16話 届かぬ銀閃
「無駄ですよ。その『黒い玩具』では、私を止められない」
ゼノビアの冷徹な宣告と共に、森の全域が震えた。彼女が踏み込んだ瞬間、足元の腐葉土は爆風を受けたかのように吹き飛び、白銀の細剣が「流星」と化す。Lv67――それは常人が知覚できる速度の限界を超えた、神速の殺意。
「――ッ!」
アルトの意識がその動きを認識するよりも速く、最後の一体となっていた影の分隊が、主の意思を凌駕する反応速度で真正面へと躍り出た。影は己の輪郭を限界まで凝縮させ、一対の盾へと変貌。文字通り、命を賭した「壁」としてその一撃を迎え撃つ。
ドォォォォォォォォン!!
大気を引き裂く衝撃波が円状に広がり、周囲の古木が根こそぎなぎ倒された。分隊は、ゼノビアの細剣をその身で受け止め、漆黒の火花を散らす。
だが、守り抜いたと思ったのも束の間。
「……脆い」
ゼノビアが細剣に込めた魔力を一気に解放する。白銀の刃から溢れ出したのは、影を根源から拒絶する「高密度の神聖魔力」。それは毒のように影の防壁を内側から食い破り、漆黒の盾に無数の亀裂を走らせた。
ゼノビアが流麗に手首を返すと、光の波動が炸裂し、分隊を完全に霧散させた。
一時的な消滅。これでアルトを直接守る手足は、すべて狩り尽くされた。
目前に迫るのは、神の如き威圧を放つLv67の脅威。アルトの足元には、もはや潜伏を維持できぬほどに「濃密な死」を放つ、影の本体がドロリと鎌首をもたげていた。
(……やるしかない。でも、殺させはしない!)
アルトは震える肺に、冷たい森の空気を無理やり流し込んだ。
彼の瞳が、足元の深淵へと向く。
「影! 命令だ。分隊の三体が完全に修復されるまで……僕の命を守り抜け! 相手の攻撃をすべて防いで、時間を稼ぐんだ!」
その命令が下った瞬間、影の輪郭が、驚きに打ち震えたように激しく波打った。
『――主よ。守る……だけですか? 命じてくだされば、この女の心臓を、今この瞬間に握り潰してみせますが』
影の声には、隠しきれない「落胆」が混じっていた。この傲慢な《支配階級》を、その圧倒的な力で絶望の深淵へと叩き落とす――影は、主がその「蹂躙」という最適解を選ぶことを、渇望していたのだ。
だが、アルトの意志は、岩のように動かない。
「殺しちゃダメだ……! 防御に徹しろ! 行け!」
沈黙。それは一瞬、あるいは永遠。
やがて、影は深いため息のような闇の波動を漏らし、静かに、そして絶対的な障壁としてアルトの前に立ち塞がった。
『……承知しました。敵を屠ることではなく、主の命を繋ぐことに私の価値を認められた。……不合理な命令ですが、その歪な「忠誠」の形、受け入れましょう』
刹那、世界から音が消えた。
ゼノビアが放つ、目にも留まらぬ連続突き。本来ならばアルトを数千の肉片へと変えるはずの銀閃。
しかし、アルトの前に立つ影は、まるで未来を視ているかのように、わずかな動きですべてを「無」へと帰し始めた。
「ガガガガガガガッ!!」
銀の切っ先がアルトの肌に触れる寸前、そこには必ず「闇」が先回りして存在していた。影は、アルトの脳内に流れる情報の洪水を逆流させ、ゼノビアの動きを二手、三手先まで完全に封殺している。
「なっ……! 捉えているはずなのに、なぜ!? 私の剣が、一歩も届かない……!?」
ゼノビアの端正な顔に、初めて戦慄が走る。彼女のLv67という超常的な速度をもってしても、影が展開する「防御の絶対域」を突破できない。影は踊るように剣を受け流し、時には指先で刃の軌道をずらし、アルトに埃一つ触れさせない。
「……今だ!」
アルトは影の背後という「安全圏」を必死に保ちながら、意識を自身の内側、背後に眠る「無限の魔力」へと向けた。
(届け……! もっと深く、もっと速く!)
アルトは自らの全回路を強制開放し、消滅した三体の分隊の「核」へと、暴力的なまでのエネルギーを注ぎ込む。ゼノビアの神聖魔力によって焼かれた影の傷口を、アルトが引きずり出した闇の奔流が無理やり塗りつぶし、再構築していく。
最強の力を持って、ただ「守り」に徹する影。
最弱の体で、ただ「可能性」を繋ぐ少年。
「逃がしません……! 聖なる光よ、不浄を焦がせッ!」
ゼノビアの剣が、限界を超えて加速する。白銀の軌跡が森を光の檻に変えていくが、その中心に立つ「動かざる闇」は、微動だにせずそのすべてを呑み込んでいった。




