地蔵通りの物の怪、痛みと無知とおぞましさ
七月某日、夏休み近く、多々良神胡桃と地蔵通りの物の怪のこと。
気温三十三度、真夏日に胡桃はうんざりとしていた。時刻は朝六時。学校へ行く前に一人で軽い調査を行おうと思い、件の地蔵通りへと足を運んだのだが、予想以上の気温の高さが胡桃の気分を転落させる。
(涼しい時間帯を選んだはずなのに……)
胡桃の首筋を玉の汗がなぞった。
本来ならば、休日に三人で調査を行うはずである。しかし、その前にどうしても胡桃は一人でこの場所に来たかった。
地蔵通り……、正式名称は日比良坂。ここは住宅街から離れている。近くに大きな通りがあるため、この場所を通る人は少ない。近くに住んでいる胡桃も、最後にこの場所を通ったのは何年も前の事だ。
緩やかな坂、そして坂の上には三体の地蔵が立ち並んでいる。この地蔵こそがこの場所の通称の由来なのだが、正式名称が坂なのに通称が通りである。理由は不明。
最後に胡桃がこの場所を訪れたのは中学生の時、それまでの自分自身との決別の為に立ち寄ったのが最後だ。
因縁の場所なのである。故にこの場所を記事に選び、そして後悔した。
胡桃が中学二年生の頃、クラス内でいじめを受けている少女がいた。当時、特別彼女に思い入れがあったわけでは無い。彼女はなんだかいつもおどおどしていて、クラスを仕切っている女子グループの後ろで下を向いて歩いているのを覚えている。最初はただの太鼓持ちだと思っていた。強者の後ろで弱い自分を隠して姑息に生きている、くだらない生き物だと思っていた。しかし、偶然私は見てしまった。校舎の裏、日の当たらない場所、複数の女生徒が彼女に暴力を振るっているのを。虐めが発覚しないように、傷痕が表に出ない腹ばかりを狙って女生徒達は彼女を蹴っていた。
嗚呼、そうだったのだ。彼女は決して虎の威を借る狐では無かったのだ。ただ、ただ女生徒達の憂さ晴らしの為だけにグループ内に存在を許されていた……いや、彼女は無理矢理にグループに入れられていたのだ。
その時胡桃の内に沸いた感情が何だったのか、それは胡桃本人にもよくわからなかった。憐れみか、暴力に対する憤りか、或いは彼女を誤解していた自分自身に怒りを感じたのか……。それが何なのかわからなかったが、胡桃はいてもたってもいられなくなり声をかけた。
「あんた等、ナニしてんの」
それがきっかけであった。元々、胡桃はクラス内でも微妙な位置にいた。友達と呼べる人間は少数であり、どれも浅い仲だった。元来の強気な性格のせいだろう。それでもこれまで胡桃が他の生徒から強い嫌悪の対象とされてこなかったのは、胡桃の行動や発言が結果的に正しかった事と、他人を貶めるような事をしなかった為である。しかし、状況は変化する。
その日から、苛めの対象は彼女から胡桃へと変わった。
人は人を傷つけ、貶める事によって強い優越感を抱く生き物である。楽しいのだ、ただ、楽しいのだ。人を貶めるという事は楽しくてたまらない。特に女という生き物は男に比べその傾向が顕著だ。それはどこまでも続く、どこまでも、どこまでも。他人に付きつける刃はまるで宝石のように輝く。その鈍い光に魅入られた者は、もう堕ちるしかない。どこまでも、どこまでも。
一つのグループをうまく機能させる場合、どうすればよいだろうか。元々気の合う者同士で作られたグループであろうとも、必ずどこかに軋轢は生まれる。そしてほんの些細な亀裂から全ては水泡に帰してしまう。なぜなら、人は須らく違う生き物なのだから。必ず、そう必ずソレは破綻する。ならば、ならばどうすればいい。必要な事は、妥協、寛容、軽蔑そして……誹謗である。
簡単な事だ、一人嫌われ者を作れば良い。起きた問題は全てソイツのせいにすればいい。たった一人が全ての問題を背負ってくれる。嫌な事は全部やってくれる。なんて素晴らしい社会。ソコでは何のいざこざも無く、一部の疎外者を覗き全てが楽しく睦まじく暮らす世界。なんて素晴らしい世界。
必ず、必ずソレは存在する。集団の中の疎外者、集団の円滑湯の為だけに存在する者。そうだ、それはある意味では集団の中で最も重要な役割。他人から疎まれる役割を担う者、集団の中の問題は全てソイツの責任になり、他の者達はソイツのおかげで常に仲睦まじく過ごす事が出来るのだ。
そして、疎外者は彼女から胡桃に変わった。
最初はただ彼女の代わりに数人から悪意を受けるだけであった。しかし、状況は変化する。一部の集団の中のルールは他の集団へ感染する。胡桃へと悪意を向けるグループはクラス内ヒエラルキー上位に位置していた。上位者達の意思は下位へと伝わり、いつしか胡桃はクラスの疎外者になっていた。
友人は友人では無くなり、胡桃はもはや世界の敵だった。
しばらく我慢すればこんなくだらない事は終わるだろうと、胡桃はそう思っていた。しかし、それは非常に甘い考えだった。終わらない、終わらない。
悪意は増加する。隅から蟲が湧くように、千切れた目玉から手足が生えるように……。
ある日、筆記用具が無くなった。授業中ノートを取れない胡桃を笑う声がどこからか聞こえた。しばらくはその程度だった。
ある日、宿題のプリントが無くなった。先生に怒られた。また、笑い声が聞こえた。
そして胡桃の誕生日、階段から突き落とされた。足を挫く。痛い、痛い。笑い声が、笑い声が、まだ。誰かが、「死ね」と言った。生まれたその日に、最も幸福でなければならないその日に、胡桃は死を突き付けられた。
もう、胡桃に対する悪意は陰に隠れたモノではなく、目に見える形になっていた。胡桃が歩けば、悪口が聞こえた。一番ショックだったのは、友達だった人間に罵倒された事だった。
「貴女の事、本当は昔から大嫌いだった。気持ち悪いし、ナニ考えてるかわかんないし。もう、二度と話しかけないでね。キモいのがうつるから」
それまであえて気にしない風を装っていた胡桃だったが、流石にショックは大きかった。自身の態度が悪かったのだろうかとも思うようになった。
それから胡桃は他人の顔色を見るようになった。あんなにも、あんなにも嫌いな行為だったというのに。しかし苛めなんてものはそう簡単には無くならない。他人の顔色を見れば、それが不快だと言われ、酷い目にあった。では、ではどうすれば良かったのか。他人からの悪意を受けない為にはどうすれば良いのか。答えはわからない。いや、答えなんて無いのかもしれない。
毎日、毎日、胡桃は何らかの嫌がらせを受けた。そしてソレは段々と過激になっていく。
そして、靴が無くなった。それは誕生日に買ってもらった、大切な靴。何かが無くなる事は毎日の事だった。今までにも靴を隠されたことは何度かあった。物が無くなる事も何度もあった。だからこそ本当に大事な物は学校に持ち込まないようにしていたのに、母が普段履いているスニーカーを洗濯してしまった。だから今日一日だけ、今日一日だけのつもりで大事なスニーカーを学校へ持ってきてしまった。最近は物が無くなる事よりも、肉体に苦痛を与える虐めが増えてきたから、今日一日くらいなら大丈夫だろうという甘い考えもあった。
悲しかった、ただただ、悲しかった。靴を買ってもらって喜ぶ自分と、それを見て微笑む父と母の笑顔が浮かんだ。
探した、必至に探した。トイレも、ゴミ箱も、草むらの中も、学校中のありとあらゆる場所を探した。でも靴は見つからない。段々と日は沈んでいく、時間だけが過ぎる。あまり帰りが遅くなると、家族に心配をかけてしまう。一度家に帰り、可能ならば夜中に家を抜け出してまた探そう。胡桃はそう考え、失意に包まれながらも帰路につこうとした。
(でも、あと少しだけ……、最後にもう一度靴箱の近くを探してから帰ろう。靴が無くなった事に気付いた時に最初に探したけど、あの時は無くなった事に慌てて細かい箇所に目が届いていなかったかもしれない。だから最後にもう一度だけ……)