23話 結界の都ーフェルゼン
窓から差し込む、柔らかな琥珀色の光がアルトの瞼を叩いた。
意識が浮上すると同時に、清潔なシーツの香りと、階下から聞こえる食器の重なる音が微かに届く。昨夜、泥のように眠りに落ちたアルトは、数年分もの重荷を下ろしたかのような深い休息を得ていた。
「……あ、さ……?」
アルトはゆっくりと身を起こし、窓際へ歩み寄った。
眼下に広がるフェルゼンの街並みは、朝陽を浴びて宝石のように輝いている。赤煉瓦の屋根を太陽の光が優しく撫で、石畳の通りには、元気に店を開く商人や、談笑しながら歩く市民たちの姿があった。エリュシオンの、常に監視され、格付けされていた「凍りついた朝」とは違う。ここは命が脈動している。
コンコン、と小気味よいノックの音が響いた。
「おはよう、坊や。よく眠れたかい?」
ハンスが焼きたてのパンと、新鮮なミルクの入ったトレイを持って入ってきた。
その時だ。アルトは自分の目に映る奇妙な変化に気づき、思わずハンスを凝視した。
「ハンスさん……あの、一つ聞いてもいいですか?」
「おや、なんだい? 私の顔に何か付いているかな」
「いえ……その、ハンスさんの頭の上に……いえ、街を歩いている人たちの頭上にも、**『レベル』**が出ていないんです」
アルトは混乱していた。この世界の人間であれば、生まれた時から逃れられないはずの「数値」。それが、ハンスの頭上にも、窓の外を行き交う人々の上にも、一切見当たらないのだ。
ハンスは納得したように頷き、パンの入った皿を机に置いた。
「ああ、外から来た人には不思議に見えるだろうね。……実はね、わが国の国王陛下は、大陸でも並ぶ者のいない稀代の『結界魔導士』なんだよ」
ハンスは、街の中心にそびえ立つ、真っ白で細長い尖塔を指差した。
「あの白い塔を中心に、フェルゼンの全域には巨大な特殊結界が展開されている。陛下の魔導は、人体に刻まれた『レベル』という情報を表面から消し去り、それを数値として視覚化することを抑え込んでいるんだ」
「レベルを……消している……?」
「もちろん、肉体に宿る身体能力や魔力量そのものが消えるわけじゃない。だが、陛下は仰った。『数値が人を定義するのではない。その者の行いが人を定義するのだ』とな。この国では、誰がLv1で誰がLv50なのか、本人にしか分からない。だからこそ、皆がレベルに縛られず、一人の人間として向き合えるのさ」
アルトは衝撃に震えた。
レベル制度そのものを否定するのではなく、それを「見えなくする」ことで心の自由を奪還する。それは、エリュシオンの王が「神の秩序」と称して掲げていた絶対的な理に対する、あまりにも鮮やかな反逆だった。
「さて、そんな顔をしていないで、飯を食べたら街を見てきなさい」
ハンスは快活に笑い、アルトの肩を叩いた。
「この街がどんな場所か、自分の目で確かめておくのも旅の醍醐味だろう? 悪い奴ばかりじゃない、安心して歩いておいで」
「……はい! 行ってきます、ハンスさん」
アルトは温かいミルクを一気に飲み干すと、影の衣を整え、再び街へと飛び出した。
自分が守ると決めたこの国の「正体」。
レベルという呪いから解き放たれた人々が、どのように生き、どのように笑っているのか。
その光景を刻むために、彼は赤煉瓦の海へと駆け出していった。




