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4話 見捨てられた地

隔離区に朝は来ない。ただ、重苦しい灰色の雲が、夜の闇を薄い灰色に塗り替えるだけだ。

アルトは空腹で焼けるような胃の痛みと共に、瓦礫の隙間で目を覚ました。

その時、隔離区の静寂を切り裂くような、聞いたこともない「咆哮」が響き渡った。

「な、なんだ……?」

アルトが顔を上げると、遠くの廃屋が爆発したかのように弾け飛ぶのが見えた。

砂塵の中から現れたのは、巨大な蜘蛛のような姿をした魔物――《地這いの悪夢アース・クローラー》だ。その推定レベルは25。本来ならば、都の《準支配階級》である熟練の騎士たちが数人で仕留めるべき脅威である。

魔物は、動くものすべてを無慈悲に捕食していた。

「助けてくれ!」

「嫌だ、来ないでくれ!」

逃げ惑う《下層存在》たち。だが、彼らのほとんどはLv10に満たない弱者だ。逃げ足さえも魔物の爪に追いつかれ、次々と紅い飛沫へと変わっていく。

「おい、門を開けろ! 中に入れてくれ!」

生き残った人々が、都へと繋がる巨大な鉄門に殺到した。アルトもまた、必死に走り、その群衆の中に混じる。

門の上には、都の正規兵たちが並んでいた。

彼らは冷淡な目で、眼下の地獄を見下ろしている。

「門を開けろ! 魔物が来てるんだ!」

一人の男が叫び、鉄格子の隙間に指をかけた。

「……黙れ、ゴミ共が」

上から見下ろす兵士のリーダーが、吐き捨てるように言った。彼の頭上にはLv28の文字が浮かんでいる。

「この門は都を守るためのものだ。汚染された《下層存在》を招き入れるための門ではない。魔物に食われるのが貴様らの『最後の奉仕』だ。精々、奴の腹を満たして時間を稼げ」

「そんな……見捨てるのかよ!? あんたたちは兵士だろ!」

「兵士は『人間』を守るのが仕事だ。レベル一桁の家畜は対象外だ」

兵士が槍の柄で、門に縋り付く男の指を叩き折った。絶望的な叫びが広がる中、背後から《地這いの悪夢》の巨大な影が迫る。

アルトは震えながら、その光景を見ていた。

理不尽だ。レベルが低いというだけで、死ぬことさえ「当然」とされるこの世界。

(助けて……誰か……!)

その瞬間、心臓が跳ねた。

アルトの意思とは無関係に、足元の影が爆発的に膨れ上がる。

「あ……」

『――主よ。脆弱な貴殿には不要な光景だ。目を閉じていろ』

脳内に直接響く、あの冷徹な声。

アルトが拒絶する間もなかった。彼の影が地面から完全に剥離し、巨大な「黒い槍」となって戦場を奔った。

「な、何だ!? 影が動いて……」

門の上の兵士たちが目を見開く。

それは、もはや戦闘と呼べるものではなかった。

《地這いの悪夢》がアルトに向かって鎌のような足を振り下ろそうとした瞬間、その影が魔物の喉元を内側から突き破ったのだ。

『効率的排除を開始する』

影――《影位存在》は、実体を持たないまま、魔物の周囲を「闇」で包み込んだ。

魔物のLv25という強さは、影の前では無に等しい。

影が指先(を模した闇)を軽く振るだけで、魔物の強靭な外殻は紙細工のように切り裂かれ、その巨躯は瞬時に細切れの肉片へと成り果てた。

「ぎ、ぎゃああああ!?」

逃げ惑っていた人々も、その圧倒的な「暴力」に息を呑み、硬直する。

影は魔物を殲滅した後、ゆっくりと振り返った。

その視線の先にあるのは、門の上で怯える正規兵たちだ。

『主を侮辱し、死に追いやろうとした不純物。……排除の優先順位を上げますか?』

影の意志がアルトに流れ込む。

影は今、自分を見捨てた兵士たちを全員「処理」しようとしている。

アルトが「頷く」だけで、あの傲慢なLv28の兵士も、この隔離区を嘲笑う制度そのものも、塵にできるのだ。

「やめろ……影!」

アルトは必死に声を絞り出した。

「もういい……! 魔物は倒したんだ。これ以上は……やめてくれ!」

『……甘美なまでの非効率。貴殿のその慈悲こそが、貴殿を地獄に留めているというのに』

影は不満げに揺らめくと、再びアルトの足元へと収まり、沈黙した。

後には、魔物の凄惨な死体と、静まり返った隔離区が残された。

助かったはずの民衆は、アルトを「救世主」として見ることはなかった。

彼らが向けたのは、魔物に対するものよりも深い、正体不明の「怪物」に対する拒絶の眼差しだった。

門の上で、兵士が震える手で無線機のような魔道具を取り出す。

「報告しろ……隔離区に、レベルの概念を無視した『黒い何か』が出現したと……至急、上層部へ伝えろ!」

アルトは泥の中に座り込み、自分の影を見つめた。

影が独断で動くたびに、彼は「人間」から遠ざかっていく。

救われているはずなのに、孤独だけが加速度的に増していくのを感じていた。

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