33話 低レベルの集落
フェルゼンを追われ、世界中から「人類の敵」と指名手配されたアルトは、荒涼とした岩場が続く国境地帯を彷徨っていた。
どれほど歩いても、どれほど魔物を退けても、アルトの視界の端に浮かぶ**《Lv0》**の数値が動くことはない。この世界の全ての生物に一度だけ与えられるはずの「経験値」という恩恵が、彼にだけは今でさえ一滴も注がれないのだ。
「……ハァ、……ハァ……ッ!」
アルトは、最強の影が作り出した影の剣を振るい、目の前の大岩に打ち付けた。影の剣は鋭く岩を削るが、その反動でアルトの細い腕の骨が悲鳴を上げる。
『主よ、今の踏み込みは甘い。重心をあと三寸下げ、影の呼吸を同調させるのです』
最強の影は、主の傍らで厳格な師として助言を続けていた。影はアルトに、神の理を超えた「深淵の剣技」を叩き込もうとしていた。理論、筋道、戦術――アルトはそれらを完璧に理解していた。知識としては、既に並の騎士を凌駕する域に達している。
だが、肉体がそれを拒絶する。
Lv0。それは、身体能力が「一般の子供」の域に固定されていることを意味する。
「……ダメだ、影。頭では分かっているのに……体が動かない……!」
アルトは地面に崩れ落ちた。どれだけ技術を磨いても、Lv30や40の兵士が持つ「圧倒的な筋力と反射速度」というレベルの暴力の前では、一撃で粉砕される。単独では、エリュシオンの末端の兵士一人にさえ勝てないという現実。
『……残酷な現実です。主の魂は既に王の器を成しているというのに、この世界の「理」が、主の肉体を矮小な檻に閉じ込めている』
最強の影の声には、主への不甲斐なさではなく、この世界のシステムそのものへの深い憎悪が混じっていた。
絶望的な鍛錬の果て、アルトが辿り着いたのは、フェルゼンから遠く離れた隣国**『鉄鋼国・バルガ』**の国境付近。険しい断崖の合間に、ひっそりと隠れるように存在する集落だった。
そこは、地図にも載っていない「捨てられた者」の里。
アルトが足を踏み入れると、そこには異様な光景が広がっていた。
「……みんな、レベルが……」
アルトの目に映る村人たちの頭上。そこに浮かぶのは**《Lv1》《Lv3》《Lv5》**といった、この世界では「生存権を持たない」とされるあまりにも低い数値ばかりだった。
重い農具も持てない老人、成長の見込みがないと判定された子供たち。レベル至上主義の国家において、労働力にも戦力にもならない「ゴミ」として国境へ追放された者たちが、肩を寄せ合って生きていた。
「おや……見ない顔だね」
一人の老人が、杖をつきながらアルトに声をかけた。彼の頭上には**《Lv2》**とある。
アルトは思わず、自分のフードを深く被り直した。自分は「世界を滅ぼす異端者」として追われている身だ。関われば、この人たちまで不幸にしてしまう。
だが、老人はアルトの怯えを察したのか、穏やかに微笑んだ。
「安心しなさい。ここには『数字』を測る役人も、人を値踏みする騎士も来やしない。……あんた、いい目をしてる。随分と、冷たい数字に苦しめられてきたんだろう?」
その言葉に、アルトは胸が締め付けられるような思いがした。
ここにはフェルゼンのような華やかさはない。赤煉瓦も英雄もいない。
しかし、ここにあるのは、レベルという呪縛から切り捨てられたからこそ成立している、静かで、優しい、名もなき者たちの連帯だった。
「……少しだけ、休ませてもらってもいいですか?」
「ああ、もちろん。何もないところだが、あんたの居場所くらいはあるさ」
アルトは、最強の影を自身の内に深く潜ませ、村の入り口を潜った。
Lv0の少年と、見捨てられた低レベルの民たち。
皮肉にも、世界で最も「価値がない」とされたこの場所が、アルトにとって初めて息のできる聖域になろうとしていた。




