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聖なる贈り物

森羅のクリスマスパーティは、今年もまた盛大に催されている。


ウェルカムドリンクを片手に、見知った顔を呼び止めあるいは呼び止められ、

さざめく人々の間を瑞穂は流れるように歩く。

パーティーはまだ始まったばかりだ。

春先にニューヨーク支社長の任を解かれ帰国した彼は、

森ホールディングスの専務に就任した。

約二年に渡る駐在期間はもちろん多忙であったが、

公私が比較的しっかりと線引きしやすかったことを考えれば、

長いハネムーンのようなものだったとも言える。

しかし今は。

かつて父が倒れた時ほどではないにせよ、

その任に相応しい実力があるかどうか――

森羅の後継者として相応しいかどうかを試されている。

再び瑞穂の側に付いた時田と共に、ひたすらに、がむしゃらに、

その証を立てるべく仕事に取り組む日々だ。


彼の妻は――千速は、と言えば……


華やかに着飾った人々の間から、

押しの強そうな男が現れ、ニヤリと笑いかけてきた。


「気もそぞろだな、瑞穂」


まだたどたどしい足運びの幼児(おさなご)の手を引き、近付いてくる。


「でもまあ、その気持ち、わからなくはない」


そう言って、彼は愛しそうに自分の娘を見下ろした。


「ようこそ、誠さん」


瑞穂は、彼の兄貴分でもある桜井をそう歓迎する。

それから、屈んでその娘に微笑みかけた。


(かおる)ちゃんも、ようこそ」


ワインレッドのワンピースを身に着けた幼児の、

市松人形のような面差しは、美しい彼女の母にそっくりだ。


「ますます実里だな」


そう呟く瑞穂を、大きな目を瞬かせて見上げると、

はにかんだように、父の脚にしがみついた。


「本人がこんなふうに恥じらう様を見たことはないが」

「寄るな、近い」


上から降って来た不機嫌な声に、瑞穂はくす、と笑う。


「取って食いやしませんよ、誠さん。

 そもそも、実里に食指が動いたことはなかったんですから」

「それはお互いさまよ」


桜井の後ろから現れた、訪問着姿のかつての同期は艶やかに微笑んだ。


「こんばんは、瑞穂。

 大変だわね。

 病院から来たんでしょう?」


瑞穂は頷いた。


「ここに来るギリギリまで側についていたんだが、

 大丈夫だから行ってこいと、千速に追い立てられた。

 あんなに辛そうなのに、何が大丈夫なんだ」


そう、千速は今まさに産みの苦しみの中にある。

瑞穂はスマートフォンをポケットから出し、ちらりと確認するが、

彼女に付き添っている義母からの連絡は、まだない。


「もう十時間だ」


不規則だった陣痛が、だんだん定期的になり、

間隔が短くなり、それに伴って痛みが増してゆく――

必死に息を整え、それに耐える千速は、

信じられないような力で瑞穂の手を握っていたというのに。

千速の側にいて、彼女が戦うのをただ見守るしかない歯がゆさを味わうのは、

今に始まったことではない。

ではあるのだが――

こんなふうに苦しむ様を目の当たりにするのは初めてで、

それが瑞穂を心許無くさせた。

だというのに。


『大丈夫よ、瑞穂。

 心配しないで。

 パーティーが終わる頃には、

 森羅の新しい、小さな後継者がここで待っているわよ、たぶん』


汗ばんだ額に張り付いた髪をそっと払う瑞穂に、

千速はそう言って微笑んだのだった――


「そりゃあ辛い思いをしても、それだけのものが待っているんだもの。

 十時間かかろうが、二十時間かかろうが、

耐えられるし、大丈夫なのよ」


実里が娘の頭を撫でながら、母の顔で笑った。


「それに千速のことだもの。

 自分は自分の持ち場で精一杯頑張るから、

 瑞穂は瑞穂の持ち場で、

 期待される役目をきちんと果たして来いって言いたかったんじゃないの?」


瑞穂は苦笑した。

長い付き合いなだけあって、実里は遠慮ない物言いをするし、

千速や瑞穂のことをよくわかっているのだ。


「……かもな」


時田が人波の間から現れ、目線で瑞穂を促した。

――やれやれ。

森羅後継者として、期待される役目を果たしてくるとするか、千速。


「では、楽しんで」


そう言い残して、瑞穂は桜井一家から離れた。


「あのピリピリした雰囲気、

 身重の妻のもとに駆け付けたいがためとは、

 誰も想像しないでしょうねぇ」


どこからどう見ても、隙の無い切れ者森羅御曹司って態だもの。

さすがよね。

その後ろ姿を見送りながら、実里がくふりと笑う。


「瑞穂も加藤の前ではただの男というわけだろう。

 俺だって実里の前ではただの男に成り下がる」

「そうだったんですか?」


実里が悪戯っぽく目を瞬かせる。 


「そうだったんだよ」


桜井はそう言って、彼の愛する妻の腰に手を回した。


 * * *


タクシーから飛び出すと、

瑞穂は自動ドアに肩をぶつけながら慌てて病院に駆け込んだ。

面会時間ギリギリだが、それなりに行き交う人は多い。

場違いなタキシード姿のまま血相を変えて急ぐ様に、

通りすがる人々が振り返って見ているのがわかったが、今は気にならない。

足早に病室に向かい、ノックもそこそこにドアを開ける。


ベッドの上の千速は、疲れが残る青褪めた顔をしていたが、

瑞穂の姿を認めると、柔らかい輝くような微笑みを浮かべた。


「瑞穂」


ベッドからゆっくり身体を起こした千速が、

傍らに置かれた小さなベッドを覗き込む。


「眠ってるの」


瑞穂はその場に立ち尽くしたまま、視線をそこに向けた。


「瑞穂?」


透明な籠のようなベッドに、瑞穂は息をひそめて近付く。

小さくて、赤くて、皺くちゃのそれは、

白い産着と白いタオルに包まれて、そこにいた。

少しこちらに向いた顔は、誰に似ているのか、今は正直わからない。

しかし――

瑞穂は指先で、そっとその目元に触れた。

小さな黒子がそこに――

やっぱり、お前だったか。


「――明穂(あきほ)


眠っているはずの赤子の目が不意に開き、

その声の主を探すかのように、周囲を見回した。


「瑞穂の声がわかるのね」


千速が囁く。

瑞穂は笑った。


「違う。

 自分の名前を呼ばれたのが聞こえたんだ」


以前、瑞穂は夢を見たことがある。

胸元に突然かかる重みに目を開けると、

自分を見下ろす自分そっくりの子供の顔――

しかし、髪は癖のある茶色で、右の目元には黒子があった。

明穂。

その男の子を、千速はそう呼んで抱き上げた――

そういう、夢だった。


「瑞穂の見た、明穂(・・)なのかしら?」


千速が指を握らせながら、うっとりと赤子に微笑みかける。


「そうみたいだな。

 だから、初めまして、じゃない。

 ようこそ、だな」

「じゃあ、名前はもう決まりね」

「自分で名乗ったんだから、それに従ってやるべきだろう?」


ふふ、と笑って見上げる千速に、瑞穂は口づけを落とした。


「ありがとう、千速。すごい贈り物だ」

「私も、こんなに素敵な贈り物をもらったの、初めてよ」


明穂と名付けられることが決まった赤子が、

両親の見守る中、はふ、と大きく欠伸をして目を閉じた。





アルファポリス様、エタニティ番外編SS「明け方の夢」の続きとなります。

「明け方の夢」はエタニティサイトの特別番外編、バックナンバーより、読むことが出来ます。

(その際、メールアドレスの登録が必要となります)


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