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デフォルトでいこう

「今までと同じでいい」

瑞穂のそのひとことに、彼の秘書で従兄の時田が眉を顰める。

そして、千速の左手に嵌められたマリッジリングに

視線をチラリと飛ばしながら、皮肉っぽく口にした。

「もう、お前のものなんだから、誰も手を出したりしない」

隣で聞いていた千速は頬を赤らめた。

「しかも、これからずっと傍に置くんだろう?

 だったら、尚更お前に相応しく装った方がいいんじゃないのか」

何を話し合っているかと言えば、

瑞穂の秘書として勤務するにあたっての、千速の服装についてである。

しかし、千速は時田に向かってこう言った。

「いえ、どちらかといえば、瑞穂さんに相応しくあるために、

 今までの装いを通そうかと思っているんです」

瑞穂の「薄墨の君」仕様への、よくわからない執着は置いておくにして。

千速としては、瑞穂がちゃらちゃらとした女連れでやってきた

ちょろい御曹司とみなされるようなことは、

万が一にも避けたいと考えている。

何となれば自分は、とても誤解を招き易い外見であると自覚しているので。

千速の言わんとしていることを理解したらしい時田は、

ため息まじりに頷いた。

「まあ、そういうことなら。

 ですが、それはそれで、あなたに皺寄せが行くことになると

 思うんですが……」

「慣れてますから」と言って肩を竦めた千速の隣で、瑞穂が満足げに頷く。

時田がやれやれ、というように苦笑したのには、気付かないふりをした。 


 * * *


――さて。

ニューヨーク支社への初出勤日である。

瑞穂の隣に並んだ千速は、デフォルトのグレーのスーツ、

銀縁眼鏡、ひっつめ髪であった。

「いや、せめてコンタクトにするとか、髪型は変えるとか……」

時田は最後までそう言って渋ったが、瑞穂は

「このスーツには、この眼鏡とこの髪型だ。

 そうでなければ、千速じゃない」

という、これまたよくわからない理屈を押し通した。

まあ、千速としてもその方向で是非、と思っていたので

否やはなかったのだが。


そして本日、千速のこの姿を目にした社員の顔に浮かんだ表情は、

主に二つ。

どうやら、仕事面で迷惑をかけられることはなさそうだ、という安堵。

あるいは、成程これは典型的な政略結婚であったか、という合点。

それから、後ひとつ――

これは何人かの女性社員の目に浮かんだ――もしかしたら、という

強かな野望。

ニューヨークに派遣されるような、優秀な者たちなのだ。

その能力にも、容姿にも自信がある者も多い。


瑞穂本人に関して言えば、この二年ばかりの森羅での働きによって、

その能力は充分証明され、広く認知されている。

そしてまた、そのやけに整った容貌と他者を圧するような雰囲気で、

既に只者ではない存在感を放っていた。

しかし、千速は。

突然彼の秘書として現れた千速は、その実力も不明なまま、

「妻」と言う立場であるがゆえに、周囲から寄せられる視線もシビアだ。

何となれば、ここは仕事をする場であるから。

通常勤務が始まると、力試しとばかりに、

千速にはあらゆる仕事が投げられた。

重要なものも些末なものも遠慮なく、時として千速の職域を超えるものも。

しかし、そこは千速だ。

無理な捻じ込みには、あっさりNOを突き付け、

しかし、必要とあれば労を惜しまず手を尽くした。

営業は、成果が見えやすい職種であった。

数字が、その働きを証明してくれるのであるから。

しかし秘書となれば、それは非常に難しい。

一番に求められるのは、サポートする人物が――

瑞穂が、動きやすくあるよう環境を整えること。

そして、同じくらい重要であるのは、周囲の人々が、

瑞穂と関わりやすくあるよう繋ぐこと。

忙しく、尚且つ無駄を嫌う瑞穂に、すんなり話が通しやすいように、

千速は予め瑞穂に上げられる書類をチェックして、担当者に助言する。

これは時田の流儀をそのまま踏襲した。

追われるように仕事をこなすうち、二週間もすると、

千速の実力もまた周囲に認められるようになった。


そんなわけで、仕事に関しては極めて順調な滑り出しを切ったと言えた。


一方。

千速を「政略結婚で瑞穂をしとめた女」と見る向きには、

それなりの嫌味な対応をされることがままあった。

結婚してもこれかいな。

女というものは全くもって厄介な生き物だ、と千速は思う。

しかし、日本であったような、

下らない露骨な嫌がらせを受けることは、ない。

何といっても、そこはプライドの高い優秀な者の集まりであるがゆえ。

「どうせ、政略なんでしょ」

「きっと、支社長もこっちまで付いて来られて

 ウンザリしてるんじゃない?」

こんな嫌味ぐらいは、痛くも痒くもない。


 * * *


事態が変化したのは、もう少し後、

ニューヨーク赴任一か月後のことである。


千速が瑞穂に伴われて、とある取引先のパーティーに参加した翌日。

「――加藤さん」

職場では、便宜上、旧姓を使っている千速である。

「はい」

振り向くと、やり手の営業として鳴らしている春日涼子が立っていた。

肉感的な口許に皮肉っぽい笑みを浮かべ、

セミロングの黒髪をさらり、と揺らしながら近づいてくる。

彼女はいわゆる、「もしかしたら」属の一員である。

美女科もしかしたら属。瑞穂の周囲に多数生息……

そんなことを考えて、千速は内心ちょっと笑った。

彼女は、「何でしょう?」といった表情を浮かべた千速に、

嘲笑と憐憫を滲ませたような視線を向けてくる。

「昨日のパーティーには、支社長と参加されたの?」

「ええ」

「支社長……真赤なドレスの女性と、

 とても親しそうにされているところをお見かけしたわ」

大きなホテルで開催されるパーティーは、

もちろん人目に触れる機会が多い。

千速は固まった。

それを見て取った春日は、薄く笑みを浮かべたまま、

尚も千速の反応を探るかのように続ける。

「お似合いだったわ。美男美女で目立っていたわよ」

あなた以外の誰かと親密そうだった――春日はそう匂わせているのだ。

そう理解してはいたが、

千速の口から思わず洩れたのは、こんなセリフであった。

「め、目立っていましたか。やっぱり……」

そして頬を染め、目を伏せた。

期待されている反応とは違うものを返してしまっているからだろう、

春日は焦れたように繰り返した。

「そうよ。とても、目立っていたわ」


――ぷち。


千速の中の何かが切れた。

「……真赤はやりすぎだと、私も反対したの」

「は?」

「でも、こっちではそれくらい何でもないとか言っちゃってっ!」

千速は春日にキッと視線を向け、ずいと迫った。

鬼気迫るものを感じたのか、春日が、じりっ、と後ずさる。

「派手だったでしょう?そうよね、私も凄く派手だったと思うもの。

 派手だったから、目を引いたってことでしょう?」

サンタドレスくらいよ、日本人に真赤で許されるのは。

千速は眉を顰め、そう唸る。

「……あの真赤なドレスの女性、ご存知なの?」

春日が、戸惑ったように口にする。

「ご存知って」

千速は、はっはと引き攣ったように笑った。

「鏡に映った自分は見ましたけど?派手だなって」

「……ええっ!?」

春日は千速を指差し、目を見開いて叫んだ。

「あれっ! あの真赤なドレス!」

「真赤、真赤って繰り返されると、

 地味にボディーブローでダメージが……」

千速は鳩尾を押さえてよろめいた。

「って、加藤さんだったわけっ!?」

「私がエスコートするのが妻なのは、当然だろう」

背後から声が掛かって、二人は飛び上がった。

瑞穂が可笑しそうに千速を見つめている。

そんな瑞穂に千速はにじり寄った。

「だからっ!だからやだって言ったのよ」

「何が?」

瑞穂は空っとぼけた。

「真赤は、こっちでもやっぱり真赤で、派手なのよ!

 どうせ誰にも見られないとか、嘘ばっかり。

 あんな格好見られたなんて、恥ずかしくて仕事できない」

千速は、ぶん、と春日を振り返った。

「あれは、私の趣味じゃないの。支社長の趣味……」

「おい」

「あ、私、今何も聞こえませんでした」

春日がひょいと肩を竦めた。

「う゛。裏切り者。見たの春日さんだけですか?」

「ええ、まあ」

がしっとその手を握り、千速は身を乗り出した。

「お願い。内密に。真赤とか……特に、真赤とか」

春日は間近に頬を染める千速の顔を見て、

どうやら、何かを納得したようだ。

「言いませんよ、真赤なドレス着てたなんて」

「い、言ってるじゃないですかっ!」

「しかも、支社長といちゃいちゃしていたとか」

くぅぅーーーっ!と叫んで、千速は春日の口を塞いだ。

「お、面白がってますね」

「だって、面白いもの」

「いや、いちゃいちゃしていたとか、誤解が」

「べたべたされていた」

「春日さん!私をいじめて楽しいですか?」

「すっごく楽しい」

瑞穂が笑いながら去っていくのを、千速は背後に感じた。

――おのれ、瑞穂め。


その後、瞬く間に「美女科もしかしたら属」は消え失せた。

「――何で?」

千速は首を捻ったが、当然である。

「やってらんない。

 御曹司がベロベロに惚れ込んだ女を、

 わざわざ地味に装わせて近くに侍らせとくとか、

 物凄い執着の一端を垣間見るようで空恐ろしいわ」

春日がそう触れ回っていたことなど、千速は知る由もない。

「それなのに、

 プライベートではえらく派手に装わせて連れ歩いてるんだから。

 赤よ。赤いドレス。それも真赤。完全に見せびらかしてたわね、あれは」

ついでに、そう付け加えられていたなんてことも。


千速は、あっという間に職場に溶け込んだのだった――



皆様の応援に感謝をこめて。

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