快眠言語促進羊駝
維川千四号さん企画の【眠くなる小説】です。
鉄板のルッコラが繁る海底に仁王立つ毛のないアルパカが「おはよう」と鳴いたのは、カンブリア紀から続く世界神話の各駅停車が散乱する死体を担ぎ上げてきたからである。それは当然の言動で、チェダーチーズをハンカチ一枚で溺死させるのにも似た、閏年に発売のベニヤ板の増刊号と同様の言動なのである。これは外資系アルパカが機内食を運んでいる姿を彷彿とさせると、ジンバブエ在住の科学者が口を揃えて絶叫する事実無根の真理である。太極図の上でワルツを踊る汗だくのベネズエラ系ルッコラは、アームストロング砲の快音とともに、この真理の心裏を心理的に審理している。それによると、ヒットエンドランとはルームサービスを断ったダイオウグソクムシの寝息であり、このことについて、弘法大師は「知ったことか!」と失意体前屈に勤しんでいるとのことである。
この話を聞いたアルパカは「それは深刻な話だ。怨恨とは空中油田から吹き荒れる黒い雨でシャンプーをするようなものであるから、決してリンスを忘れてはならない。後悔とはそういうものであるということは、六角定規にとってまったくの常識であるのだから。その眼球に立つ鯉のぼりの目玉に突き刺さるアドバルーンの上に笑う逆立ちしたモロヘイヤとルッコラの愛想劇を見たまえ。明日の天気は晴れときどき豚なのだ。この世は養豚場なのだ。物干し竿にくくりつけられたキリストが垂れる、見目麗しい舌先三寸のジャーマンスープレックスなのだ。そして荒川のリバーサイドに高々と立つ回転マンションのトリプルトウループは、見事なまでの不時着に、今日も明日を今日にするのだ。アルパカが鳴くということは過去現在未来におけるシュールストレミング的開缶と同じシュールリアリズムなのだ」と、軽挙盲動に語ったので、私は手近なライトセイバーを拾い上げ、その脳天に直角に突き刺してあげた。すると「南無妙法蓮華経ぉぉぉぉぉぉぉっ!」と叫んだアルパカの脳天からウスバカゲロウとオガサワラオオコウモリとミツユビナマケモノが飛び出して、富士山麓にオウムを鳴かせたものだから、私は魔界村に入村し、村長としてルッコラ農法に血道を上げて、ついにクアラルンプールに六億七千六百九十九万八千七百二十九缶もの一斗缶を並べることができたのである。
この私の前代未聞の荘厳美麗な空前絶後の大事業に拍手をしたアルパカは、「寝るパカ」と言って寝た。だから私も「寝ルッコラ」と言って寝た。
神は天にませまし、世はなべてこともなし。
――おやすみ。
これを小説と呼んで良いかどうかは微妙なところ。