業務連絡 そして 業務命令
書籍ではだいぶ省略された、「会えなかった一年」のエピソード。
若干手を入れてありますが、再掲載です。
「スカイプとか?」
「アレが、仕事以外のことでパソコンに向かって話しているところなんて、想像できる?」
「ぶっ。ないね」
森瑞穂 突然の退職に、営業部はもとより社内は騒然となったが、
整然と整えられた、引継ぎの資料と、
一身上の都合による、突然の退職で迷惑をかけることを謝罪し、
後を託すと記された一筆が残されただけで、詳細は語られなかった。
しかし、彼が実は、森羅グループの後継者であり、
そこに戻っていったという話は、その数日後に、瞬く間に噂となって流れ、
成程、あの態度といい能力といい、
それは彼の企業の跡取りたる所以のものだったか、と皆を納得させたのであった。
千速は何人かから、知っていたの?と興味本位に尋ねられたが、
曖昧に微笑んで、私もビックリ、と答えると、
やっぱりね、という顔で皆引き下がっていった。
千速を煩がらせた、瑞穂の取り巻きからの嫌がらせも、ぱたりと止んだ。
―――去るものは日々に疎し。
多忙な日常に紛れ、やがて、それは過去の話題となっていった。
例によって、月曜の社員食堂である。
パソコンに向かって甘い言葉を吐く森 瑞穂―――実里は悶えて笑っているが、
千速は、目を伏せて、
「そもそも、そんな時間が瑞穂には殆ど無いみたいだし、
お互いの時間を合わせることも、難しいもの」
と肩をすくめた。
実里が笑いを納め、気遣わしげに尋ねる。
「連絡もなし?」
千速はちらり、と視線を上げて返した。
「……業務連絡のこと?」
「……」
あ、連絡は一応取れているのね、と実里は苦笑いした。
業務連絡程度ではあるが。
それでも、ほぼ毎日、瑞穂からメールは届いた。
どこそこに居る、とか、何を食べた、とか、何を見た、とか。
それからわかるのは、国内外を問わず、
もの凄い過密スケジュールで動いている、ということだ。
瑞穂が桜井商事を去って、約二ヶ月。
……きちんと、休めているのだろうか。
一方、業務連絡があってもなくても、
千速は毎日コンスタントにメールを送っている。
内容は、業務連絡に毛が生えたようなもの。
それでもそれは、二人を繋ぐ、目に見えるたったひとつのものだと思ったから。
お互いの存在を確かめ合う、簡潔すぎる内容のメール。
読む人がいたとしても、これが恋人同士のやりとりとは、思いもしないだろう。
「……会いに行けばいいのに」
そんなに、淋しそうな顔をするくらいなら、と実里は思う。
千速は首を横に振る。
「行かない。まだ、瑞穂の立場は万全じゃないもの。
何が原因で足元を掬われるかわからない」
「そんなもの?」
「そんなもの」
ふーん、と実里は納得しがたそうに相槌を打ち、
「じゃあ、そんな顔するな」
千速の額を指で弾いた。
「忙しい毎日を過ごす合間に、律儀に業務連絡を送るオトコ心にもっと自信を持ったら?」
額を押さえて、千速が目を瞬き、くすりと笑った。
「業務連絡なのに?」
「それ以上のモノが送られてきた暁には、是非、私にも見せるように」
実里がニヤリと笑って言い、
「「ありえなーい」」
と、二人で笑い転げた。
* * *
瑞穂は多忙を極めていた。
父は、数ヶ月で社長復帰の予定ではあるが、滞らせるわけには行かない取引も多い。
しかも、社内においても、社外においても、
名代として動く、瑞穂の足元を見るような扱いや、力量を試すような駆け引きがあった。
それらを、力で捻じ伏せながら、ひたすら前に進む。
程度の差こそあれ、いずれこれらの状況には直面しなければならなかったはずだ。
それが、少しばかり早まっただけ――
緊張を強いられる毎日を、どうにかこなしている。
とはいえ、社内の動揺は治まりつつあり、情勢を掌握しつつあるといってもよかった。
そしてまた、フォレストグループのクリスマスパーティーも、例年通り開催された。
社長名代として瑞穂が立ち、陣頭指揮を執った。
わずか二ヶ月であるが、実績を積み、名実共に、その存在を後継者として認められつつあった。
本来ならば、千速を連れて参加するはずだったパーティーの後、
瑞穂は、既に終わってしまったパーティーの招待状に、
『来年は一緒に』
と書き記し、封筒に入れた。
封筒を秘書であり、従兄弟でもある 時田 恵吾に渡す。
「出しておいてくれ」
と言うと、怪訝そうな表情で
「終わった後なのに?」
と宛名をちらりと見、眉を上げた。
「そうだ」
「・・・了解」
この三つ年上の従兄弟は、自らも後継者たる資格があるにもかかわらず、
「俺は、一番より二番手の方が、実力を発揮できるタイプだ」
と言って、早い段階から瑞穂のサポートに回ることを公言し、
瑞穂のことを「若」と呼んでいた。
瑞穂の父が倒れたことによる突然の混乱にも、
すぐさま瑞穂の元に赴き、そのフォローに奔走した。
二ヶ月で、ここまで情勢を掌握できたのも、彼のお陰だ。
多忙な瑞穂と常に行動を共にし、自らも多忙を極めている。
「ところで、若。パーティーの無事成功、おめでとうございます」
「いや。恵吾や協力してくれた皆のお陰だ」
満足そうに笑う恵吾に、瑞穂もふっと笑みを浮かべる。
笑みは、次第にニヤリとしたものに変わっていき、
取り繕った雰囲気は消えうせた。
「あの、爺どもの苦々しい顔を見たか?」
「散々足を引っ張った上に、成功を収められて、自分たちの存在意義を失った」
ククク、と恵吾が笑う。
「あーすっきりした」
一緒に車に乗り、心地よい疲労感と共に帰宅の途につくと、
瑞穂のスマートフォンにメールが着信した。
『仕事納めの日に、部の忘年会があるの。今年は、ホテルで立食パーティーだって』
千速からの定期連絡だ。
車内でメールを確認した瑞穂は、眉をしかめ、おもむろに電話をかけ始めた。
隣に座った恵吾が、おや?というようにとこちらを見たのがわかったが、気にしなかった。
「――俺だ。酒は飲むな」
「久方ぶりに聞く第一声がそれなの?お久しぶり、瑞穂。元気かしら?」
「……」
「それに、お忘れかもしれないけれど、お酒の限度は仕込まれていますから」
「仕込まれていてもだ。自覚がなくても、お前は酔っているだろうが」
「……そうだったかしら?」
瑞穂はちっと舌打ちする。
「今までは俺が目を光らせていた」
「そうなの?でも、須藤君もいるし」
「あいつじゃ、頼りにならないだろうが」
「……若。着きますよ」
「あら、移動中なのね? 大丈夫よ、心配しないでも。
いつもの忘年会ですもの。じゃあね」
プツン、と切れたスマートフォンを瑞穂は睨み、
再び、別のナンバーに電話をかけ始めた。
「誠さん?瑞穂です。
仕事納めの日に部の忘年会があるとか。
誠さんも、営業管轄の役員だから出ますよね?」
イライラと、指で膝を叩く瑞穂を見て、恵吾は益々興味を引かれたようだ。
「いや、そうじゃなくて。
行けませんよ、多分ドイツに行ってる。
実は、依頼したいことがあって。
加藤のことです」
瑞穂の実家の前に、車は停められた。
通話を続けたまま、恵吾の方を向き、
じゃあ、明日、と片手を挙げ、瑞穂は車を降りた。
* * *
「それで、何でこんな側にべったりなんですか?
お守りが必要な年齢じゃないんですから。
いいですよ、ほら、他の方々と美味しいお酒を召し上がって来て下さい」
千速がウンザリした声で語った相手は、久世課長だ。
毎年恒例の部の忘年会。
成績優秀者の表彰があったりで、周囲は盛り上がっている。
「……俺も、是非ともそうしたいところだが、引継ぎが来るまでは責任があるからな」
「引継ぎ?」
先日、久々に瑞穂から電話が来たと思ったら、第一声が
「酒を飲むな」
であった。
ふんっ!と千速は思う。
業務連絡の次は、業務命令ですか。
私は、瑞穂の部下じゃありませんから。
ええ、ええ、美味しくワインを頂きますとも!
手にしたワイングラスを傾けようとすると、
サッと横から手が出てきて、止められた。
「?」
手の主を見ると、桜井常務であった。
「……常務?」
「遅いっ!俺の酒が無くなる。ほれ、姫は無事引き継いだぞ」
久世は唸るように言うと、人混みに紛れていった。
「あの?」
「依頼があってね」
ニンマリ笑って桜井が言った。
「いやー。楽しい。実に、楽しい。
何と、俺に女の見張りを頼んだ奴がいるんだ。
『酒を飲ませるな』だとさ」
それから、背後に立った実里を振り向く。
「というわけで、ここからは谷口に交代。
お前、よく見張っておけよ。
全く俺まで巻き込んで、何なんだこれは。
加藤君は酒乱の気でもあるのか?」
千速のこめかみに筋が立った。
「……あいつめー」
ぽん、と千速の肩を叩いた実里が、
「そういうわけで、じゃ、美味しいもの漁りに行こうか?これは――」
と言って、手にしていたワイングラスを取り上げた。
「ウーロン茶あたりに変更ってことで」
そして、千速に身を摺り寄せると囁いた。
「業務連絡程度とかあっさりしてるなー、って思っていたけど
もの凄い独占欲の一端を垣間見た気がするわ。
いやー、わかってはいたけど、エライのに目を付けられちゃったねぇ、うっふっふ」
「何なのよ、もう」
膨れる千速を引き摺って、実里はブッフェコーナーに繰り出し
それとなく、近寄ってくる男共を、これまた、それとなく遠ざけ、
八面六臂の活躍をしたのであった。
「今度、何か驕らせなきゃねー」
とハミングしながら。