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「うふふふ、アリスちゃんが本当にいらっしゃってくださるなんて。私、感激ですわ」
目の前ではソファーにゆったりと腰掛けた羽鳥先輩が微笑んでいる。
一方、俺の隣に座っているアリスといえば、その笑みとは対照的に、両頬をものの見事に膨らましていた。
非常に子供っぽい。なまじ童顔な分、似合ってしまっているのだが。
しかし、その身から滲み出ている険悪さだけはただならぬものがあって、俺自身もあまりおちおちと笑ってはいられないようだった。八つ当たりを自らくらっていては、身が持たない。
居心地の悪さに柱時計を見上げると、時刻はそろそろ八時を越えようとしていた。
すなわち、ここ生徒会室に連行、もとい、案内されてからそろそろ三十分を過ぎようとしている。
「あぁ、可愛い、可愛いですわアリスちゃん。私のお人形コレクションに加えたいくらいですわ」
「止めろ、深紅がそれを言うと冗談に聞こえない」
うっとりとした眸で呟く羽鳥先輩に、アリスは心底ぞっとしたように身を縮ませた。
さすさすとブレザーの上から腕まで擦っているようだ。
あんなにも怒っていたのに変化は一瞬である。
そんなにも恐ろしいことを羽鳥先輩は口にしただろうか。行き過ぎな褒め言葉ぐらいな気がするが。
表情には出していないつもりだったが、アリスには俺の疑問がわかったのだろう。
苛々モードに戻った声音で、ぼそぼそと解説してくれる。
「深紅は人形大好きな変態だからな」
説明になっていなかった。純粋な悪意で出来た、ただの悪口だった。
しかし、そこは生徒会長というべきなのだろうか。
羽鳥先輩は大して顔色を変えることもなく、丁寧に訂正の手を入れた。
「あら、人形コレクターと言っていただけないかしら?」
「大差ないだろう。どっちみち人形を見てはぁはぁしている変態に違いないのだから」
「それは人形好きな人たち全員に失礼ですわ。私個人に関しては間違っておりませんけれど」
間違っていないのかよ。
思わず突っ込みかけて、相手が俺より上級生であることを思い出す。
危ない危ない。自重せねば。チキン精神万歳である。
ただ、ふと、先程のアリスの説明を思い出し、俺は苦笑いをした。
確かに俺もアリスに眼球大好きな変態と言われても言い訳が出来ないな、と。
「それで」
流れが良くない方向へ進んでいると気がついたのだろう。
アリスが無理矢理言葉を継いだ。
先程、羽鳥先輩が入れてくれた紅茶に口を付け、少し舌を出してから、言う。
「どうしてアリスを呼びつけたのだ、深紅」
「私がアリスちゃんにお会いしたかったから、というのはいかがでしょう?」
「帰るぞ、眩」
ばっ、と勢いよくアリスが立ち上がる。
普段というか俺の知る限りでは、決して運動神経が良いとはお世辞にも言えない彼女だが、この時の動きは特筆に値すべきものがあった。迷いも、無駄も、ない動き。
一緒に来いと眸だけで俺に命令して、アリス自身はすたすたと扉へ向かう。
本気で帰る気なのだろう。慌てたように羽鳥先輩が手を振った。
「嘘よアリスちゃん。怒らないで欲しいですわ」
「嘘は大嫌いなのだ」
自分はどうなんだよ、と喉元まで出掛かっていた言葉を俺は呑み込んだ。
振り向いたアリスの眸は冷え冷えとしていた。
いつか、そう、初めて出会った日を彷彿とさせるような。月を思わせる凍てついた眼差し。
その迫力はアリスが隻眼だからということも加味されるのだろうか。
「用がないなら帰らせてもらうぞ」
宣言をしたアリスは思い切り扉を押そうとして、――そこで俺は羽鳥先輩がどうして座ったままでいるのかを思い知った。
「アリスちゃん、残念ですが、鍵はここにありますの」
「っ、し、深紅」
アリスの顔が頬から徐々に真っ赤に染まっていく。
しゃりん、と見せ付けるように鍵束を指で回して、羽鳥先輩はちょっと困ったように微笑んだ。
「怒らないで欲しいですわ、アリスちゃん」
「ふざけるな、怒るに決まっているだろう!」
「アリスちゃんにここから出て行かれると困りますので、こうせざるおえなかったのですわ」
まぁ確かに、アリスの行動パターンを鑑みれば、帰ってしまうことは簡単に想像できる。
付き合いの浅い俺でさえそう思うのだから、きっと俺よりも付き合いが長いだろう羽鳥先輩ならなおさらそう考えたのだろう。
ふむ、と冷静に納得する一方で同時に俺はほとほとに困っていた。
先程時計を見上げた時に、文字盤はそろそろ八時二十分を越える辺りを示していたのだ。
他の高校がどうなのかは知らないが、弓町高校には朝のショートホームルームというものが存在する。
八時三十分から始まるそれに出席しないと、遅刻か、最悪の場合欠席扱いになってしまうのだ。
それは大いに困る。
ちらちらと俺が時計を気にしているのを察したのだろう、羽鳥先輩がこちらに水を向けてきた。
そしてソファーから立ち上がってゆっくりとこちらに近づいてくる。
「あぁ、そうでしたわね、神埼さんには通常授業がおありになるのでしたね」
「な、く、眩、アリスを置いて行く気か!」
「いや、置いて行くったって、俺には授業が」
あの事件のせいで出席日数が不味くなってるから、とは絶対に口にしない。
流石の俺でもあれは自分の責任でしかないことは理解している。だから。
「ほら、アリスちゃん、神埼さんを困らせてはいけませんわ。安心してください。私が今日一日ずっと一緒にいて差し上げますから」
「嫌だ、近寄るな、触るんじゃない!」
しゃーっ、と何処から発しているのかわからない奇声を発しながら、アリスは執務机らしきものの後ろへと逃げ込む。その隙を突くようにして、羽鳥先輩の唇が俺の耳に触れた。
「アリスちゃん、このままいらっしゃらないと留年になってしまいますの」
留年、という言葉にぎくっとなる。
痛いほど身に覚えがある言葉だった。ありすぎて困るぐらいだ。
身体を強張らせたことに気付かれないよう、身動ぎせずにいると羽鳥先輩はそのまま続けた。
「二年連続留年は退学、流石にそれは避けねばならないのですわ」
「え?」
疑問を口に乗せようとした時にはもう、遅かった。
「さぁ、神埼さんは授業へとご出席なさりに行ってくださいませ」
「裏切り者!」
「生徒会長たるもの、生徒のサボりを見過ごすわけにはいきませんのですわ」
「……」
やはりアリスの性格の基軸はブレが激しい気がする。
実はそう振舞っているだけで、生来の性格は違ったりするんじゃないだろうか。
今まで何回も浮べては消している疑念について思いを馳せるのをほぼ同時に、肩を押された。
「はい、いってらっしゃいませ」
どうやら生徒会室の外に出して貰えたらしい。
振り向くと、何故だかわからないが、微笑んだままの羽鳥先輩の顔に翳が落ちているように見えた。
「お迎えには伺っていただけるかしら?」
「あ、はい」
反射的に俺が頷いてしまうのを見届けて、ばたん、と扉は締め切られた。
それに被るようにして、ショートホームルーム開始のチャイムが鳴り響く。
俺以外の人影が見当たらない廊下は、リノリウムに朝の光を反射している。
――もしかしたら、俺は追い出されただけなのかもしれない。
眩くんは最初は常和くんって名前でした。




