五年間
12月27日朝、
「今日で最後か…」そう心の中でつぶやきながら、私は玄関のドアを開けた。
「行ってきまーす。」誰もいない部屋にむかって声をかけ、寒い廊下に出た。
*****出会い*****
今から5年前、私の勤める会社に新入社員として隆史が入ってきた、新卒の22才。
最初はあまり話しもせず、挨拶を交わす程度だったが、一年位たった頃、退社する同僚の代わりに剛史と同じ仕事の担当となった。
なれない仕事に戸惑いながらも、足手まといにならないようなんとか進めながら、3ヶ月が過ぎた頃だった。
*****きっかけ*****
梅雨が明けた7月の終わり頃、寿退社する後輩の送別会に出席した時だった。
初めて一緒にお酒を飲み、いろいろと話しをするうちに、剛史とますます親しくなっていった。 帰る方向が同じだったので、自然に二人だけになり歩きだした。
剛史の家は、歩いて15分程の住宅地を抜けた田園地帯の中程にある、一戸建ての実家だった。
私の家はそこから10分位の所にある、三階建てのアパートだった。
気持ちよく酔ったせいか、二人とも話しが尽きず、気がついたら剛史の家を過ぎていた。
そのまま私の家の近くまできていた。
「ありがとう、すぐそこだから、ここでいい。また、月曜日に会社でね。おやすみ」
そういって、別れようとした時、突然、剛史に抱きしめられた。 びっくりしたがうれしかった。でも、もう一度
「おやすみ」と言って急いで部屋に入った。
36才になった私を、若い剛史が、恋愛対象として見ているとは思えず、酔った勢いだろうと考えていた。
*****なりゆき*****
それから一週間位は何もなく、お互いにあの夜の事には、ふれずに仕事をこなしていた。
いつもなら、退社時間を過ぎても何人かは残って仕事をしているのに、 その日は誰もいなかった。
急ぎの書類を仕上げる為、剛史と一緒に資料室へ行った。
必要な資料を探していると、後ろから剛史に抱きしめられた。そして
「好きなんだ。」
突然の告白、私の返事も聞かず、何度もキスをした。やっと
「なぜ?私なの?」
と聞くと
「ずっと好きだった、ずっとふれたかった。」
そう言ってまた、何度もキスをした。
その日は、それで終わったが、その日を境に理由を付けては、二人だけで残業をし、資料室に行ってはキスやそれ以上の事をしていた。
さすがに最後まではできなかったが、それに近い事はいつもだった。
*****秘め事*****
会社では誰にも知られる事はなかった。やはり年の差があるせいだろうと思う。
剛史の、気をひこうとする女子社員もいたが、それ以上の関係になることはないようだった。
年末までに、何回か同僚同士で飲み会があり、そのたびに、車も人も夜になると通らない裏道を、二人だけで帰った。
小さな川岸でホタルを見たり、流星を数えたり、子供のようにふざけたり、歩きながらキスをしたり、それ以上の事も、夜の闇に隠れてできた。
そんな秘密の関係が一年以上続いた。
*****本心*****
付き合っている、そう言える関係ではないような、不思議な関係だった。
二人で遊びに行ったり、映画を観たり、お互いの部屋を訪ねたり、恋人同士なら普通にする事が、私達には一度もなかった。
それでも私は幸せだった。このままの関係がずっと続くと思っていた。
ある日、仕事が終わり先に剛史が帰った。
私もロッカーへ行き、着替えようとしていた時のこと、帰ったはずの剛史が入ってきた。
幸い誰もいなかったので、見られることはなかった。
「どうしたの、帰ったと思った。」
と言う私に、
「暇つぶし。」
と言って、いつものようにキスしてきた。
剛史の唇を首筋に感じながら、頭の中では、剛史の言葉だけが繰り返されていた。
「暇つぶし」
私は暇つぶしの相手だった。だから、休みの日に一度も逢った事がなかったんだ。
やっとわかった、でも私は剛史が好きだった。剛史がどんな気持ちでもよかった。
「もう、誰かを、好きになることは無いだろう。」
そう思っていた時に、剛史に出逢い、告白されて、秘密の関係になった。 それだけでよかった、それ以上を望んだことはなかった。
でも、はっきり言葉にされると辛かった。
今も、剛史の指が、唇が私に触れる。体はそれに応えているのに、心は痛かった。
*****心の病*****
その後も、剛史に触れられる度に、暇つぶしの言葉が頭に浮かんできた、でも体は応えてしまう。終わりになるのはいやだった。
そんな事を繰り返していた時、 剛史の態度が変わってきた。
二人でいる時、突然涙を流した。ある時は、黙り込んだまま、じっと机を見つめていた。
何があったのか聞いても、はぐらかされるだけだった。
そのうち、夜眠れないこと、お酒と薬を一緒に飲むことなど、少しずつ話してくれるようになった。
剛史は軽い鬱病になっていた。原因はわからない。剛史に何がおきたのかもわからない。でも、あきらかに変わっていた。 明るかったり、暗かったり、やさしかったり…
毎日違う、剛史の態度に振り回されていた。
*****変化*****
その間も、剛史は私を求めてきた。何かを忘れたいのか、今まで以上に激しかった。
でもここまで続いているのに、最後までいったことは一度も無い。どうしてなのか、わからなかった。
そのうち、私を求める回数が減っていき、半年位たった頃には、外出先から直帰するようになった。 二人の関係が終わりになってきたことがわかった。
それでも、私は剛史の事が忘れられず、苦しい日々を過ごしていた。
そのうちに、顔を見ることが出来る、声を聞くことが出来る、元気な姿を見ることが出来る、それだけでもいいと思うことにした。
*****結末*****
剛史の病気も良くなり、仕事も普通にこなしていた。
でも、二人の関係は戻らなかった。 なんとなく、ぎこちない態度をお互いにとっていた。
私には限界だった。剛史もそうだったようだ。
会社を辞めようかとも思ったが、まだ剛史のことが好きだったから、顔が見れなくなるのがいやだった。
でも、剛史は辞表を出していた。
結局、年末で退社することに決まった。
忘年会を兼ねて、剛史の送別会が、いつもの場所でひらかれた。
同僚として、私も出席した。辛かった。 もう二度と、一緒にあの道を帰ることは無い。
あの楽しかった日々も無い。
顔を見ることも、声を聞くことも、気配さえ感じることも、全てが私の手の届かない所へ行ってしまう。
そう考えると、心が痛かった。
*****別れ*****
朝礼で、剛史が退社の挨拶をしている。私は、ただぼんやりと剛史の声を聞いていた。
来年からは、剛史のいない生活が始まる。忘れる事が出来るだろうか。時間が過ぎてゆけば、もう少し、楽になるんだろうか。
最後の日、帰り際に剛史に呼び止められた。
「こんな終わり方で、ごめん。でも、本当に好きだった。」
私には、それだけで充分だった。これからは、少しずつ剛史のことを、忘れていくだろう。それでいいと思った。
帰り道、二人で帰った道を一人で歩いた。いろいろな思い出が、よみがえってきた。
これからもこの道を通る度に、剛史との事を思い出すだろう。 それでも、仕方ない、楽しかった事だけ思い出すようにしよう。
「ただいま。」
誰も居ない部屋に入って、ドアを閉めた。