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アリスの眸  作者: 智汐瞑
第二章:依頼
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9

蜂蜜色の夕焼けが、窓から見える外の校庭の景色を照らし出している。

一学期中の欠席分の埋め合わせと称された特別補習プリントをやっていたら、すっかり遅い時間になってしまった。嫌いというわけではないが、こういうタイミングの悪い時に限って、こういうことをさせようとする教師たちに少しだけ恨みの気持ちを送りつけたくなってしまう。

いや、元を正せば俺があんなことをしでかすために、休みに休みまくったことがいけないのであるのだが。

人気のない廊下を、一人黙々と生徒会室目指して進んでいく。

今日も迎えに行くと約束した以上、一応迎えに行かねばならないのだ。妙な義務感が俺を焦らせる。

もしかするとアリスが一人で帰ってしまった可能性だってないわけではない。しかしそれはかなり低い可能性である。

きっと、いや多分絶対に、彼女は待っているだろう。確信に似た思いを胸に俺は足を急がせた。

朝からいつも通りのあんな調子だったから、嫌味の一つや二つは覚悟しないといけないだろう。

本来ならしなくてもいいような覚悟を決めていることに気がついて、暗鬱な気分になる。

幸いというか残念なことというか、俺にはマゾの気はないので、アリスに罵られたところで全く嬉しくはないのだ。世にも類稀なる美少女に罵られて何たる贅沢を! と憤る人がいるのなら、今すぐに役割を代わって欲しいぐらいである。

そうも馬鹿なことを考えて気を慰めている間に、ようやく、生徒会室の前に辿り着いていた。

校内ではかなり奥まったところに生徒会室はあり、二年生の使っている教室とはかなり距離がある。

だから、ようやくという表現は正しいのだ。

俺は一呼吸置いてから、扉をノックした。

こんこんこん。三回音を響かせて少しも立たない内に、がちゃりと扉は開けられた。


「遅かったですわね、神崎さん。何かご用事でもありましたかしら?」


既視感。昨日と同じ用に羽鳥先輩自らが出迎えてくれる。

いや、俺は一介の男子高校生であって、こんな大層な出迎えをして貰える立場じゃないのだけれど。

寧ろ俺が開けた扉を、羽鳥先輩が何も言わずに颯爽と通り過ぎるぐらいなのが普通だと思うのだけれど。


「すみません、少し課題が終わらなかったので」

「あら、そうですの?」


嘘は吐いていない。吐いていないぞ。

あっさりと俺の言い訳を信じる羽鳥先輩への後ろめたさで押しつぶされそうになる胸を宥めながら、またくだらない言い訳を自身へと言い重ねる。

特別という言葉がついてはいるが、課題プリントには違いがないのだ。だから、そう、嘘ではない。

俺は羽鳥先輩にぎこちなく会釈をすると、室内に足を踏み入れた。


「遅いぞ、眩」

「えっと、あの、お待ちしてました?」

「……え」


二人掛けソファーで偉そうに踏ん反り返っている黒髪隻眼少女。

その向かいで居心地悪そうに肩を縮込めている、三つ編みの眼鏡っ娘。

二人が挟むテーブルにはすっかり冷め切ったと見えるお茶の準備がしてあった。

予想だに出来なかった光景に思わず眼を点にしてしまう。


「え、は?」


何がどうなって、こうなっているんだ?

混乱した頭でどうにかアリスを見つめる。

俺の説明を求める声なき意志を汲み取ってくれたらしいアリスは、ふんっと鼻を鳴らし、それでも説明を口にしてくれた。


「生徒会から例の本のパンチ穴あけ事件について正式依頼だそうだ。ということなので詳しい事情の説明に来てもらったところだ」

「はぁ」


思わず間抜けな声で応じてしまう。

依頼だとするのならアリス一人が話を聞けば十分だろうと思った。

別に俺がいる必要もないし、待つ必要なんて尚更ないだろう。

俺の他人事な返事が気に食わなかったのか、アリスは眉間に皺を寄せた。


「何を他人事のような顔をしているのだ。君はアリスの下僕だろうが」

「なっ」


扱いが酷すぎる。

アリス、お前、俺のことを今まで下僕だと思ってたのか。

ショックと怒りがカクテル状態で俺に襲い掛かってくる。ひくりと口端が引き攣ったが、怒鳴りつけるのを寸でのところで抑えられたのは、羽鳥先輩の穏やかな声のおかげだった。


「アリスちゃん、神埼さんにむかって下僕呼ばわりはいけないと思いますわ。さ、神崎さんもソファーにお掛けになってくださいまし」

「アリスが眩をどう呼ぼうと、深紅に指図される覚えはないぞ」

「では、私がアリスちゃんのことを、私の可愛い可愛いお人形さんと称しても勿論宜しいですわね?」

「良いわけないだろうが、このアガルマトむぐっ」

「アリスちゃーん?」

「ひぃっ、眼が据わっているぞ、深紅!」


生徒会長様強し、である。

二人のやり取りを見ていたら激情も何処かへ去ってくれたようだった。

やれやれと首を竦めながら、大人しくアリスの隣へと座り込むと、丁度目の前に座っている榎本先輩と視線があった。丸いレンズの奥に見える眸は、この状況を上手く処理し切れていないらしく、きょとんとしている。当事者が完全に蚊帳の外だ。

はぁ、と溜息を吐くと、その音にようやく二人は我に返ったらしかった。

同時にけふけふと咳払いの音が聞こえる。


「私としたことが、冷静さを欠いてしまいましたわ」

「少し熱くなりすぎたな」


アリスの眼帯に覆われていない方の眸は、気まずそうに視線を彷徨わす。


「馬鹿な言い合いにこれぐらいにして、本題に入ろうか。待たせたな繭乃」

「は、はいっ」


びくり、と急に名前を呼ばれた榎本先輩は肩を跳ね上げる。

アリスの台詞の尊大さといい、この榎本先輩の小動物的態度といい、これではどちらが年上なのかわかったものではない。俺は内心だけで苦笑した。

高校ってそういう年功序列が強いところって印象があるんだけどなぁ。アリスはそういう風潮を気にするという神経が切れているのだろうか。それともそもそも備わってすらいないのだろうか。

ふっと視線を巡らせると、羽鳥先輩の姿が見当たらなかった。

少し奥まったところにあるらしい、簡易キッチンの方からは音がしている。

おそらくお茶でも準備しにいったのだろうか。前回に引き続き、俺は若干申し訳ない気持ちになる。

一方そんなことは微塵も考えていなさそうなアリスは、冷め切った紅茶に口を付けると「不味いな」と堂々言い放ち、それから榎本先輩に話を促した。


「眩もようやく来たことだ、依頼内容を確認するぞ」


カチャ、とカップを受け皿に戻す。


「図書館内で起きている本の穴あけ事件の犯人を見つけ出す、これでいいのだな?」

「いいえ」

「え?」


おろおろとアリスが視線を彷徨わせる。

ちらりと俺のほうすら窺ったところからすると、想定外のことで思わず混乱したらしい。

傲慢じゃないほうが素である証拠を見つけた気がし、そしていかにアリスが普段キャラを演じているかわかった気がして、俺は少し可哀想になった。

こんなことを思っているなんて知られたら罵倒の嵐になりそうだが。

だが、数秒と間を置かずにアリスは自分を取り戻した。


「昨日の話から察するにそれでいいと思ったのだが、違うのか?」

「はい、あの」


困ったように俯きながら、榎本先輩は眼鏡を押し上げた。


「お願いしたいのは、それには確かに関係があるんですけれど、あの、私は犯人を見つけて欲しいんじゃなくてですね、ある委員の子の無実を証明してあげて欲しいんです」


あまり要領をえない話し方に、俺の中の困惑は広がっていた。

だが一度自分を取り戻したアリスは冷静だった。


「無実の証明?」


要点らしきところだけを鸚鵡返しに問う。

こくりと榎本先輩は身を乗り出しながら頷いた。


「そうです。昨日は動転してしまっていて、伝え損ねたのですが、実はあの事件数ヶ月前から起きていて一旦今は収まっているんです――すみません、生徒会長さん。嘘を吐いたみたいになってしまって」


ふっと彼女が後ろを向いて頭を下げた。

何事だろうかと思って視線で追うと、そこにはお盆に紅茶のおかわりやお菓子を載せた羽鳥先輩が苦笑を浮べていた。


「何か事情がおありだったのでしょうし、仕方ありません、謝らなくても良いのですわ」


なんて心の広い人だ。完璧人間過ぎて、後光が差しているような気すらしてくる。

榎本先輩はこちらに向き直った。


「それで、その、図書委員会内で独自に対策をと思ったのですが……そしたら、その、一人の男子生徒が犯人扱いみたいになってしまって」


困ったように榎本先輩は眉を下げる。ただでさえ垂れ眼気味な彼女がその表情をすると、何だか泣き出す寸前の表情のように見えた。庇護欲を煽るというか何と言うか。

それが面白くなかったのだろうか、アリスは酷薄そうに眸を細めると、ふんっと鼻を鳴らした。


「――アリスにその生徒の無実を証明して欲しい、と」

「はい」


こくり、と今度こそ榎本先輩は首を縦に振る。

ますます面白くなさそうに、アリスは腕を組んで見せた。


「では、その生徒が犯人扱いされている根拠を聞かせたまえ」


まだ、依頼を受けると決まったわけではない、と釘を刺すような態度に、榎本先輩は少し心配そうだった。

おどおどと視線があちらこちらを彷徨っている。

いつの間にかお茶の準備を終えていた羽鳥先輩がその傍らに座り込むと、優しく口を挟んだ。


「大丈夫ですわ。アリスちゃんは個人情報をきちんと守る人ですから。それに、ほら、話さなければ受けてもらえる話も、受けてもらえなくなるかもしれませんわよ?」


優雅に微笑むその背中に貫禄という名のオーラが見えている気がする。

何だか時間を長く一緒にすればするほど、人間としての格の違いを見せ付けられている気分だ。

榎本先輩は、その言葉に背を押されるようにして、戸惑い気味ながらも言葉を継ぎ始めた。


「その子は、二年四組の榊原灯弥くんって子なんですけど」

「あ」


聞き覚えのある名前に、思わず声を上げてしまう。

じろり、とアリスの横目が即座に視線を飛ばしてきた。


「知っているのか、眩」

「いや、クラスメイト。図書委員だとは知らなかったけどさ」

「どういう意味だ?」


付け足した言葉が食指を動かすものだったのだろう、アリスは僅かに身を乗り出した。

長い黒髪がさらさらとその膝でとぐろを巻く。

俺はしぶしぶといった様子で、某クラスメイトの容姿を思い出しながら話した。


「いわゆる不良ってやつなのかな、髪染めてピアスして、授業も平気でサボるタイプだよ。だからまさか図書委員なんて真面目そうなのをやっているって思わなくてさ」

「風紀委員をやっているよりかは納得がいくだろう」

「そりゃそうだけど」


弓町高校には、当たり前のことながら、制服と同じように校則というものが存在している。

近隣の他の学校に比べれば自由な面は多いらしいのだが、しかしそれでも高校の校則である。

自由が高いとは言えども、流石に髪染めやピアスは禁止されていたはずだ。

何とはなしに視線を羽鳥先輩の方へ送ると、彼女は小首を傾げて微笑んだ。


「私も彼は存じ上げておりますわ。校則破り常習犯の二年生、何度も注意をしているが反省の色なし、風紀委員会ブラックリスト筆頭を揺るぎない地位としているご様子で、風紀委員長が随分と頭を悩ませておりましたわ」

「そ、そうなんですか」


やっぱり生徒会にも眼をつけられているのか。

しかし、俺として気になったのは榊原灯弥の悪評よりは、風紀委員会のブラックリストという存在だったのだが。初めて聞いた。なにやら酷く恐ろしそうな存在である。まさか、俺のことは載っていないと信じたいのだけれど。

顔を引き攣らせる俺を一瞥だけして、アリスは話の軌道修正を図っていた。


「その榊原何某が問題児で、犯人扱いをされているのはわかった。続きを話せ、繭乃」

「は、はい」


ぼんやりと俺たちの会話を聞くだけだった榎本先輩がびくりと肩を震わせる。

――この小動物的な態度を見ていると、図書委員長という肩書きを再び疑いたくなってしまうのは何故なのだろうか。

またずり落ちてきている眼鏡を榎本先輩は押し上げた。

雰囲気としては似合っているのだが、いかんせん少し彼女には大きすぎるのかもしれない。


「図書館の管理システム上の話になるんですけれど、返却本はカウンター内で処理してから本棚に戻す関係で、一旦カウンター内に置いておくことがあるんですね。被害本は貸し出しのログから見て、貸し出し者もばらばらだったので、もしパンチで穴を開けるとしたら、そのタイミングで開けるしかないんです。そこで、図書委員会内でカウンター内によくいる人を探そうとしたら……該当者が四人いて」

「おい待て、カウンター内によくいる人って、普通当番制ではないのか?」


アリスが訝しげに話の腰を折った。確かに言われてみれば、気になる話だった。

俺の記憶が正しいのなら、中学校でも小学校でも、そして勿論この高校も委員会の仕事は大方当番制だったと思うのだが、図書委員だけは違うのだろうか。

榎本先輩はその問いに、少しだけ顔を曇らせると、恥ずかしそうに言った。


「いえ、当番制にしてやってはいるんですけど、結構サボる人も多いので……。常連さんの図書委員が当番じゃなくても代わりにいてくれることが多いんですよ」


それなら、今回疑われた人は、他人の分まで仕事をこなした人たちということになるのか。何だかやりきれない話である。居たたまれなくなる俺とは別に、ふむ、とアリスは顎に手を当てて考え込んだようだった。


「まぁ、腑に落ちないことも多少あるがいいとしよう。では、その該当者の名前は?」

「えっと、委員長の私、副委員長をやってくれている涼那ちゃんに恵夢ちゃん、それと榊原君です」


指折りながら榎本先輩は名前を挙げていく。

確かにそのメンバーの中では、役員でも何でもない榊原だけが浮いている。

俺の眼が不審なものをみるそれになったのを見取ったのだろう、榎本先輩は膝に置いた拳をぎゅっと握り締めた。


「確かに、榊原君はあんな格好をしている子ですが、校則も破っているかもしれませんが……でも、本は凄く大事にしてくれる子だと思うんです。仕事だって人一倍頑張ってくれるのに、それのせいで疑われるなんて可哀想じゃないですか」


せめて委員長の私ぐらいは無実を信じてあげないと、と呟いて俯いたその顔は痛々しかった。

榎本先輩はきっと、凄く優しい人なのだろう。

ばっと彼女は勢いよく顔を上げて、アリスを真っ直ぐに見つめる。


「だから、お願いです。アリスちゃん。どうか、依頼を受けてはもらえませんか?」


――ふんっと鼻を鳴らす音が聞こえた。榎本先輩の顔が悲しげに歪んでいく。

対照的にその隣に腰掛けている羽鳥先輩が薄っすらと微笑を浮べたままなのが、印象的だった。

かくいう俺も表情を変えないままにいるのだろう。最近になってようやくわかってきたのだ。

こういった時にアリスが鼻を鳴らすのは、拒絶や断りの意志を表すためではないと。

それは逆に、受諾を表す時の態度なのだと。

案の定、偉そうに腕を組んだまま、アリスはニヤッと口端を歪めた。


「その頼み、アリスは受け入れよう」


まるでその笑みは、アリスではなくチェシャ猫のような笑みだった。

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