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「それでアリス、このスタンガンはどうするんだ?」
「毎度のことながら、君の動きはまるで獣のそれだな。……取っておけば良いだろう。何かの役に立つかもしれないのだし」
血を流し込んだような夕日が窓の外に見えている。
申し訳程度には後ろ手を縛った、気絶した状態の榎本先輩をソファーに寝かせて、俺は手の中にある小型のスタンガンを見やった。明らかに違法改造ものだ。
今回は榎本先輩がこういったことに慣れていなかったようで、難なく奪い取ることに成功したが、これが多少でも喧嘩慣れしている相手だったら――と今更ながらにぞっとする。
まあ、使えるものは何だって使う主義だし、持っていて損はないだろう。
結局俺はそう自分を納得させて、制服のポケットにスタンガンを滑り込ませた。
夕日はどんどん街に呑み込まれていっている。
「榎本先輩はどうするんだ?」
窓の外の景色に魅入っているアリスに声を掛けると、彼女は頬を赤く染め上げた顔で、あっさりと言った。
「知らん」
「知らんって、お前な」
「知らないものを知らないといって何が悪い。アリスは依頼もこなしたし、訊きたいことも訊き出せた。後は深紅が何とかしてくれるさ。後始末は得意だろうし」
今までだってそうだったしな、とあくまで淡白にアリスは付け加える。
そうかとそのまま納得してしまうのは簡単なことだった。羽鳥先輩は一体何者なんだという疑問は残るが。
弓町高校の生徒会長ごときの権限などは高が知れていると思うのだ。
俺にとっては雲上人に等しい彼女らも、所詮は選挙によって選ばれたというだけの普通の高校生に過ぎない。
「繭乃も君ほど壊れてはいないようだから何とかはなるだろう。幸い彼女のスイッチとなりそうな、知られたくない真実を知っているのは、アリスと眩と深紅ぐらいだしな」
「おい、俺ほど壊れていないってどういう意味だよ」
顔を顰めて見せると、ふんっとアリスは鼻を鳴らした。
「繭乃には自分の犯行がバレる危険性を冒してまで他人の無実を証明させる優しさと、死なせてしまった相手を絶対に忘れない程度の罪の意識はあるってことだよ」
言外に、いやはっきりと俺にはそれが欠如しているのだ、と指摘された気分だ。
良い気分ではなかったが、それは間違っていると指摘を返せるほど、俺は自分の行動に正しさを見出せない。だから俺は不満げに口を尖らせることしか出来なかった。
「まあ、これでこの一件は片付いたのだ」
ふらり、とアリスは俺の脇を通って生徒会室の扉の方へと歩いていく。
赤く染め上げられた小さな後ろ姿は、どことなく頼りなく儚げだ。
それは無言のままで着いて来るんじゃないぞ、と主張しているようで。
扉を押し開いて出て行く背中を、俺はただ見送ることしか出来なかった。
扉が閉まる。俺と気絶したままの榎本先輩だけが生徒会室に取り残される。
「アリス」
無意識の内に、俺は彼女の名前を呼んでいた。
アリスがこうして犯人との対決を終えた後に、ふらりと何処かへ行ってしまうのは決して珍しいことではない。けれども今回は、いつもよりそのことへの不安を感じたのだ。
夕方と夜の狭間、宵闇に小さな背は溶け込んでいってしまいそうで。
ワンダーランドに行ったまま帰ってこない、間違った物語のアリスになってしまいそうで。
出来損ないアリス、とかつて彼女は自分を自嘲していたことがあったけれど。
ほとんど義務感に駆られるように、気付いたら俺は行ってしまった華奢な後ろ姿を追って生徒会室を飛び出していた。
全く持って自分らしくない。白兎を追うのはアリスの役目だろうが。
今や白兎でもなんでもない俺がアリスを追うのは何かが間違っている。
――いや、アリスに何かあった場合、俺の愛しの眸にも何かあるのと同等なんだぞ。
無理矢理自分をそう納得させる。
やはりこの時間帯になると、廊下に人影などそうそう見当たらなかった。
部活がある者は大抵部活の場所にだろうし、そうではないものはとっくに帰ってしまっている時間帯だからだろう。だからアリスを見つけることなんて簡単だろうと高を括っていたのだが、現実はそう上手くことが運ばないように出来ているようだった。
「アリス、何処にいるんだよ、アリス」
小走りの速度で廊下を駆け抜ける。探している小さな背中は見つからない。
教室に行ったのかと一瞬考えたが、俺はすぐにその考えを打ち消した。
教室棟とこの棟は離れすぎている。それにアリスの性格からしてそちらに近づくのは考えられなかった。
いるとしたらこの特別棟内だけだろう、という根拠のない考えを元にぐるぐる探し回る。
「アリス、おい、アリス」
階段を下って、階段を下って、上がって、また下って。何度往復を重ねただろうか。
人気がなさそうな部屋は大方覗いてしまった。けれどもアリスを見つけることは出来なかった。
――無駄なことを、したのだろうか。
途方に暮れながら生徒会室に大人しく戻ることにする。
アリスの荷物はどうすればいいだろうか。持って帰ってやった方が得策なのだろうか。
日は既にとっぷりと暮れていて、生徒会室の扉を開けると蛍光灯の光が眼に眩しかった。
あれ、俺、蛍光灯点けて出てたっけ?
「何をやっているのだ、この馬鹿め」
その疑問はすぐに解消された。
「え、アリス?」
榎本先輩は何処かに連れて行かれた後だったのか、他にはだれもいない生徒会室で、一人の少女だけがソファーに腰掛けている。
つんっと澄ましたその姿は、まるでビスクドールのようだ。
「誰もアリスを探しに来いとは言っていないだろう」
どうしてだろうか。
ついさっきまで自分でも思っていたことのはずなのに、アリスに同じことを言われると無性に腹が立った。
顔を引き攣らせていると、ふんっとアリスは鼻を鳴らして――俺から視線を逸らして、ぽつん、と小さな声で呟いた。
「まぁ、嬉しかったがな」
だから、キャラを一定に保ってくれって。俺の内面感情が混ざってわけがわからなくなるから。
赤面した顔を悟られないように、俺もそっとアリスから視線を逸らした。




