34話 低レベルの集落②
「……アルト、と申します」
アルトが震える声で名乗ると、杖をついた老人は「そうか、アルトか」と、その響きを慈しむように頷いた。
「わしはテオだ。こっちの若者はマルク、あそこで洗濯をしているのはエルナ。ここではな、誰もが頭の上の『数字』ではなく、親からもらった『名前』で呼び合う。数字なんてものは、誰かが勝手に決めた序列に過ぎんからな」
案内された集落は、石を積み上げただけの粗末な小屋が並ぶ質素なものだった。しかし、そこを流れる空気は驚くほど穏やかだ。
子供たちが笑いながら駆け回り、足の不自由な老人が若者の肩を借りて歩く。エリュシオンのように「レベルが低いから」と罵る者も、フェルゼンのように「レベルが見えないから」と不安がる者もいない。
だが、テオの案内で村の中央へ進むにつれ、アルトはある異変に気づいた。
村にいるのは、腰の曲がった老人か、幼すぎる子供ばかり。働き盛りの若者の姿が極端に少ないのだ。
アルトが疑問を口にする前に、テオが重い口を開いた。
「……気づいたかね。ここは捨てられた者の里だが、それでも『鉄鋼国・バルガ』の連中にとっては、まだ使い道があるのさ」
テオの視線の先には、バルガ国との国境にそびえ立つ、黒々とした鉱山山脈があった。
「あの国は武力と工業の国だ。常に鉄を求め、常に火を焚いている。奴らは数日に一度、この里にやってきては、動ける者を片っ端から連れて行く。レベルの低い我らは、奴らにとって『壊れても構わない消耗品の労働力』なんだよ。暗い穴の底で鉄を掘り、熱い炉の前で皮を焼かれる。……戻ってこれた者は、一人もいない」
テオの拳が、震えながら杖を強く握りしめた。
「今日も、夜明けとともに数人が連れて行かれた。……だから安心しなさい。奴らは一度連れて行けば、翌日までは来ない。今夜くらいは、この里で静かに翼を休めるといい」
アルトは言葉を失った。
レベルが低いというだけで、人はこれほどまでに冷酷に「資材」として扱われるのか。フェルゼンのような理想郷でさえ、最後には「恐怖」という数字の支配に屈した。ならば、この世界のどこに、本当の意味での救いがあるというのか。
『主よ……不愉快ですね。この世界の理は、どこまでいっても強者が弱者を食らうだけの、底の浅い喜劇だ』
アルトの影の中で、最強の影が冷たく、しかし鋭く共鳴する。
だが、アルトの心を満たしたのは、怒りよりも先に、深い共感だった。
夕食に出されたのは、薄いスープと硬い野草の根だった。それでも、アルトにとっては、これまでに食べたどんな豪華な食事よりも「人間」の味がした。
「レベルが低いから仕方ない」と諦めるのではなく、「名前を持つ一人の人間」として、必死に今日を生きようとする彼らの瞳。
(僕と同じだ……。何もない、何者にもなれない。でも、ここにいるんだ)
アルトは、焚き火を見つめながら、久しぶりに「自分はここにいてもいい」という安らぎを感じていた。
エリュシオンの王宮で異端と蔑まれ、フェルゼンの街で怪物と恐れられた少年。
その彼を、テオたちはただの「アルト」として、温かな火の傍に招き入れてくれた。




