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ぴぴぴぴ、と携帯の目覚まし機能がアラーム音を鳴らしている。
「っなんだよ、まだ眠ぃ」
やや乱暴な手つきでそれを止め、俺は寝惚け眼を擦った。
視界いっぱいに、見慣れない部屋の風景が飛び込んでくる。
正確に良い表すなら、部屋とも呼べなさそうな殺風景な光景が、だが。
「?」
一瞬、何処だここはとパニックに陥りかけて、すぐに寝る前のことを思い出した。
昨日というか今日のことになるが、そうだ、俺はアリスの家に泊まったんだった。
コッペパンとジャムという夜食にも負ける味の夕食を食べ終えた後、適当にシャワーを浴び、そのまま布団に付いたことを芋づる式に思い出す。それと、シャワーを浴びる前にアリスに食事という名のお菓子を持っていったことと、使ったシャンプーが妙に良い匂いだったこと――どうでも良い事まで鮮明に蘇ってきた。
ぶんぶんと頭を振ってシャンプーのことを追い出す。
アリスに運んでいった食事のほうに意識を集中させた。
いつもあんな風な食事ばかりしているのかと思うと、ゾッとする話である。
アリスが倒れてしまう、というのも困ることなのだが、それ以上にその眸が見えなくなってしまう方が恐怖すべきことなのだ。瞼などに邪魔されてあの漆黒が今日は見開いていないのか、と考えるだけで恐ろしい。
もぞもぞ、と未だ毛布に包まったまま、俺は携帯を引き寄せて電源を入れた。
五時、とデジタル仕様の表示は光を放っている。いつも通りの設定にしたままだったらしい。
道理で眠気で頭がぼんやりとするわけだ、と納得した。
確か床に就いたのは今日の午前二時を回るか回らないかの頃合である。実質三時間程度の睡眠で意識が完全に覚醒するはずがない。つまり今俺がすこぶる眠いのは仕方がないことなのだ。そうなのだ。
「二度寝だな」
半開きの目のまま、誰へ向けてでもなく二度寝を宣言する。
もう一度毛布に包まろう、と頭からそれを被ったところで、俺はふとアリスのことを思い出した。
俺が寝ようとシャワーを浴びて部屋に戻った時、隣の部屋からはまだ灯りが漏れていた。
今はどうなっているのだろうか。
流石にもう寝ただろうとは思うが、何となく気に掛かった。
アリスならまだ寝ていなくても不思議ではない、というか、まだ寝ていないんじゃ。
徹夜とか平気でしそうだもんな。寧ろ夜起きて昼寝てそうだもんな。
一度気に掛かってしまうと、もう、どうしようもなかった。
「様子を見るだけ、見るだけだからな」
ぼそぼそと自分に言い聞かせて、温かい布団の中から這い出す。
眠気はすっかり何処かへ行ってしまったようで、眸は薄闇の中覚醒しきっている。何だか損をした気分だ。
そろそろと音を立てないよう気をつけながら扉を開けて、首だけ出して隣を確認する。
絶句。
俺は扉の内側から薄暗い廊下に光が漏れ出ているのを発見しました。まる。
思わず小学生の日記風に考えてから、ぱちんと自分の頬を叩いた。
部屋の電気が消えていない、ということは、どうやらアリスはまだ眠っていないらしい。
いや、俺より遅く寝て、早く起きた可能性だってないわけではないが。しかし流石にそれはないだろう。
アリスに声を掛けて寝るように言った方が良いか、それとも見なかったことにして二度寝を楽しんでしまおうか、と一瞬迷う。
あ、でも、アリスが徹夜ならあの眸は充血しちゃいそうだな。それはそれで良い――わけないだろ!
すぐに心を決めて、俺はアリスの部屋の扉へと歩み寄った。
息を殺してノックを三回。こんこんこん。返事はない。薄暗い廊下にノック音が虚しく響いただけだった。
無視をしているだけなのだろうか。
それとも電気を点けたまま眠ってしまったのだろうか。
ようやく思いついた当たり前の結論に、俺はしばしの間考えた。
どちらにせよ、俺には関係のないことと言えばその通りだし、だからと言って俺が部屋へと入っても怒られることはなさそうである。
女子の部屋に無断で入る、という後ろめたさはそもそも勘定に入れていなかった。健全な男子高校生としてはいささか問題な気もしなくもないが、生憎と相手はアリスで行為者は俺である。眸の安全が絡むのならば、万が一という展開も起きないだろう。寧ろ心穏やかに眠ってもらわないと、俺のアリスの眸に充血が出来てしまう。
ふぅ、と俺は溜息一つ吐き出すと、思い切って扉を開けた。
「アリス?」
一応囁き声までにトーンを落として呼びかける。返事は、というか、罵倒は返ってこない。
当たり前のことだった。
視線を部屋のあちこちに彷徨わせるまでもなく、俺はそれを見つけた。
沢山の本に埋もれるようにして、寝息を立てている、人形風の少女。
着替えは一応したのか、弓町高校の制服ではなくゴスロリ姿だった。
どうやら作業中に見事、寝落ちしてしまったらしい。
付箋をあちこちに貼り付けた本がベッドの脇に落ちている。
開かれたままのノートパソコンはスリープモードになっているようだ。
頁を広げたままの本がアリスの顔の右半分を覆うようにして被さっている。苦しくないのだろうか。
だらんと投げ出された華奢な手足。レースの海に埋もれる矮躯。そこには何も掛かっていない。
まだそんなに寒くないとはいえ、秋の入り口だ。このままにしておくと風邪を引いてしまうかもしれない。
アリスはそんなに健康ばりばりってタイプには見えないし。
俺はそっとベッドに近づくと、隅の方でくしゃくしゃに丸められていた毛布を取り上げた。
自分が特別優しい性格をしている人間だとは思わない。
けれど、こういう時にはこういう行動をするのが正しいのだろう、と思った。
ふわり、と眠ったままのアリスを起こさないようにして毛布を掛けてやる。
薄い胸板が上下するたびに、掛けた毛布が上下した。
色味の薄い、死体のようなアリスの寝姿の中で、それが唯一の生きている証に見える。
暫らく俺はその様子を馬鹿みたいに眺めていたが、ややあって視線を外し、時計を見上げた。
五時二十分をそろそろ過ぎようとしている。まだ、二度寝には十分間に合う時間だ。
他にすることもなさそうだし。
「おやすみ、アリス」
電気を消して、俺は薄暗い廊下へと足を踏み出した。




