episode.10
episode.10
「長い夜の幕開け」
その日の夜のことだった。ヒムロが唐突に話し出した。
「実はあたしアードラーくんがいる部屋の鍵を持っているの。何も隠す必要は無いわね。見てちょうだい。これよ」
ヒムロは食堂にて、航空隊員らの前で金色の鍵を取り出し見せた。少し自慢げに。磨かれているらしく、金属光沢のある鍵である。
「これがあれば交渉する必要もなくなるって話よ。問答無用で叩きに行けるわ。それぐらいはさすがに分かるでしょう?」
隊員は誰も彼女をの言葉を本当だと信じてはいない。当然だ。勝手に逃げてきた敵国の女を快く受け入れる者など、一人だっているはずがない。事実その女のせいで仲間が一人殺された後なのだから、なおさらだ。彼女が疑いの目で見られるのも仕方無いこと。
「リボソ国の収容所を叩くなら今が絶好のチャンス。というより、これが最初で最後の機会だわ」
ヒムロは自身に向けられる疑惑の視線など一切お構いなく、自信に満ち溢れた表情で説明した。他者の心理状態など彼女はまったく気にしない。
そして、こう結ぶ。
「やる気になったら言って。当然のことだけれど強制はしない。あたしは貴方たちの意思を尊重するわ。だってこれは貴方たちの国のことだから」
ヒムロが優しく微笑んだのを合図に解散になった。それぞれが速やかに自分の場所へ帰っていく。
ナスカは肌でひしひしと感じていた。もう誰も、絶対にエアハルトを助けなければとは思っていない。誰もが疲れ果てて「どうでもいい」という雰囲気である。つまりもう諦めているのだ。もっとも、そんな雰囲気だから言い出せないという者はいるかもしれないが。
食堂から人がいなくなったタイミングでヒムロがナスカに声をかけた。
「少しお時間いいかしら」
ナスカの隣にいたトーレは驚いた顔をする。ナスカは怯まず「何ですか」と返した。
ヒムロは二人の向かいの椅子に座るとタブレット端末をテーブルに置く。彼女は少し操作してから、タブレットに向かって「アードラーくん、聞こえる?」と呼びかけの声を出した。ナスカとトーレはその様子を不思議な顔で見つめる。しばらくするとタブレットから声が聞こえてきた。
「……何か?」
それは間違いなくエアハルトの声で、ナスカは唖然とする。
「聞こえているのね」
「……え、どこ?」
エアハルトの声は不思議そうに尋ねた。
「声の聞こえてくる場所は気にしないで。ナスカに変わるわ」
ヒムロはそう言った後タブレットをナスカの方に向けると、何か喋るように促す。
「もしもし」
電話しかしたことのないナスカはそう声をかけてみる。
「……本当にナスカ?」
そんな風に返ってくる。ナスカは嬉しくなった。心が軽くなるのを感じる。生きていてくれることをどれだけ願ったか。
「そうですっ。エアハルトさん……ご無事で何よりです!」
エアハルトは前と変わらぬ声質ではははと笑った。
「心配させたかな、ごめんね。でも良かった。こうしてまた君と喋ることができて」
そして彼は少し寂しそうな声で告げる。
「明日の朝、処刑が決まった」
ナスカは耳を疑った。生存を喜んだばかりなのに、明日の朝処刑だなんて。
「本当は言う必要なんてなかったんだけど、やっぱり隠しごととかはいけないと思ってね」
トーレは椅子から落ちた後に慌てふためく。ヒムロも処刑については知らなかったらしく、表情が凍り付いていた。
「感謝でいっぱいだよ。ナスカ、本当にありがとね。少しの間でも君を指導できたこと、嬉しかったな」
エアハルトは明るくそんなことを言う。もう死ぬ。すべてを諦めているようだ。
「つまり朝までは大丈夫なのですね? 分かりました! 今から助けに行きます!」
必死に平静を装い宣言するナスカに、エアハルトは落ち着いた声で返す。
「そんな気遣いはいらないよ。エアハルトの名に恥じない死に方をするから、温かく見守っていて」
そして笑う。
「僕は戦場に行く人間だ。いつかこの日が来るとは分かっていたよ。だから死ぬのは怖くない。でも、大事な君を失うのは辛いからさ」
ナスカは動作は見えていないと分かりながらも必死に首を横に振る。
「諦めずに待っていて下さい。必ず助けに行きます。どうか、一秒でも長く生きていて。私、大切な人を失うのはもう嫌なんです」
するとエアハルトは頑固な彼らしくなく折れた。
「あ、でも、無理になったらそこで諦めるんだよ」
「はい、分かってます。ですができることは全部します!」
ナスカはタブレットをヒムロに返して、トーレに協力するように頼む。彼はもちろん頷く。
「アードラーくん、今から作戦終了までずっと繋いでおくわ。何かあったらいつでも言って構わないわよ」
ナスカは作戦を考えるが、経験不足で考え付かない。今までずっと指示に従っての仕事だったからだ。何から始めれば良いのか分からず、考えれば考える程焦ってくる。それはトーレも同じだった。そんな時、ナスカの脳内にジレル中尉が浮かんだ。協力を頼もうと思い部屋に向かう途中、壁に持たれていた彼が声を掛けてくる。
「……やるのか?」
ナスカは急ブレーキをかけて彼の方を向く。ジレル中尉は作られたばかりの真新しい義手が装着された左腕を右手の指で触っていた。
「もしかして、今の話聞いてました?」
彼は静かに言う。
「盗み聞きするつもりはなかったのだが」
聞かれていたことなんてどうでも良かった。
「でしたら話が早いですね。お力を貸してはいただけませんか?」
ナスカはそう頼んだ。普段なら彼を頼るなんてしなかっただろうが、今は話が別だ。時間がない、人も足りない。
すると彼は右手で腰に装着していた拳銃を取り出す。
「調整するとしよう」
それはイエスという意味だと理解したナスカは、ありがとうと頭を下げた。ジレル中尉は「もし何かあったら私の責任になるからだ」と冷たく言い放つ。だがそれが照れ隠しだとナスカはすぐに分かった。
「ありがとうございます! 心強いです」
ナスカに感謝されたジレル中尉は照れを掻き消すように話題を変える。
「出撃準備をしておけ。こちらは私に任せて構わん」
言い方はぶっきらぼうだがやる気満々なジレル中尉を見ていると、何だか安心してくる。ナスカはそっと拳を胸に当て、祈った。エアハルトが元気に帰ってくることを。
——この作戦の成功を。
「ナスカ、大丈夫? 敵陣の中に突っ込んでいくってことは何かあってもおかしくない。怖くないの?」
出撃する準備をしているナスカに、珍しくトーレが話しかけた。いつもは準備中に声をかけることはないが今日は特別。
真っ暗な空にチラチラと輝く星をナスカは見上げる。星の光はいつもに増して明るく見える。
「私は……大切な人が死ぬのを何もできずに見ているのが一番怖いわ。自分に可能なことはすべて試したいの。エアハルトさんは私の夢を叶えてくださった。だから今度は私が救いたい。お返しができたらいいなって。……彼は平気な振りをしているけど、本当はきっと、助かりたいと願っているはず」
二人を沈黙が包み込んだ。トーレは彼女の覚悟の強さをこの時再確認させられる。そして、彼女と一緒に戦えるのは幸せなことであると思った。
「そういえばナスカ、ジレル中尉って白兵戦は得意なんだって。生身で銃撃戦とか結構得意らしいよ」
機体を簡単に検査していたナスカはその話に興味を持った。
「どこで知ったの?」
するとトーレは満足そうに答える。
「警備科の人に聞いたんだよ。ジレル中尉、元は警備科だったらしい。地上戦功労賞とかいうのも持ってるぐらい優秀で、結構実戦にも行ってたみたい。でもある時、訓練中の事故で優秀なパイロットが数人亡くなった時があって……、飛行経験があったって理由だけでこっちに変えられたんだって」
だからいつも不機嫌に過ごしてたみたい、と彼は話す。しかしナスカは訓練中の事故についての方が気になった。
それを聞いた時、ふとヴェルナーのことを思い出したのだ。ヴェルナーは確か訓練中の事故で足を悪くした。それと関係があるのかもしれないと感じる。
「その事故っていうの、トーレは詳しく知ってるの?」
トーレは突然聞かれて、大きな瞳をぱっちりと開いて不思議そうな顔をする。
「詳しくは知らないけど……それがどうかした?」
「ううん。今はいいわ」
ナスカは笑顔で話を終わらせた。今すべき話ではないと思ったからである。
それから一時間も経たないうちに、作戦を立案したジレル中尉がやって来る。後ろにはヒムロの姿があった。ジレル中尉は簡単に説明し始める。
「この経路なら比較的安全度が高い。これで行く」
足りない分をヒムロが付け足す。
「この男はナスカの機体に乗るの。そっちの機体は坊やが操縦して、あたしも乗るのよ」
そしてナスカは収容所内の予定地点に着陸し救出に向かう。現れた敵はジレル中尉が潰して時間を稼いでくれるという、単純明快で分かりやすいプラン。これなら少人数でも何とかなる。
「では、健闘を祈る」
ジレル中尉は敬礼するとトーレも返す。しかしヒムロはしなかった。
それから助手席にジレル中尉が乗り込むと、ナスカは少しばかり緊張した。彼がいると、試験官にチェックされているみたい感じられる。
こうして、長い夜が始まる。




