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地蔵通りの物の怪、殺意と照れ屋さん


 普通に考えればそんな事はありえないのだが、たとえありえない事であっても、もしかしたら……と思わせてしまうほどに、胡桃にとってこの場所は特別なのである。

高校に入学しても、全てが敵だと思っていた。教師も生徒も、家族も。そんな胡桃を変えたのは当時の新聞部部長と孝弘だろう。部長が卒業した今となっては、部長が何を考えて胡桃を勧誘したのかはわからない。しかし、胡桃がソレに救われた事に変わりはない。例えなんらかの意図があったとしても、それでもかまわない。

 新聞部で初めて孝弘を見た時、なんだか自分に似ていると胡桃は思った。それは直観的なモノであったが、なんだか妙に親近感が湧いた。

 色々とあって新聞部は退部してしまったが、もう胡桃は世界を憎むだけでは無い。そして京香が自分の作った部に入部した。可愛らしくって、見ていて飽きない可笑しさがある。

 孝弘と京香に来てほしくない場所。陰鬱な中学時代が封印された場所。新たな仲間を得た自分にはもう関係ないはずの場所。

 関係無いからこそ、この場所であった出来事を記事にした。

 いや、関係ないと思いたかっただけなのだろう、どんなに過去を切り捨てた気でいたとしても、過去は変わらない。決して無くならない。いつまでもあの日の暗闇はヘドロのように自分自身に纏わりついて来る。

 坂を上る。一歩毎に、一歩毎にあの日の暗い感情が蘇る。それは捨てたはずのモノ。この場所でなければ思い出さなかったモノ。捨てたかったモノ。

 クルシメ、キタナイ、キモチワルイ、オマエナンカイラナイ、シネ、シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ――死ね。

 あの日―、クラスメイトにかけられた言葉が脳に木霊する。反射し、響き、それは電気信号となり体中を駆け巡る。

 吐き気がした。

 吐いたら楽になれる。そう、理解していても、ソレはまるで敗北宣言のように思えて、胡桃は喉まで出かかった嘔吐物を無理に飲み込んだ。酸っぱさと温さが口内に広がる。

(負けない。絶対に)

 吐きだすモノは、全て吐きだした。

 だから――、だから笑ってやる。

(孝弘と……京香とココに来るために、三人で新聞を作る為に、アタシはあの日の私を笑い飛ばさなければならない)

 胡桃の目には涙が流れていた。それは、嘔吐感故の反射現象か、或いは――。

(今のアタシは昔の私とは違う)

 坂を上る。

 一歩進む毎に、まるで枷を嵌められたかのように、足が重くなる。

 段々と、だんだんと重くなる足は、まるで誰かに引っ張られているかの如く、まったく前に進まない。胡桃は見上げる、坂を、まだ、半分ほどしか進んでいない。うんざりした。恐ろしかった。体中からねっとりとした気持の悪い汗が噴き出す。

 この坂は――、この坂はこんなにも長かっただろうか――。

 それでも、進むしかない。もう、戻る事は出来ない。振り向けば、今自分の足を掴むナニカと目が合いそうだから。

 まるで胸の中を蟲が這いずるような気持ち悪さ。立っていることも辛くなり、その場にしゃがみこんだ。

 いまだに、こんなくだらない事に自分は悩まされなければならないのだろうか。くだらない、くだらない、くだらない――。

 重い腰を上げる。そして必死の思いで踏み出した右足が、空を切った。いや、ナニカに引っ張られたのかもしれない。胡桃は無様に倒れた。

 顔を上げる、視界は赤い。どうやら額から血が出ているようだ。流れた血は目に入り、鼻を伝って、口内へと侵入する。

 「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」

 笑え、笑え。右足が痛む。左足が重い。

 こんな所で立ち止まっているわけにはいかない。足が動かないならば、這いずりまわればいい。右手で地面を掴み、体を手繰り寄せる。左手で地面を掴み、心を引き寄せる。爪が割れ、血が噴き出す。痛い、楽しい、可笑しい、痛い。

 ――死ねばよかったのに――

「だから、だから何だっていうの? いつだって世界はアタシを必要としなかった。だからアタシは自分を守る為に、多々良神胡桃でいなければならなかった!」

 笑ってやる。自分を捨てた世界がくだらないモノだったって。

 笑ってやる。アタシの世界は素晴らしいモノだから。

 笑ってやる。私はもう、いないのだから。

 見える世界は赤い。それは血故か、元々赤いのか。

 胡桃は這いずる速度を上げた。背後から別のナニカが近づいてきている気がした。爪が剥がれる。血が噴き出す。笑いが込み上げる。痛い。

 胡桃を罵倒するクラスメイト達の声は、胡桃が進むたびに強くなり、笑う度に千切れ飛ぶ。頭の中で膨らみ、蒸発する。それらは増え続け、行き場を無くし、蒸発し、拡散し、胡桃の脳みそは破裂しそうなほどの痛みと熱を持って、最後の時を今か今かと待ちわびる。

「死ぬもんか……死ぬもんか……。死ぬくらいなら、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す」

 笑え

「くくくく……、あははははははは」

 笑え

「あはははははははは」

 笑え。

 笑う毎に声は消える。笑う毎にあの日が遠ざかる。笑う毎に、笑う毎に足枷はまるで羽のような軽さを持って、胡桃の四肢を解き放つ。

 もう、這う必要なんてない。立てばいい。アタシにはその為の足がある。あの日々の中で手に入れたモノがある。

「くっだらない! お前等はいつまでも他人の足を引っ張る事しかできない屑だ! 脳無しだ! アタシは先に行く……、この両足で前へ進む。お前等はいつまでもソコに留まっているがいいさ!」

 先ほどまで鉛のようだった両足は普段通りの軽快さを取り戻していた。胡桃は両足に有らん限りの力を込めてその場に立ち上がった。

 服は、砂と泥で汚れている。胡桃の傍らには二体の小奇麗な地蔵が鎮座していた。這いずっている間に坂の上まで来ていたようだ。

 自身が張って上った短い坂を、胡桃は振り返った。坂の下から黒い、どす黒いナニカが幽鬼のように立っている。できる限りの敵意と、有らん限りの誇りを持って胡桃は叫んだ。

「私は多々良神胡桃……。いつだって……! もう、いつだって多々良神胡桃よ! またアタシはココに来るわ。もしその時もアンタが邪魔するんなら容赦しない。だってアンタは私であって、アタシじゃないんだから!」

 胡桃の叫びと共に、ナニカは消えた。それは陽炎が消えゆくように、ゆっくりと、それでいて元からそんなモノは無かったかのように、地蔵通りは元通りの穏やかでいてなんだか寂しい世界を取り戻した。

 額からスッ――、と血が流れた。胡桃はブラウスの袖を引き千切り、流れる血を拭った。

そして、引き裂いたブラウスから下着が見える事に気付き、高揚した気分に任せて軽率な行動をしてしまったと、ちょっぴり後悔した。


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