6話 断罪
聖王都の地下深く、日の光も届かぬ尋問室。
冷たい石壁には、かつてここで命を散らした者たちの、どす黒い血の跡がこびりついている。アルトは両腕を鎖で吊るされ、つま先が辛うじて地面に触れる状態で拘束されていた。
「さて、正直に言え。《下層存在》の分際で、あの『黒い怪異』をどうやって呼び出した?」
目の前で椅子に深く腰掛けているのは、先ほどの警備隊長だ。彼は机の上に、鋭く研がれたメスや、指を砕くための万力、そして魔力を通して激痛を与える呪具を無造作に並べている。
「……言ったはずです……。僕は何も、知らない……」
アルトは枯れた声で応えた。隔離区から引きずり回され、体中が痣だらけだ。
「知らぬ、か。Lv0というバグのような数値を出し、都の水晶を壊し、隔離区に魔物を招き寄せた。……それがこの街の『公式見解』だ。我々には犯人が必要なのだよ。そして、レベルのない貴様は、その役に最適だ」
隊長が立ち上がり、魔力を帯びた鞭を手に取った。
「貴様の影の中に何が潜んでいるのか、この皮を剥いで確かめてやろう」
「やめて、ください……。本当に、僕は……」
『――不快だ。これほどまでに』
脳内に、氷の刃のような声が突き刺さった。
アルトの心臓が激しく脈打つ。
「影、やめろ……。今出てきたら、本当に終わりなんだ……!」
「……独り言か? 気が狂うにはまだ早いぞ」
隊長が冷笑し、鞭を振り上げた。
パチン、という乾いた音が響き、アルトの脇腹が裂ける。灼熱のような激痛。
その瞬間だった。
尋問室の唯一の光源であった魔導ランプの光が、まるで何かに吸い込まれるように急激に減衰した。
「なんだ……? 魔法の不具合か?」
隊長が眉を潜めた瞬間、彼の足元から「それ」は現れた。
音もなかった。
隊長の影の中から、ぬらりと立ち上がったのは、巨大な黒い腕。
それはアルトの《本来到達し得た最終形》――影の顕現だった。
「な、なんだこれは!? 離せ!」
隊長が叫び、腰の剣に手をかけようとする。
だが、影の動きの方が圧倒的に速かった。
影は隊長の喉元を掴み上げ、そのまま壁に叩きつけた。
ドガッ、という鈍い音が響き、石壁に蜘蛛の巣状の亀裂が入る。
『主よ。理解してください。この種族は、痛みと恐怖でしか他者を定義できない』
影はアルトの目の前で、隊長の体をゆっくりと宙に持ち上げた。
Lv32の騎士である隊長が、まるで羽虫のように無力に手足をバタつかせている。
「待ってくれ、影! 殺さないで! 殺したら、僕は本当に人殺しに――」
『いいえ、主。これは処刑ではありません。ただの「清掃」です』
影の指先が、隊長の胸に触れた。
次の瞬間、闇が隊長の体内に侵食し、内側からその存在を塗りつぶしていく。
「あ……が、がはっ……!」
隊長の目から、口から、漆黒の液体が溢れ出した。
彼のLv32という身分も、これまで積み上げてきた騎士としての誇りも、影の暴力の前では何の意味もなさなかった。
パキ、という嫌な音が室内に響く。
影が手を離すと、そこにはもはや「人間」の形を保っていない、真っ黒な肉塊が転がっていた。
血の臭いと、それ以上に重苦しい「死」の気配が尋室を満たす。
「あ……ああ……」
アルトは目を見開き、その光景を呆然と見つめた。
自分が、殺した。
自分の影が、自分の意志に反して、生きた人間を無残に屠った。
たとえ自分を拷問しようとした悪党であっても、それは紛れもない「殺人」だった。
『これで一人目だ』
影はアルトの足元に跪き、血に汚れていない綺麗な闇の手で、アルトの拘束を解いた。
ガシャン、と鎖が外れ、アルトは冷たい床に崩れ落ちる。
「……どうして……。どうしてこんなことを……」
『貴殿を守るため。そして、世界に教えるためです。レベルという紙切れで決まった身分など、私の前では一瞬で消える無意味な記号に過ぎないと』
影の姿は、アルトにしか見えない。
だが、目の前に転がっている凄惨な死体は、間違いなく現実のものだった。
アルトの手は震え、吐き気がこみ上げる。
部屋の外で、異変を察知した看守たちの足音が近づいてくる。
「隊長! 隊長、どうなさいましたか!」
アルトは血に染まった床を見つめたまま、立ち上がることができなかった。
彼が守りたかった「人間としての正しさ」が、今、自分の影によって決定的に壊されたことを悟ったからだ。
影は、アルトの絶望を栄養にするかのように、より深く、より鋭く、その輪郭を研ぎ澄ませていた。




