31話 灰色の朝
ーseason4ー
崩壊した尖塔の隙間から差し込む朝陽は、昨日までのように赤煉瓦を優しく撫でることはなかった。瓦礫の山となった街並み、焦げた匂い、そして静まり返った広場。
アルトはハンスの宿の窓から、変わり果てたフェルゼンの姿を見下ろしていた。
傷ついた体を癒し、ようやく目覚めた彼を待っていたのは、小鳥のさえずりではなく、街中に充満する重苦しい「沈黙」だった。
「……ハンスさん、おはようございます」
部屋に入ってきた宿主、ハンスに声をかける。だが、返ってきたのはいつもの快活な笑い声ではなかった。ハンスはアルトと目を合わせようとせず、震える手で朝食のトレイを置くと、逃げるように部屋を去っていった。
その刹那、アルトの脳裏に市民たちの「声」が届く。最強の影を介して伝わる、街に渦巻くどす黒い感情。
『……あの少年さえ来なければ』
『あれは英雄じゃない。死神を呼び寄せる災厄だ』
感謝ではない。そこにいたのは、自分を救った少年の背後に潜む「圧倒的な闇」に怯える、弱き人間たちの姿だった。
「……そうか。僕が、壊したんだ」
アルトは力なく呟いた。自分が守ろうと決意したはずの平和は、自分が力を振るった結果、人々の恐怖という名の地獄に変質してしまったのだ。
フェルゼンの王宮、仮設の謁見の間。
そこには、怪我を押して立ち上がったカイル・ヴァン・ブライトと、憔悴しきった国王の姿があった。
「陛下! アルト殿がいなければ、この国は既にエリュシオンの軍門に降っていたはずです! 彼を追い出すなど、恩を仇で返すような真似は断じて――」
カイルが声を荒らげて抗弁する。だが、国王は力なく首を振った。その瞳には、一国の長としての苦渋、そして何よりアルトの影に対する隠しきれない「恐怖」が宿っていた。
「……カイルよ、分かっている。彼の功績は疑いようもない。だが、エリュシオンは彼を『異端』と断じた。彼がここに留まれば、再びあの執行官や、あるいはそれ以上の怪物がこの街を焼き尽くすだろう。……我が民は、もう耐えられぬのだ」
そこへ、アルトが静かに姿を現した。
カイルが言葉を失う。アルトの表情には、怒りも悲しみもなかった。ただ、すべてを受け入れたような、透き通った諦念だけがそこにあった。
「カイルさん、もういいんです。……陛下、おっしゃる通りです。僕がいる限り、この国に本当の朝は来ない」
「アルト殿……!」
「助けてくれて、ありがとうございました。初めて食べた温かい食事も、綺麗な星空も……忘れません」
アルトは深く頭を下げた。それは、自分が「人間」として扱ってもらえた唯一の居場所に対する、最期の別れだった。
アルトは一人、フェルゼンの正門へと歩を進めた。
沿道には多くの市民が集まっていたが、誰一人として彼に声をかける者はいない。子供たちは親の背後に隠れ、大人たちは呪物を見るような目で彼を見送る。
街を出た瞬間、背後で重厚な門が閉まる音が響いた。
「……行こうか。もう、振り返る場所はない」
『――主よ。それでよろしいのですか? 望むならば、今すぐこの無知な民たちを闇に――』
「いいんだ、影。……これで、いいんだ」
アルトは漆黒のフードを深く被り、地平線の先を見つめた。
自分が守りたかったものは、もう守れない。
自分が愛した世界は、自分を拒絶した。
ならば、このLv0の少年が歩むべき道は、もはや「正義」や「平和」の側にはない。
アルトの中にあった最後の甘さが、冷たい風に吹かれて消えていく。残ったのは、絶望を燃料にして燃え上がる、静かで狂おしいほどの「反逆」の火種だけだった。
世界が自分を拒むというのなら。
この「レベル」という数字に支配された理不尽な世界そのものを、僕が塗りつぶしてやる。
アルト・クロムウェル。
放浪の少年は、その日、真の意味で「世界の敵」への第一歩を踏み出した。




