ」
先に言ったのはエアハルト。
「エアハルトさん。顔、強張ってますよ」
ナスカは冗談めかして返す。
「ご、ごめん」
彼はらしくなく緊張した顔で謝った。
「笑っているエアハルトさんの方が素敵です」
さっきはちょっと言いすぎたかな? と彼を可哀想に思っていたナスカは、彼に対して笑顔を向ける。
「無理しないで下さいね」
エアハルトは驚き戸惑った顔でナスカを見た。
「あ、ありがとう」
てっきり悪いことを言われるか無視されるかだと思っていたのだろう。
——その日の夜。
ナスカはこの時間にゆいいつ活気のある食堂へ向かった。食堂には人がたくさんだ。現在勤めている人の半分近くがここで暮らしているのだから、この賑わいも当然である。
ナスカとトーレが食事を食べていると、偶然ジレル中尉が通りかかる。
「あ、ジレルさん!」
お腹が空いていたらしくパンを貪り食っていたトーレが、顔を上げて声をかけた。
「何か?」
ジレル中尉はこちらを向いて無愛想に答える。
「もしかして、ジレルさんもご飯ですか?もし良かったら一緒に食べませんか?」
トーレは誘うが、ジレル中尉はやや困った風に返す。
「いや、あいにく先約があるのだが……」
「一緒に食べよーっ!」
誰かが後ろから物凄い勢いで走ってきて、そのまま飛び上がりジレル中尉に飛び乗る。
「おい! 痛いぞ」
「ごめんごめん〜」
その正体はリリーだった。
「リリー!?」
驚きを隠せないナスカに対してリリーは明るく言う。
「ナスカ! 一緒に食べよ!」
敵地で出会った時の冷ややかな面影はまったくない。あの時とは別人のようだ。もちろん、こちらのリリーこそがナスカの知るリリーなのだが。
「ジレル、いいでしょ?」
「あ、あぁ」
ジレル中尉はリリーにだけは完全に主導権を握られている。言い返せないようだ。それが何だか面白くて、ナスカは少し笑ってしまった。
「何を笑っている?」
ジレル中尉が鋭い視線を送りつつ尋ねる。
「……いえ、ごめんなさい。よく分からないんですけど、何だかおかしくって」
リリーがきょとんとした顔で口を挟む。
「えっ、何か変だったかな?」
ナスカは首を横に振る。
「ううん、そんなんじゃない。気にしないで。ごめん」
大事な可愛い妹、リリー。幼子のような純粋で無垢な笑み、聞いているのが心地よい明るく弾むような声。昔と何も変わっていない。
ナスカはまた彼女に会えたことが嬉しくて自然と笑顔になっていた。あの日奪われてしまったものと諦めていたリリーは、今、目の前で楽しそうに笑っている。それがナスカをとても幸福な気持ちにさせるのだった。




