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5話 残滓ー英雄なき「救済」

隔離区を襲った静寂は、魔物の断末魔よりも不気味だった。

広場の中央には、つい先ほどまで人々を蹂躙していた《地這いの悪夢アース・クローラー》が、見るも無惨な肉塊となって転がっている。鋭利な刃物で裁断されたような切り口からは、どす黒い体液が溢れ出し、酸鼻を極める臭いが周囲に立ち込めていた。

アルトは、がたがたと震える膝を抱え、泥の上に座り込んでいた。

彼の足元には、何事もなかったかのように平伏す「影」がある。

「あ……あぁ……」

周囲の生存者たちが、一人、また一人と立ち上がる。

だが、彼らが真っ先に向かったのは、アルトのもとではなかった。

「見たか……あの黒い塊を……」

「魔物を一瞬でバラバラにしやがった。あんなの、人間業じゃねえ」

ひそひそという囁き声が、雨音に混じってアルトの耳に届く。

彼らの視線は、感謝ではなく、得体の知れない「呪物」を見るそれだった。

この世界において、強さとはレベルという「数値」に裏打ちされたものであるべきだ。Lv25の魔物を瞬殺するには、少なくともLv40以上の《準支配階級》の騎士が必要であり、その際にも必ず聖なる魔力の輝きを伴う。

しかし、アルトから放たれたのは、光とは真逆の、底知れない闇だった。

「おい、あんた。……今の、あんたがやったのか?」

一人の痩せこけた男が、数メートル先から怯えを含んだ声で問いかけてきた。

アルトは顔を上げ、必死に首を振った。

「違う、僕は……。気づいたら、あいつが死んでて……」

「嘘をつけ! お前の影が伸びるのを、俺はこの目で見たんだ!」

別の男が叫び、地面に落ちていた石をアルトに向けて投げた。

石はアルトの肩に当たり、鈍い痛みが走る。

「そうだ、こいつだ! 神託の儀で《計測不能》なんて不吉な結果を出して追放された奴だ!」

「こいつがこの場所へ魔物を呼び寄せたんじゃないのか!?」

「さっきの黒い化け物も、こいつが操ってるんだ!」

噂は瞬く間に伝播し、変質していった。

『影の怪物』――。

隔離区に現れたその怪異は、いつしかアルトという少年の「本性」として定義され始めていた。

「違うんだ……信じてくれ……!」

アルトの叫びは、人々の恐怖という名の防衛本能にかき消される。

彼らにとって、自分たちと同じ《下層存在》であるはずの少年が、説明のつかない力を振るうことは、魔物の襲撃以上に「世界のルール」を脅かす恐怖だったのだ。

その時、閉ざされた鉄門の向こう側から、いくつもの規則正しい足音が響いた。

「道を開けろ! 警備隊だ!」

門の小窓が開き、重武装した兵士たちが隔離区を覗き込む。先ほどアルトたちを見捨てた兵士たちではない。彼らの胸には、さらに上位の部隊であることを示す鷲の紋章が刻まれていた。

「……凄まじいな。Lv25の個体が、これほど無惨に」

隊長格の男が、魔物の死体を見て忌々しげに顔を歪めた。

彼の視線が、周囲から孤立して泥にまみれているアルトに止まる。

「貴様が、報告にあった『Lv0の異物』か」

隊長の頭上には《Lv32》の文字。一般騎士の中でも実力者であることを示す数値だ。

「……え、あ……」

アルトは言葉を失う。隊長の瞳には、明確な敵意が宿っていた。

「レベルを持たぬ不純物が、魔導測定器を壊し、隔離区に怪異を撒き散らしている。……これ以上の混乱は許容できん。身柄を拘束する」

「待ってください! 僕は何も……!」

『――排除しますか? マスター

脳内に、あの冷徹な声が響く。

アルトの足元の影が、隊長の影に触れようと、鎌首をもたげるように蠢いた。

アルトは自身の影を抑え込むように、必死に地面を両手で押さえつけた。

「だめだ……来るな、影……! 出てくるな!」

傍目には、アルトが狂ったように独り言を言いながら地面を掻いているようにしか見えなかった。

その異様な光景に、兵士たちも、そして隔離区の住人たちも、確信を抱いた。

(こいつは、狂っている。あるいは、何かに取り憑かれている)

「連れて行け。……抵抗するようなら、殺して構わん。どうせレベルなしのゴミだ。殺したところで罪には問われん」

隊長の冷酷な宣告と共に、数人の兵士が門から躍り出た。

彼らの手には、魔力を帯びた拘束具が握られている。

アルトは抵抗できなかった。

いや、抵抗すれば、自分の影がこの兵士たちを皆殺しにしてしまう。

そうなれば、自分はもう、二度と「人間」には戻れない。

(助けて……。でも、影、君じゃないんだ……。誰か、本当に僕を助けてくれる人はいないのか……?)

アルトの祈りは届かない。

彼は冷たい鉄の枷をはめられ、泥の中から引きずり出された。

背後で、魔物の死体を囲むように隔離区の住人たちが集まり、口々にアルトを罵る声が聞こえる。

都へ連行されるアルトの影は、雨に濡れた石畳の上で、これまでになく黒く、深く、静かにその爪を研いでいた。

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