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アリスの眸  作者: 智汐瞑
第一章:登校
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その後放課後になるまで、俺の頭の中は生徒会室に残してきたアリスのことでいっぱいいっぱいだった。

授業の内容が入る隙間もないほどにそれはもう考えに考えていて――と言うのは嘘である。アリス流に言い換えるのなら冗談だが。

そもそもアリスは監禁されているわけではないし、羽鳥先輩の話を信じるとするのなら寧ろ全てはアリス自身のためのことなのだ。身の危険どころか特別高待遇である。心配すべきところなど何一つとしてなかった。

それに生憎と俺は四六時中授業そっちのけでアリスのことを考えていられるほどご気楽な身分でもない。

ただでさえ一学期のほとんどを欠席してきているのだ。その遅れの分もあってか、最近は授業に集中していないとすぐに置いていかれてしまう。

こんなことを正直に言ってしまえば、アリスは激怒するのだろうけど。

そのことだけはぼんやりと考えながら、掃除を終えた俺は大人しく生徒会室に向かった。

我が弓町高校の生徒会室は校舎の中の僻地、奥の棟の四階に位置している。

進む度に人気が減る廊下を進んでいき、ようやく見えた扉に俺はそっと手の甲を添えた。

こんこんこんとノックをする。


「はい、ただいまですわ」


どうやら羽鳥先輩は既に室内にいたようだった。

もしかしたら宣言通り今日は授業を全部欠席にしたのかもしれない。

彼女ならそうしても全く問題ないのだろうな、と考える。俺の記憶が正しいとするのならば、今年の三学年の主席は入学当初から今までずっと、羽鳥深紅で揺らがないという話があったはずだ。流石に毎回全教科のテストで満点を叩き出しているというのは根も葉もない噂話だと思うが。

がちゃり、と扉が内側から押し開けられる。

予想通り中から顔を覗かせたのは、羽鳥先輩その人本人だった。

心なしか朝見た時よりも目元がきりっとしているようだ。


「あら、神埼さん」


虚を突かれたような声が上がる。

アリスの迎えに来て欲しいと言ったのは羽鳥先輩だというのに、一体どうしたのだろうか。


「あ、どうも」


内心で首を傾げて、俺はふと思い当たった。

羽鳥先輩が俺ではなく誰か、生徒会役員を迎え入れるつもりで扉を開けた可能性だ。

そもそも生徒会室の使用目的は生徒会運営の名の下にあるのである。

俺のような一般生徒が気安くふらりと足を踏み入れて良い場所ではないのだ。アリスが当たり前という顔をしていたからうっかりしていたが、そう考えると、俺が今ここに立っているのも違和感があった。

聡い羽鳥先輩は俺の表情が微妙に変わったことで全てを察したのだろうか。曖昧に微笑む。


「ごめんなさいね、お呼びしたのはこちらの方ですのに。最近生徒会委員の出入りが激しいものですから、一瞬戸惑ってしまいまして」


アリスのあの理不尽な横暴さとは正反対である。

俺も一応そういった方面の性的嗜好はごく一般的なので、やはりこういう優しさは身に染みる。

眸が好みではないとは言ったが、訂正しないといけないかもしれない。

それに今朝の一件で第一印象があれだったから、うっかりアリスと同等かそれ以上の変人だと考えてしまっていたが、羽鳥先輩は本当は優しい普通の少女なのだろう。何処かの誰かさんとは違って。

――そういえば、アリスはどうしたのだろうか。

短気で傲慢で我儘自分勝手なあの性格からして、俺の顔を見た途端に罵声を浴びせかける気かもしれないと予想していたのだが、一向にやってくる気配すらない。


「あの、アリスは」

「あぁ、アリスちゃんならですね」


ふらり、と羽鳥先輩の視線が泳ぐ。

少し身を引いてくれたその肩越しに見えた光景で、俺は全てを察した。


「寝てますか」

「そうなのです、不貞寝してしまったのですわ。そんなところも可愛いのですけれど」


でも困りましたわ、とでも言いたげに頬に手を当ててみせる羽鳥先輩。

悩ましげな姿すら艶っぽく見えるのだから、不思議な人だった。

視線を羽鳥先輩から、向こうに見えるアリスに移す。

本当に不貞寝かどうかはさておき、アリスはすっかり熟睡しているようだった。

まぁ、あのわけのわからない子供っぽさが抜けない性格からして、不貞寝もありえるだろう。

瞬時に納得し、羽鳥先輩が支えてくれている扉を通り抜けて、アリスの寝ているソファーに近づいていく。

一歩、二歩。生徒会室はおかしいほどには広くない。

じっと上からソファーへと視線を落とす。

寝ているアリスは本当に人形のようだった。市松人形というよりは球体関節人形、即ちビスクドールといったところか。胸が微かに上下しているのさえ気がつかなかったら、等身大の人形といってもそのまま通じてしまうのではないだろうか。少し不謹慎な比喩をするのなら、死体、みたいでもある。

珍しいことに左眼の眼帯は外されていて、閉じた両瞼が揃って見えていた。

淡く血管が透けている陶器のように蒼白んだ肌、こうして見ると、その左瞼の下は義眼が嵌め込まれているとは気がつかないだろう。まぁ、眠っている時、目を閉じている時、限定でだが。

ゆっくりと膝を折って俺はアリスの肩に手を添えた。ぞっとするほど華奢だ。


「アリス、起きろ」


ゆさゆさゆさ。

完全に脱力し切っているらしく、俺が揺する度にがくがくと首が揺れる。

ぽろりと今にも取れてしまいそうだ。


「アリス、おい」


アリスは一向に目を醒まさない。

寝ている時までも自分勝手なのかと思うと、急に腹が立ってきた。


「引きこもり、社会不適応者、幼児体型」

「聞こえているぞ、眩」


ぱちりと閉じていた瞼が開いた。

漆黒の眸が軽蔑の色を湛えて俺の顔を映し出している。――ただし右眼だけが。

やはり、アリスはよほど嫌いなのだろうか。その自分自身の、左眼の義眼を。

一度も実際に見せて貰ったことはないので、どんなものだとは一概には言えないが。

むぅ、とアリスの見たことのない方の眸に思いを廻らせている隙に、彼女はさっさと眼帯を付け直してしまったようだった。

いつも通りに見慣れた隻眼姿で、冷ややかな視線を投射してくる。

先程まで眠っていたのだから少しは眠たげな感じでも良さそうなものだが、そんな様子は微塵もない。


「お前、そもそも眠っていたのかよ」


そもそも、といった根本的な疑問に思い当たる。

しかし、アリスはそれには答えずに軽く首を竦ませてみせた。

自分でそれぐらいは考えろという呆れの意味か、それともその通りだという肯定の意味か。

見つめ返そうとすると、アリスの視線は興味を失ったように俺から、羽鳥先輩へと移ってしまった。

何か言いたげに口を歪めている。躊躇いがちにアリスが息を吸った、その瞬間だった。

こんこんこん。控えめなノックの音。三回分。

ちらり、と口を閉ざしたアリスの視線が扉の方へと動く。俺もその先を追った。


「あのぅ」

「はい、いかが致しましたかしら」


すたすた、と別段驚くこともなく羽鳥先輩は扉の方へと向かう。

何となく居心地の悪さを覚えて、俺とアリスはその場で顔を見合わせた。アリスは少し不満そうだ。

かちゃと扉が細く開けられる音がする。


「あら、榎本さん。図書委員会の審査は昨日受付しましたけれど、何か問題でもおありで?」

「せ、生徒会長さん」


扉の向こうから漏れ聞こえてくる小さな声は震えているように感じた。

もしかして泣きそうになっているのかもしれない。

懇願、哀願、切実な赦しを請う声。

人間のものは聞き慣れていないが、そういった類のもののように思えた。


「あぅうう、もう、わ、わた、私」

「え、あの、どうなさいました? 落ち着いてくださいませ」


明らかに動転した様子の羽鳥先輩の声。

もう一方の聞き慣れない方は、どうやら嗚咽混じりに何かを訴えているようだった。

一体、何が起きたんだ?

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