とある魔王の追想
広すぎる大広間。その奥に見える美しく装飾された椅子に腰掛ける人物が一人。彼は(そう読んでいいのか定かではないが)その美しい面をつまらなさそうに歪めてじっと目線の先にある扉を見ていた。
「また見てる」
どこからか声がした。それにぴくりとだけ反応するが目線を外すことはしなかった。その声の主からは大きなため息が。
「諦めなよ。勇者は、もういない」
その声には何の反応も返さなかった。
彼は俗にいう<魔王>であった。どうして魔王なにかは不明。気がついたら<魔王>として存在していたのだ。しかし、魔王といっても何か特別な力があるわけではなく、木偶の坊の様な状態だった。
何しろ、部下の様な人物も魔物も何もおらず、ただ一人で大きすぎる城の中を日がな一日過ごしているだけで、代わり映えのない日常の繰り返し。
魔王という自覚もなにも無いまま、広すぎる城の一角にあるこれまた広すぎる書庫で延々と本を貪るだけの日々に没頭していた。
そこでわかったのは、自分は文字が読めるということ、そしてそれが意味をもって理解できるということ。その本を漁りながら彼はとある本を見つけた。
それは今まで読んでいた参考書や歴史書とは違い、小説だった。子どもが読むようなその本がどうしてここにあるのかは分からないが、薄いそれを手にとって眺めてみる。
『魔王を倒すために勇者は旅に出た』
世の中の定石の話のようだ。幾つか似たような内容な本を見つけた。
「勇者……」
その時思ったのだ。
魔王たる自分のところには勇者がやってくるかもしれない。
いつかあの大きく重苦しい扉を破って<勇者>がやってくる。それはもしかしたら最悪なことかもしれない。けれどどうしても心が踊った。
自分ではない誰かに会える事が楽しみだった。
来る瞬間を今か今かと、心待ちにしていた。
「勇者は、死んだよ」
傷だらけの黒ネコはそういった。
「嘘だ」
「嘘だったら、どんなにいいか。僕だってこんな姿で、傷だらけ。勇者は僕の目の前で――死んだ」
「うそだ……」
掠れた声で同じ言葉を繰り返した。
その黒ネコは勇者と旅をしていた賢者なのだという。ネコは喋るのかと思ったがそれは一蹴され深々と溜息をついて俯いた。
「君の所に勇者はやってこない」
「なぜ?」
「勇者の魂はもうこの時空にはいない。次に時が巡るまで勇者は現れないし、次の勇者の相手は君じゃない」
「じゃあ、僕は何なの?」
「さあ?それより、休ませてよ」
傷だらけの黒ネコはもう疲れたとばかりにその場に丸くなって動かなくなった。
「ねぇ」
声が震えた。目元がぶわっと熱が帯びる。するりと濡れた感触が頬に。
「ねぇ、ぼくはなんなの?」
人を知らない彼は勇者の不在に初めて泣いた。悲しいのか寂しいのかわけも分からずはらはらとろ涙がこぼれた。その涙が止まること泣くひらすら泣き続けた。
それはそれは黒ネコが起きるまで続いた。
そうしてどのくらい時間が経ったのか。黒ネコと出会い、勇者の死を知って尚、魔王は誰かが入ってくることのない扉を眺めていた。
「ねぇ、賢者殿」
「ん?」
「勇者ってお人好し?」
「それなりに」
「優しい?」
「優しいって言うより馬鹿だったよ。身代わりになることが、引き受けることが他の人の為だと思っていた」
「そう」
「だから、勇者は死んだ」
まるで自分を責めるような声に彼は自分の足元を覗き込みその姿を見る。ああまた俯いて目を伏せている。
黒ネコは罰を欲している。
勇者を死なせてしまった自分が大嫌いだから。だから勇者もいないのに死ににこの城にやってきた。
けれど魔王たる彼は勇者を殺すつもりなどなく、その術も用意はしていなかった。
だから黒ネコを殺してしまうことはしなかったし、何よりも勇者がいなかったことの方が衝撃的でそんなことは考えもしなかった。
黒ネコのことも分かってはいたけれど彼は知らないフリをした。これはきっと知らないフリが一番なのだと思ったから。
「……賢者殿が、殺したの?」
「似たようなものだよ」
「似たようなものって事は違うのと一緒だよ。賢者殿は勇者を殺していない」
「……」
赤い絨毯に爪を立てて、震えながら黒ネコは頭を垂れた。その垂れた頭に手を伸ばしてするりとひと撫でした。
そして、ここずっと口にしている言葉を口にした。
「賢者殿のせいじゃないよ」
降り注ぐ柔らかい声に、言葉に黒ネコは音もなく涙を零した。震えて泣きだした黒ネコから目をそらし、再び誰も叩くことのない扉を見つめた。
「勇者、君がいないとつまらないよ」
僕も彼も。とてもつまらないんだ。とこぼしてそっと目を閉じた。
とても短い作品です。
ありきたりな設定というわけではありませんが少し変わった組み合わせが書いてみたいと思いました。
読み終わった後に少しでも切ないと思っていただけたら幸いです。




