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アリスの眸  作者: 智汐瞑
第三章:疑問
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16

首に真綿を巻かれてじわじわと締め上げてられているような会話をこなすこと、十数分。

ざわざわと扉の向こうから聞こえてきたざわめきが、俺には天からの救いの声のように感じた。

けれども、そこから再び時計の長針が四分の一周して――。

俺はまた、アリスと出会ってしまったことを嘆き始めていた。

いや、アリスの眸は大好きですよ?

今までもこれからも、ホルマリン漬けにして保存したいほど愛してますよ?

でもこんなことに巻き込まれることは勘弁して貰いたいのだ。薄々とは予想を立てていた事態ではある。

だが、ただでさえ険悪な雰囲気の会議の場に部外者としているというのは、想像以上に精神力を削る苦行だった。げんなりしながら隣を見ると、アリスはいつもといたって変わらない傲慢そうな顔で、目の前に広がっている図書委員会の臨時招集を眺めている。

硝子の心臓を持っていそうな顔をしているくせに、実態は毛でも生えているんじゃないだろうか。

はぁ、と思わず溜息を吐くと、きんきんと甲高い声が鼓膜を突き刺した。


「あのね繭乃、アタシたちだってそんなに暇人じゃないのよ? この件については榊原が犯人だってことで落ち着いたじゃない。罰もないんだし。どうして今更蒸し返したりする必要があるのよ」

「あの、落ち着いて、涼那ちゃん」

「落ち着くのはアタシじゃなくて、この件に関しての結論よ!」


声の方へ視線を送ると、弱りきった顔の榎本先輩が、ショートカットの赤眼鏡を掛けた少女に詰め寄られているところだった。

激昂しているらしい釣り眼気味の目元は、赤眼鏡の相乗効果できつさを倍増させている。

――嫌いでもなければ好きでもない、ごく普通の眸だな。

何よりも先にそう眸を見て評価を下している自分に気がついて、俺は苦々しい笑みを浮べた。いけないとは思っていても、初対面の人を見て男女関係なく眸から評価をしてしまうのは、どうしても抜けない癖なのである。

赤眼鏡の少女はショートカットを振り乱しながら、なおも言い募っている。


「大体繭乃は委員長でしょ、しっかりしてよ!」

「あ、うん、ご、ごめんなさい」


榎本先輩はもう少し頑張ってくださいよ。

余りにもあっさり頭を下げる姿に、思わず内心突っ込みを入れてしまう。

既に涙目になって誰かに助けを請うようにきょときょとしている姿は、到底委員長には見えない。

寧ろ三年生の姿にも見えない。まるで先輩に理不尽な要求をされておろおろしている一年生だ。

そんな榎本先輩の様子を見かねたのだろう、二人の傍にぼんやりと立っているだけだった少女が小さな声で助け舟を出しているのが聞こえた。


「……涼那せんぱい、静止」


蚊の鳴いているような細い声だ。

その少女の特徴である、顔の半分以上を覆う勢いの前髪が、困ったように揺れる。


「……繭乃せんぱい、冷静」


まだ言い足りないとばかりに息を吸い込んでいた赤眼鏡の方の少女が、その声に気を削がれた形で溜息を吐く。


「わかったわよ恵夢。ほら、繭乃は泣かないの」

「う、うん」


おろおろと涙目のままの榎本先輩は、淡く二人の少女にはにかみを見せている。

これでは誰が一番この中で偉くて、年上なのかわかったものではない。

他人事な感想を持ちながら、少女たちの茶番を眺めていると、ふぅっとショートカット赤眼鏡が腰に手を当てて息を吐いた。


「そうよね、繭乃が悪いわけじゃないものね」


ちらり、とこちらを横目で見る視線にはあてつけがましさが溢れている。

これ見よがしにアリスが悪いと言わんばかりの態度だ。まあ、その通りなのだけど。

しかしその視線の先の当の本人はこんなことで傷付くはずもなく、また怒り出すほど子供っぽくもなかったらしい。

ふんっと余裕綽々に鼻を鳴らしてみせただけで、黙ったまま話の行く末を見守っている。

反応が芳しくなかったのが面白くなかったのだろう、赤眼鏡の少女は唇を歪めた。


「まぁ、いいけどね。そういえば繭乃、この人たちに自己紹介とかした方がいいの?」


口調が刺々しい。

俺が悪いことをしたわけでもないというのに、チキンハートはものの見事に脈拍を速くしている。

アリスは平気な顔をしていられるかもしれないが、俺は本当の意味でも部外者に等しいので、開き直ることすら出来ないのだ。

横目でそっと窺うと、流石と言うべきか、アリスは腕を組んだまま右眼を細めていた。


「いやいい。必要な名前は把握済みだ」


俺は聞かないと、誰が誰だか全くわからないのですが。

そんな心情を察してくれたわけではあるまいが、アリスはぴっと小さな人差し指を突き立てた。

うん、人を指差してはいけないと思うぞ。

順繰りにその指が各人を指し示していく。


「まず、そこの赤眼鏡ショートカットは副委員長の西森涼那」


西森先輩、と言われた人は黙ったまま苦々しげに眉を顰める。

アリスの指は、つ、と移動してその隣にいる前髪少女を指し示した。


「前髪娘は同じく副委員長、そして次期委員長となる旗本恵夢」


見知らぬ人間に指摘されたことを戸惑うように、旗本は前髪を揺らした。

次期委員長と肩書きがつくからには、きっと俺と同じ学年の子なのだろう。

残念ながら他人の顔を認知することを苦手とするので覚えていないが。

第一、眸も見えていないことだし。眸の印象から人を認識して覚えるタイプなのだ、俺は。

ぼんやりと眸の魅力について思いを馳せている隙に、アリスによる他の図書委員たちの名前当ては進んでいったようだった。

はっと俺が我に返った時には、アリスの細い指先は並べられた机の最も奥の方、半ば本棚に隠れるようにして居心地悪そうに立っている、目つきの悪い少年を指し示していた。


「最後に奥にいる三白眼、現在犯人扱いされている榊原灯弥」


すでに言われなれてしまっているのか、榊原はともすれば悪口と取れる言葉にも何の反応も示さない。

アリスの行動など端から気にしていないかのように、ただじっと榎本先輩のほうを見つめているだけだ。

その反応の薄さは想定済みの範囲だったのだろう。

アリスはそのままゆっくりと腕を下ろすと、再びそれを組み直した。


「ほらな。言った通りだろう」

「はぁ、だから?」


ぴくり、と西森先輩の頬が引き攣る。

アリスに挑発する気はなかったのかもしれないが、放っておけば喧嘩になりかねないような不穏な空気がその場に流れ始めた。

これは、不味い。何が不味いかはわからないが、とにかく不味い。

何とかしなくてはと俺が口を開くよりも先に、柔らかな声が険悪な空気を遮った。


「まぁまぁ、落ち着きなさってくださいな西森さん。これは生徒会としての依頼ですので、何かご不満があるようでしたら私がお伺い致しますわ」

「会長さん」


しぶしぶ、といった様子ではあったが、西森先輩は怒りの矛を収めてくれたようだった。流石、年長の先輩である。

対照的に先程まで余裕な表情を見せていたアリスは、羽鳥先輩に介入されたことが面白くなかったのか、少しムッとした表情になっていた。全く子供である。アリスだから仕方がないのかもしれないが。

羽鳥先輩自身はといえば、穏やかな微笑みを今度は榎本先輩の方に向けていたようだった。


「榎本さん、今回の全権に関しての責任は全て私が負っておりますので、どうかお気になさらないように。打ち合わせの内容通り、委員の中での話し合いについてもう一度お話しいただきたいだけですわ」

「は、はい」


気負っているのか、榎本先輩の声は少し震えている。

ぐっと力みすぎで持ち上がったその肩を優しく叩いたのは、西森先輩だった。


「繭乃、深呼吸を忘れないの、落ち着いて」

「う、うん、涼那ちゃん」


まだおろおろと視線を彷徨わせたまま、榎本先輩は、委員たち皆の目の間に立つように位置を移動する。

ずり落ちかかってきている丸眼鏡を押し上げると、彼女は前を見据えた。

――かちり、とスイッチが切り替わったかのように、表情は凛々しく変わっている。

パーツは同じ顔のはずなのに、はっとさせられるほど理知的なそれへと変貌している。

もしかすると、これが榎本先輩なりの委員長としてのけじめなのかもしれない。

ゆったりと胸の下辺りで手を組んだ図書委員長は、よく通る声で呼びかけを始めた。


「では、皆さん。これから臨時委員会を始めます。少々予定より遅れてしまい申し訳ありません。今回召集を掛けた目的は、先日の本のパンチ穴あけ事件について、もう一度詳しく話し合おうということです」


ここで小さく息を吸って。


「頭から容疑者を絞り直していきましょう。私にはどうしても、榊原君が犯人だとは思えないのです」


臨時委員会が始まった。

集められた委員の人たちも、この臨時委員会が委員長の我儘だけで開催されたわけではないことには気付いているのだろう。怪訝そうでいて、胡乱なものを見る冷たい視線が、時折俺たちの方に突き刺さって来る。

居心地の悪さはこの上ない。

見知った顔も少ないとはいえ数人分はあるわけで。

首を竦める俺に、首を僅かに傾けながら榎本先輩の演説を聞いているアリスが、ぼそりと囁いた。


「眩」

「何だよアリス」

「――いや何でもない」

「は?」


視線をそちらに向けてみるが、細められた少女の眸は何の答えも返してはくれなかった。

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