さいしょ、春の眠気とガスマスク
4月某日、超新聞部始動から間もない頃のこと。
「なんでアンタの記事はわけのわかんない化け物ばっかりなのよ! イエティが学校にいるわけないでしょうが!」
「この証拠写真を見てまだそんな事が言えるとは……、貴様の目は節穴か? 穴が開いているのか? ならば貴様にわが弁当のウズラの卵を贈呈しよう。これを目に入れて回るが良い、回るがいいさ!」
孝弘は箸で掴んだ卵を胡桃の頬に押しつける。
「痛い、汚い、勿体ない! 何が証拠写真よ、端っこになんか白いのが写ってるだけじゃないの。これならイエティっていうよりも心霊写真だわ」
「なっ……、俺が命がけで撮ったこの写真を、事もあろうに心霊写真だと……。ふざけやがって、お前の埃が写った写真と俺のスクープ写真を一緒くたにするんじゃねえ!」
「ほ、埃ですって! これはオーブっていうの。人の霊魂が写真に写りこんだ形なの!」
二人が超新聞部を名乗ってから、毎日口論は絶えない。お互いに、フツーの内容では満足出来ないという点では一致しているのではあるが、どうしても二人の趣味趣向の違いからメインとして扱う記事について争いが起きるのだ。孝弘は未確認生物を主とした記事を好み、胡桃は心霊関係のモノを好んでいる。オカルトという大まかな括りでは同じではあるものの、ソレはまったく別のモノであって、常に二人の意見は平行線なのだ。結局のところ、お互いに相容れる事は無いので最終的にはじゃんけんという何とも情けない形で勝敗が決している。しかし今でこそじゃんけんで記事のメインを決めてはいるが、超新聞部設立当初のメイン記事争いは、それはそれは過酷なものであり、様々な戦いが繰り広げられていた。武器を使った肉体的攻撃から、相手の交友関係を破壊するような精神的攻撃まで戦いは多岐に渡り、最終的には胡桃が掘った2メートル級の落とし穴に孝弘が嵌り、更に予備で掘った穴に胡桃自身がはまってしまうという事件によって争いの虚しさを理解し、平和的解決法であるじゃんけんという形に納まっている。
二人が口論し、睨み合い、普段であればそろそろじゃんけんであろうかという時だった。孝弘と胡桃以外には訪れる事のない部室の扉が、スッ―と開いた。
二人が扉に視線を向ける。入ってきたのは髪の短い女生徒であった。一見、男かと見間違うようなショートカットなのだが、その容貌は妙にコケティッシュで、男性的な髪型と女性的な容姿が合わさって不思議な色気を醸し出している。
女生徒は孝弘と胡桃を一瞥もせず、部室の隅で床に直接寝そべった。
二人が唖然としていると、しばらくして小さな寝息が聞こえてきた。
その日を境に、謎の女生徒は毎日部室へと来るようになった。時には二人よりも早く部室にいる事もあり、そして常に寝ているのだ。
彼女が部室へと現れるようになって約一週間、彼女の行動は急にやってきてはすぐさま熟睡するか、既に熟睡しているかの二択であり、中々コミュニケーションを取れずにいた。
そんなある日の昼休み。
孝弘は胡桃の呼び出しを受けて部室へと来た。
「ぱんぱかぱーん! 第一回、部室解放戦―ッ! どんどんぱふぱふーッ」
部室の扉を開けると、やたらとテンションの高い胡桃がたった一人で効果音までやってくれていた。
「胡桃……、なんでそんなに楽しそうなんだ?」
「例え逆境に追い込まれようとも、常にその状況を楽しむのが我ら超新聞部なのよ。現在我らの部室が異邦人によって侵略されようとしている……、しかし我々は屈しない! 必ずやあの女の息の根を止め、我らが聖域にスゥォーリアの鐘を打ち鳴らす!」
胡桃がぎらついた目で孝弘を睨みつける。
「孝弘……! あんたに頼みがある――」
胡桃の頼みを聞いた孝弘はしばらく考えた後――、「了解」と一言呟いて部室を後にした。
四月某日、煤渡京香が一人の時のこと。
「私は何故、あの場所へと向かっているのであろうか。睡眠を欲しているわけではないはず。眠いのであれば早々と自宅に帰った方が睡眠を取るには効率良いはずである。しかして私は帰らない。昨日も今日も、そしておそらくは明日も今日と同じ順路を辿る。この軌跡はまるでスクィーラが首を傾げたように曖昧でいて濃密な時間を私に約束する。何故私は……。睡魔に襲われているのではない。何故ならその証拠に私は昨日も今日も、そしておそらく明日もこの道筋を歩くときには、睡魔とは無縁である。私は何故あの場所へと―」
煤渡京香は独り言を呟く癖がある。それは周りに他人がいたとしても変わらない、小さな声でブツブツと呟く。
家族からは気味が悪いから止めろとよく言われた。一度、苛立った父親に殴られた事もある。しかしそれでも京香は変わらずブツブツと小さな声で一人呟く。クラスメイトは彼女を気持ち悪がって、誰も関係を持とうとしない。小学校から現在まで友達は一人もいなかった。
彼女は端正な顔立ちをしていた、世界に対し協調性の欠片でも見せたのならば、友達や彼氏くらい簡単に出来たのかも知れない。しかし彼女の魅力の一つであろう透き通るような淡い黒髪も、邪魔という理由だけで男の子のように短く切ってしまった。
彼女は世界から孤立している。自ら孤立を選んだわけではないが、別段孤立する事に対して危機感を覚えてもいない。彼女は幼い頃、自身を貫くという事は世界を敵に回す事だと理解した。彼女は自身と世界を天秤にかけ、自身を選んだ。それだけの事である。
そしてここ数日、京香はとある空き教室に足を運んでいた。そこは学校の三階端の使われていない教室で、超新聞部が不正に部室として利用している場所である。京香は何故自分がその場に毎日足を運んでいるのか、理由が分からなかった。最初は何となく校内を散歩しているだけだったのだが、何もプレートの掛っていない空き教室から声が聞こえ、気づけばその教室の中に入っていた。入ったは良いもののする事がないのでとえいあえず眠りについた。いくら考えても自分がそんな行動をとった理由がわからない。昔から意味の無い行動をする事は多々あったが、それは他人から見て意味が無いというだけであって、自分自身には大きな意味が常にあった。しかし、今回はよくわからない。
「ただ、あの場所で眠りたかった……、違う。何となく……、違う、何か目的があるはず。では、私はいったい何故――」
放課後、京香はいつものように独り言を呟きながら空き教室……、「超新聞部部室」へと足を運んでいた。理由は京香自身にもわからない。ソコへ行かなければならない。まるで何かにとりつかれたかのように足が自然と動き出す。
目的地へと向かう途中、彼女はほぼ毎回同じ事を考えていた。それは「何故あの場所へ行かなければならないのか」と言う事だ。しかし一向に答えは出ない。実際目的地に着いても何をしていいかわからず、とりあえずその場に留まるために睡眠という方法を取っている。
「もしかして私は彼等に――あの二人に興味があるのだろうか。あの二人の事は知っている、面識はまったくないけれど他の生徒が噂しているのを聞いた事がある。変わり者、頭がおかしい、問題児、ろくな噂を聞いた事はないけれど、きっとあの二人が噂で聞いた二人に違いない。まさか私はあの二人に用があるのか……、わからない。一度、コミュニケーションを取る必要があるのかもしれない。自分自身の為に」
気づけば三階端の空き教室の前まで来ていた。独り言を言い出すと周りが見えなくなる事が多い。実際、途中すれちがった数名の女生徒がブツブツと呟く京香を見て「気持ち悪い」とわざと聞こえるように言ったのだが、京香は女生徒の存在にすら気付かなかった。
教室の引き戸に手をかける。なんだか妙な違和感がある。
違和感の正体がわからず、なんだか気持ちが悪い。しかし彼女は戸を開け妙に暗い室内へと入った。
数歩あるいた所で天井から、ばさっ―と音がした。
顔を上げる。天井から網が落ちてきて、京香の四肢の自由を奪う。
「んっ―― !」
網の落下とほぼ同時に、教室の戸が独りでに閉まり、どこからか煙が噴き出す。煙はすぐさま部屋を充満し、京香は強い息苦しさから強くせき込む。
(何故――、火災報知機は反応しないの)
京香はせき込む苦しさよりも、そんな事が気になった。
「和製チュパカブラよ、この煙に害は無い。しかしこれは貴様に対しての警告の一つに過ぎない。もし俺様の質問に対し誤魔化すようであれば命の保証は無いと言っておこう」
突如くぐもった声がした。
声の聞こえた方向には男が立っている。顔にガスマスクを装着し、上半身は裸、下半身はトランクス一枚のみという出で立ちで、トイレのすっぽんを持っている。良く見ると乳首が赤いインクによって丸で囲まれており、それを矢印が指している。矢印の元には「20ポイント」と書かれていた。
(私より先に来て、隠れていたのか――)
教室のカーテンは閉め切られていた。京香はそれ故にトラップと隠密の存在に気付く事が出来なかった。
「さあ、吐け……! 貴様は何者だ」
「わ、私は……けほっ、けほっ」
喋ろうにも煙のせいで上手く声が出ない。
(様相は中々かっこいいけど、なんと卑劣な――)
「あくまで沈黙を貫くと言うのだな? その意気やよし、貴様の脳味噌に電極を繋ぎ未来永劫生かしてやる」
ガスマスクの男は手に持ったすっぽんを振り上げる。
今まさに、彼の手から狂喜の鉄槌が下されようとしていた。
(南無三っ!)
その時である、教室の戸が開かれた。室内に充満した煙は逃げ場を求め、開いた戸から半死の猫のように飛び出した。
戸を明けたのは女生徒であった。
「そこまで、孝弘。あんたの出番はここで終わり――、ここからはアタシに任せなさい」
女生徒が近づいてくる。
「煤渡京香……で、合ってるわね?」
京香は頷いた。
「貴女、超新聞部に入部しない?」
京香はほとんど躊躇いも無く、「うん」と答えた。
それは四月某日、超新聞部が三人になった時のこと。