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8話 ありがとう

 ここは、暗い暗い地面の底。

 地割れにはまりこんでまっさかさまに落ちたイブンでしたが、幸運にも無事でした。

「いたた……ここは?」

 辺りを見渡すも、何も見えません。

 夜よりも暗いまっくらやみ。

 少し遠くで、光る緑色の玉を見つけました。

 トナの鼻です。

 トナはひっくり返って倒れていました。

「トナ! しっかりして!」

 体を揺らしてみると、トナはうーんとうなって目を覚ましました。

「はっ、ここはいったい? わいは何でこんなところに……」

 一人ブツブツつぶやくトナ。

 混乱しているようです。

 やがて何もかも思い出したように大きな声を上げました。

「魔女や! 魔女がわいとぼっちゃんを谷底へ突き落としたんや! やっぱり何かたくらんどったんや、許せん魔女め」

 怒って歯ぎしりします。

 しかしイブンは「ちがうよ」と首を振りました。

「アリーだって、好きでこんなことしたわけじゃないよ、こうするしかほかに方法がなかったんだ」

「そんなん分からへんで。あいつら魔女は凶悪で何をしでかすか分からん悪魔や」

 トナはフンと鼻を鳴らします。

「違う、それは魔女以外のみんながそう思っているだけだよ」

「ぼっちゃんは、やけにあの魔女の肩をもちますなあ。なんであんな悪い奴をかばうんや」

「アリーや、ほかの魔女たちは悪くなんてない。でも、みんなに悪い魔女だ、悪魔だって言われ続けたら、本当にそうなるしかないじゃないか! 魔女じゃなくたって、きっと僕やトナだって、悪魔になってしまうよ……」

「ぼっちゃん……」

 イブンは泣いていました。

「どうしてみんな分からないんだろう、どうして分かりあえないんだろう」

 どうすればいいのか全く分からず途方に暮れていると、ずっと上の方から悲鳴が聞こえました。

 驚いて上を見上げるイブンとトナ。

 イブンにはその声が誰のものかすぐに分かりました。

「アリーだ、アリーに何かあったんだ!」

 イブンは切り立った氷の崖に手をかけ、登ろうとしました。

 しかし足場は悪く、滑るため全く上れず崩れてしまいます。

 それでもあきらめず、イブンは壁にしがみつき続けました。

「早く行かなきゃ、アリーのところへ!」

 その一生懸命な姿を見て、トナは心うたれました。

 なぜ、自分をひどい目にあわせた魔女のためにこんなに一生懸命になれるのか。

 トナには全く分かりませんでしたが、誰か他の人のために自分がつらい思いをして、誰か他の人のために自分を犠牲にしてしまう人を、トナは初めて見ました。

 サンタのおじいさんだって、そんな無謀なことはしません。

 なのにイブンはどうしてそこまで?

 どんなに考えても正しい答えなんて出てこないし、イブンのやっていることが正しいことなのかも分からないのですが、無性に気になります。

 体がうずうずし、ついにはじっとしていられなくなり、トナはイブンのほうへ突進していきました。

 トナは自分の角にイブンのコートの背中部分をひっかけ、一気に飛び上がりました。

 突然後ろへ引っ張られ、イブンの体が浮かび上がります。

 イブンは驚いて目を白黒させました。

「うわあっ、何をするのトナ!」

「じっとしときや、振り落とされるで!」

 ぐんぐん、見る見るうちに急上昇していきます。

 イブンはトナが手伝ってくれたのだと気づきました。

「ありがとう、トナ!」

「礼なんかいらん、わいかて何でこんなことしとるんか分からんのや!」

 あしもとの洞窟に入れば、どこか外へ脱出できたはずです。

 なのにわざわざ魔女のいる場所へ戻るなんて。

 考えていることとやっていることがちぐはぐすぎて、トナはもう何がなんだか分かりません。

 ただ、体が勝手に動いているのだということしか。

 そうこうしている間に、崖の上まで登りきりました。

 そこでは、座り込んで体を丸くするアリーと、それを取り囲むたくさんの白い光、スノーホワイトさんがいました。

「もうやめてください! あっちへいって!」

 アリーは必死でスノーホワイトさんを追い払おうとしていましたが、スノーホワイトさんはひらひらとかわして、アリーの周りを飛び回ります。

「やめて、スノーホワイトさん!」

 いそいでアリーとスノーホワイトさんの間にわりこみ、イブンはアリーをかばうように両腕を大きく広げました。

「……ぼ、ぼっちゃん!? どうして……」

 アリーは泣いてさらに赤くなった赤い瞳をぱちくりさせました。

 崖に落ちたはずのイブンが、目の前にいるのですから。

「あらあら、あなたはサンタさんのところのぼっちゃん」

 一人のスノーホワイトさんが前に出てきました。

 駅に着いたときに話しかけてきたスノーホワイトさんのようです。

「この魔女は昔からの掟を破ったのよ。魔法を使って人間を傷つけないっていう掟をね。だからこらしめなくてはいけないわ、もう二度と、同じことを繰り返さないように」

「大丈夫だよ、アリーはちゃんと分かってる」

「そんなこと分からないわ、反省なんて口や態度では、どうとでも表せるもの。ぼっちゃんは一番の被害者なのに、この魔女を許すというの? 本当にそれでいいの?」

 力強く、イブンはうなづきました。

 それを見ても、スノーホワイトさんはまだ納得できないようで、少ししぶって言います。

「後悔しない? もう少しよく考えて……」

「えーい、やかましいわい! ぼっちゃんがええ言うとるんやからええんや! いつまでもグチグチ言うとらんとどっか行けい!」

「キャー!! トナカイ!」

 いつまでも終わりが見えない二人のやりとりを聞いていたトナがしびれを切らして突進してきました。

 それにはスノーホワイトさんもびっくり仰天、パニックを起こして一目散に四方八方に飛び散って逃げていきました。

「トナ!」

 こちらも驚いたと、イブンとアリーもスピードを落としながら近寄ってきたトナに目を丸くします。

 トナはぷいっと顔を背け、

「ぼっちゃんが困っとったから助けただけや、別に魔女のためにやったわけやない」

 そしてふんと鼻を鳴らしました。

 それを見たイブンは少し笑った後、アリーの方を向いて、手を差し伸べました。

 腰が抜けて動けなくなっていたアリーはイブンの手を見つめますが、その手につかまろうとはしません。

「アリー、大丈夫?」

「……どうして助けに来たですか? アリーにはそんなことしてもらう理由なんてないし、して欲しくもないです! せっかく助かったんだから、さっさと黒いサンタのところへ行くなり家へ帰るなりすれば良かったです!」

 アリーはうつむいたまま怒鳴りました。

 イブンは黙ったまま、困った顔でアリーを見下ろします。

「お前ー、ぼっちゃんがせっかく助けに来てくれてんから、感謝くらいしたらどうやねん!」

「うるさい! 誰も助けてくれなんて頼んでないです」

「ごっ、ごめんね、アリー。でも僕は……」

「どうしてぼっちゃんがあやまるです!? あやまって欲しくなんかないです、悪いのはアリーなのに、なのに……」

「何やもう言ってることがムチャクチャやな」

 トナのツッコミ通り、アリーの頭の中はいろいろな気持ちやたくさんの言葉の嵐が起きて、しっちゃかめっちゃかでした。

 だから何と言っていいのか分からず、でてきた言葉を手当たりしだいに吐き出しているに過ぎないのです。

「全部アリーのせいです、ごめんなさい、ごめんなさい」

 アリーは泣きながら謝りました。

 しかし、その心の中の嵐はおさまらず、よけいにひどくなった気がしました。

 謝られたイブンの心のも、何かがチクリと刺さったように痛いと感じます。

 そのときでした。

 ずいぶん長い間この洞窟で暴れたり大声を上げたせいでしょうか、天井にぶら下がっていたつららが何本か、イブンたちめがけて降ってきました。

「ぼっちゃん、危ない!」

 誰よりも早く気づいたアリーは、イブンを押しとばします。

 氷の床を滑るように後ろへとばされたイブンは、大きな音とダイアモンドダストの煙、そして目の前の光景を見てがくぜんとしました。

「あ、アリー!」

 思ったよりも大きな、一つで人間ひとり分あるようなつららがいくつも地面に突き刺さり、その一本が倒れたアリーの足を挟んでいました。

 つぶされた足からは、赤い血がとめどなく流れだし、赤い水たまりを作っていきます。

 魔女の中には紫色の血が流れている。

 そう噂する人もいますがそんなことはありません、人間と同じ、真っ赤な血が流れているのです。

「アリー、しっかりして! ごめんね、僕のせいで……」

「ぼっちゃんが無事なら、それでいいです……。ごめんなさい、アリーが魔法を使ったから……」

 だんだんアリーの顔が白くなっていきます。

 どうすればいいか分からず、トナもイブンもその場を動くことができません。

 アリーのそばにかがみ込み、イブンは何度も何度もごめんなさいを繰り返しました。

 しかし何度言っても、心の中はもやもやした霧のようなものが晴れず、妙にチクチクと胸が痛むのです。

 ごめんなさい。たった一言の言葉が、どうしてこんなに苦しいのでしょう?

 大切な言葉のはずなのに、声にするたびに悲しい気持ちが噴水のようにこみ上げてきます。

 そのなぜ? を考えたとき、イブンにはその答えがはっきりと分かったのです。

 ごめんなさいよりも、大切な言葉、相手に感謝をして、思いやる言葉。

 そしてなによりも、相手を傷つけてしまった自分を許せるおまじない。

 どんな強力な魔法よりも強い、心の呪文。

 イブンの心の中にはたしかにあったのです。

 そして、世界中のみんなの心にも、秘められているのです。

 ほんの少し前まで、知っていたはずなのに、イブンはこういう使い方を知らなかったのです。

「アリー、ごめんなさいじゃなかったんだ。本当に、伝えたかったのは……」

 アリーはイブンをゆっくりと見上げました。

 頭がふらふらして、目がかすみ、イブンの姿はぼんやりとしか見えません。

 そのせいか、耳は怖いくらいはっきりと聞こえていました。

 イブンの声が、ガラスの鈴のように鳴り響きます。

「助けてくれてありがとう。今も、初めてあったときからも、ずっとずっと」

 思えば、不思議な魔法を使ってイブンを感動させてくれたのも、凍ってしまったおじいさんや雪グマを助けてくれたのも、イブンの無茶な旅立ちを止めずに、ここまでついてきてくれたのも、他でもないアリーでした。

 そのことについて一度もお礼を言っていなかったことに、今気づいたのです。

「ありがとう、本当にありがとう」

 言うたびに、心の中があらわれるように、心地よい感覚に包まれ、自然と笑顔がこぼれます。

 それを聞いたアリーの顔も、ゆっくりと太陽のように明るくなり始めました。

「……人間に、誰かにお礼を言われるなんて初めてです。何だか嬉しいものですね。アリーの方こそ、ありがとう」

 笑顔のまま、アリーは目を閉じます。

 それからは、いくらまってもその瞳が開くことはありませんでした。

「……アリー?」

 名前を呼びました。

 しかし返事はありません。

 手袋をはずし、さわったアリーの頬は、どんな氷よりも冷たく、冷えていきます。

「魔女が、死んだ……」

 トナがつぶやきました。

 イブンは青ざめ、泣きながらアリーの体を揺らします。

「起きてアリー! だめだよ、こんなところで眠っちゃだめだよ!」

 必死で呼びかけても、長い眠りの国へ歩いて行くアリーを止める方法なんて、イブンは持ってはいないのです。

 イブンは泣きました。

 声がかれても、涙さえ流れなくなっても、イブンはひたすら叫び続けました。

 泣き続けました。

 少し遠くで、トナもホロリともらい泣きしました。

「泣かないで、泣かないで、イブンぼっちゃん」

 イブンの耳元でささやくものがおりました。

 さっき逃げていったスノーホワイトさんです。

 顔を上げたイブンに、スノーホワイトさんは笑いかけました。

「魔女アリーは、掟を破っ道を踏み外したけれど、自分の罪を改め、そして罪をおかした自分自身を許すことで、罪をつぐなったのよ。自分の命と引き替えにね。もうアリーは嘘つきではないわ、悪い魔女でもない。だから、もう心配することはないのよ」

「でも、でもアリーは死んでしまったんだ、悪くないって分かったって、もうアリーは帰ってこないんだよ?」

「祈るのよ。強い祈りが届けば、眠りの国の扉はきっと開くわ」

 そう言うと、スノーホワイトさんは空高く飛び上がりました。

 アリーの真上を円を描くように華麗に舞い、踊り始めます。

 それに続くように、隠れていた他のスノーホワイトさんたちも集まってきて、美しい妖精のダンスを踊りました。

 踊った後には、輝く金色の粉が粉雪のようにふりそそぎ、アリーの上に積もります。

 全ての命を受け入れる証、祝福の粉です。

 すると、アリーの周りにくずれていたつららの残がいが、パキーンと音を立ててくだけ散り、消えていきました。

 アリーの足の上に落ちていたつららも、きれいさっぱり、消えてなくなります。

 姿を現した、傷だらけのアリーの足にも、祝福の粉が降り注ぎました。

 たちまち、足の傷は消えてなくなり、なにもなかったかのようにもとにもどります。

 イブンがぼうぜんと見守る中、奇跡は起こったのです。

 かたく閉じられていたアリーの目が、ゆっくり開きました。

 頬は血が流れているのがはっきりと分かるくらいほんのりさくら色に染まり、息を吐くたびに白くなっては空へと登っていきます。

「……ぼっちゃん?」

 アリーの声が聞こえました。

 消えてしまいそうな小さな、かすかな声でしたが、イブンの中には大きく、力強く響きわたりました。

「あ、アリー、よかった、よかった!」

 上半身を起きあがらせたアリーを、イブンはしっかりと抱きしめました。

 枯れていた涙がまた流れ出し、頬を温かく伝います。

「アリーはいったい……?」

 頭がぼんやりしていたアリーも、徐々に何がおこったのかはっきり分かってきて、ふるえる手でイブンを抱きしめ返しました。

「アリーは、アリーは幸せものです。ぼっちゃんに会えて良かった、本当に良かった」

 共に泣き、そして喜び合いました。

「二人とも、のんびりしているひまがないわ。さっきからの騒ぎで、黒いサンタがあなたたちのことに気づいてしまったみたい。早くお逃げなさい、見つからないうちに」

 スノーホワイトさんが教えてくれました。

 はなれて立ち上がった二人は、顔を見合わせました。

 イブンは、瞳を光らせて強く笑います。

 それを見たアリーも、にっこりほほえみました。

 心の中は、一つの決意であふれています。

「スノーホワイトさん。僕たちは黒いサンタに会いに来たんだ。だから逃げるわけにはいかない。前へ進む道を、黒いサンタの行る場所へ通じる道を教えて」

 スノーホワイトさんたちは驚いて、ざわざわと騒ぎ立てます。

「無茶よ、そんなこと」

「黒いサンタに会うなんて、自殺するようなものよ」

「悪いことは言わないから、お止めなさい、お帰りなさい」

 それでも、イブンたちの決心が揺らぐことはありません。

 それがはっきりと伝わりスノーホワイトさんたちはうなづきました。

「あなたがさっき落ちた場所、そこにあった洞窟をまっすぐ行けばいいわ。だけど気をつけてね」

「ありがとう、スノーホワイトさん」

 イブンがお礼を言うと、スノーホワイトさんたちは笑って、すうっと霧のように姿を消しました。

「無事に、戻ってきてね」

 イブンはそれを見送ると、振り返ってトナを見ました。

「トナ、ここまで連れてきてくれて本当にありがとう。でもソリはなくなっちゃったし、ここから先は危険だから、先に家に戻って」

 するとトナは鼻をならして言いました。

「なに言うとるんや。ここまで来れば一蓮托生、運命共同体や。だいたい、帰りはどうするつもりや。ほれみい、トナさんがおらんかったら何もできんやんか。ほれ、背中に乗り。ソリがなくたって、ガキんちょ二人くらい、楽々運んだる」

 そうして、足を折ってかがみました。

「アリーはガキんちょじゃないです」

「やかましいわ、見た目がガキんちょならガキんちょやねん。はよ乗れ、黒いサンタに見つかる前に、こっちからつっこむんや!」

「ありがとう、トナ!」

 イブンはトナの背中にまたがりました。

 その後ろに、アリーが足をそろえて座ります。

「ほな、行くで!」

 トナは軽やかに走り出しました。

 絶壁をかけおり、横穴の洞窟へまっしぐら。

 黒いサンタに会えるまで、もう少しです。

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